魔王
魔王城への入り口が開かれた。
勇者一行はそれを確認すると、内部へと足を踏み入れていく。
そこには誰もおらず、ただひっそりとした空間が広がっているだけであった。
門番はいないのか、見回りはいないのか、そんなことを考え、周囲を最大限に警戒しながら足を動かす。
それはまるで招かれているかのようであった。
魔王に──否、運命とでもいうべくものに。
彼等は真っ赤なカーペットを踏みしめながら、真っ直ぐと伸びた一本道を歩く。
小綺麗な場所で、壁に掛けられた燭台に灯された青色の炎が、ただ長い通路を照らしている。
埃一つ見当たらないその通路を、無言で進む。
それぞれの表情には緊張の色が浮かんでいて、その身体は小刻みに震えていた。
そうして歩いていくと、大きな扉の前までたどり着いた。
どうしたものかと手をこまねいていると、その大扉はギギギと大きな音をたてながら、ひとりでに開いた。
それはやはり勇者達を招き入れるかのように。
彼等は警戒を強め、また一歩踏み出していった。
そこは大きな部屋であった。
太く巨大な柱が何本も立てられ、その最奥にはこれまた豪華絢爛な玉座が設置されていた。玉座の上にはステンドグラスがあり、そこからの光が玉座を丁度照らしている。
そして、その玉座に足を組んで座り、不敵な笑みを浮かべて勇者達を見る、1つの影があった。
「魔王......!」
それは人型であった。
しかし、頭には大きな黒い角を4本も生やし、その角の1本1本が魔力を帯びているのが分かった。
銀色の髪はオールバックで纏められ、後ろに長く伸びている。
勇者達を見る瞳は深淵のように真っ黒で、光が無い。
見ていると吸い込まれそうになるような瞳であった。
魔王は玉座から立ち上がった。人間よりも遥かに大きな巨体であった。
「よく来たな、人間」
低く唸るような、しかしやけ鮮明に聞こえる声であった。
だがそんな声に、ティリスは震えた。
緊張か、恐怖か、武者震いか。
どれだって構わないが、目の前の存在が彼らをそうさせるだけの存在であることには違いなかった。
しかしそれはそれとしても、どこか安心感があった。
目の前の、人類の敵ともいうべく存在は、エルゼより弱い。ただその事実が、彼らを勇気付けた。
自分達が魔王を倒すまでの間に、彼なら魔王どころかこの世界を滅ぼし尽くせるであろうと、そんな確信があった。
彼は息を飲み、聖剣の柄をぐっと握りしめた。
「知らぬとも思えぬが、ここに来たものに名乗りもせぬというのは、失礼だろうな」
魔王は玉座にまで続く階段を3段ほど下り、背中のマントをはためかせた。
「我は魔界の猛者にして魔族の王、魔王ヴァルツァストである。人間よ、其方の名も聞かせよ」
魔王は名乗った。この世界の魔族であればそれだけでひれ伏すようなその威厳に、ティリスは怯まない。
「僕はティリス。今代の勇者にして…………最後の勇者だ」
クワッと目を見開き、倒すべき敵を見据えながら名乗り返した。
後ろの3人は、そんなティリスを見守っていた。彼女達もやはり、怯むことはない。
「ほぅ……なかなかいい目をしている。なるほど……その力、惜しいな」
「そうかな。これでも、全く敵わない存在はいるのだけどね」
「だろうな。だが折角だ。1つ、提案をしよう」
魔王は人差し指を立て、話しを変えた。その真っ赤な爪は長く伸びていた。
「提案?僕が魔王からの取引に応じるとでも?」
「まぁ聞くがよい。話をしてみるくらいはいいと、お主も心のどこかで思っているのだろう?」
そんな言葉が、楔のようにティリスの胸に突き刺さった。
「……なら言ってみなよ、頷くことは無いだろうけど」
「なら問おう。お主、我らの仲間にならぬか?」
「仲間……だと?どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。我に仕えぬかと提案しているのだ」
「そこに何のメリットがある!」
「メリットか……そうだな。やはり引き入れるのならそれなりの条件──いや、待遇が必要か。なら、こうしよう」
魔王は手をパンと叩き、響かせた。
その瞬間、場の空気が震え、肌に痛みが走ったのが分かった。
そして言った。
「もし、お主が我が配下になるのならば、この世界の半分をくれてやろう。お主には、その価値がある」
「ははっ。魔王というのは冗談も言える存在だったとは、流石に知らなかったよ。……話にならないな」
ティリスはその提案を切り捨てた。
そして一層険しい表情で、魔王を睨みつけた。
ここまで来た彼にはもはや、ここで死ぬなどという終わりは見えていない。見えているのは、勝利だけであった。
「ふむ。断るか。して、何故だ?」
「何故?そんなの……」
ティリスは3人を見た。
「お主はその仲間をとても大切に思っているようだが。ならば尚更、ここでその仲間を失う可能性を考え、互いに退き、お主はお主らの安寧を享受すべきではないのか?世界の半分を手に入れれば、それは可能では、ないのか?」
「違う、それだけじゃない。僕はお前を倒す。それは、この世界に住む皆の為だ!」
「ハッ。皆の為か、くだらんな」
「何がくだらないっていうんだ!」
ティリスは先行し、魔王に斬りかかった。
魔王はその長い爪で聖剣を受け止めた。交差する聖剣と爪越しに、2人の強者は睨みあう。
「フンッ......その皆の為という薄っぺらな言葉がくだらんと言ったまで」
魔王は腕を振り払い、ティリスを弾き飛ばした。
「世界の為に魔王を討つ。それの何が……!」
ティリスは華麗に身を翻して立ち直すと、再度魔王を睨んだ。
魔王はカツカツと階段を下り、ティリス達に近付いていく。
「お主が背負うその世界は、皆は、一体お主に何をしてくれた?」
「な、何だと……!」
「1000年程前に初めて出会った勇者はよかった。皆が彼に力を貸し、知恵を貸し、共に戦っていた。それは紛れもなく団結であり、共闘であった。だが、今のお主はどうだ?仲間と呼べるものはたったの3人。お主らに任せていればいいと、自分は何もせずに平和を享受しようとする人間共に、お主が一体何をしてやる義務があるというのだ?」
魔王は首を傾げていた。それは決してティリスを挑発しているわけでも、馬鹿にしているわけでもなかった。
心から──魔王などという存在に心があればの話だが、それが理解できていなかったのだ。
魔王は何人もの勇者をこれまで見てきた。そして屠ってもきた。
それでもやはり分からないのだ。
何故勇者が生まれ、それが決められた動きを取るかのように自分を目指してやってくるのかが。
「なるほど……」
「リリエッタ、同意しないで」
リリエッタは唸った。何かを考えるような顔であった。
それをマリエルが咎めると、アリサが前に出て言った。
「そうだったとしても、魔族が人間の大陸に出てきて人を襲ったりもしてるんだ。それがいつ自分達に向けられるかもわからないのなら、倒すしかないだろ」
「ふむ。ならば、人間はどうなのだ?」
「何?」
「人間も人間を襲うではないか。それも、魔族に襲われて命を落とす人間より、人間に襲われて命を落とす人間の方がずっと多いではないか。国同士の戦だってそう。ならば、人間同士でこそ滅ぼし合わねばならないのではないのか?」
「…………」
「だがそうはしない。それは人間とて、皆が皆そうではないからだ。なら魔族も同じであると、何故そう思わない?──いや、お主らは知っているはずだ」
誰も、何も言えなかった。しかしその代わりに、リリエッタが一歩前に出た。
「魔王、あなたの言うことも理解できないワケではありません。が、敵の発言に納得すると思いましたか?矛を収めるとでも思いましたか?そんな訳ないでしょう。あなたが敵である限り、魔王が魔王である限り、あなたの発言がどんなに真実であったとしても、それは間違いなんですよ。貴方が白だと言うのならそれは黒であり、黒であると言うのなら白なんです」
「滅茶苦茶だな。理解できぬ」
「えぇ。滅茶苦茶かもしれませんが、あなたが滅茶苦茶だというのならそれで構いません。とにかく、これ以上こちらの勇者と無駄な会話をしないでくれませんか?言葉に込めた魔力で、一体何をしようとしていたのかは知りませんが」
「気づいていたのか、小娘」
「私、これでも出来る女なので」
「さっき納得しかけてたのに……」
「あれはそういう意味ではありませんよ」
リリエッタ。
ティリスの持つ力に何かを勘づいた聖教がその同行者として選定した無能な味方を一掃し、マリエルやアリサがそこに入れるように動いていた酒好きの女。
酒が好きな事だけはただただ彼女の本性であるが、それ以外はそのほとんどが偽りの女でもあった。
彼女は魔王がその一言一言に込めた微細な魔力を察知し、それを打ち消すための結界を張っていた。
「まぁ、そうでなくては張り合いが無いというもの。褒めて遣わす」
「そちらこそ、威勢を放つのも虚勢を張るのも随分と立派なものですね」
「ハッ。何とでも言え、我は負けんのだからな」
「ここまで来て、僕だって負けるつもりはない!」
ティリスが再度斬りかかった。
リリエッタはそこに能力を上昇させる魔法を使用し、ティリスを支援した。
ティリスは聖剣に魔力を込める。
迸る魔力と煌く刀身は、魔王の右手の爪とかち合い、果たして、その爪を斬った。
しかし、左手が彼に襲い掛かり、そのまま切り裂こうとする。
それをアリサが防ぐと、2対1での大立ち回りとなる。
2人は魔王の視線を誘導しながら、巧みに攻撃を繰り返していく。
剣光が奔り、その白羽は雷が如く勢いで魔王の身に襲い掛かる。
1つの剣閃で、7つの傷が魔王に刻まれる。
爪を斬られた魔王は、その胸に闇を開き、赤黒く禍々しいオーラを放つ魔剣を取り出した。
「我は負けぬ。己の為に生きられぬような者に、偽善に塗れた者に、我は決して負けるわけにはいかぬのだ!」
「僕こそ、魔王に負けるわけにはいかない!それが、勇者の責務だ!」
聖剣と魔剣が交差した。そこに、マリエルの放った聖魔法が撃ち込まれ、魔王は動きを鈍らせる。
「っ…!何故だ…!何故責務や使命に拘るのだッ!」
魔王は叫ぶ。その咆哮だけで、2人は吹き飛ばされた。
「我がこの世界に来たのは、己の為に安住の地を求めたからだ!勇者を迎え撃ったのも己を護るためだ!生物は、己の為に生きるからこそ強く在れると、そう思い知らされたからそうしていたというのに!何故己に課された使命に固執するようなものに後れを取らねばならないのだ!」
「固執......」
「そうだ!お主は魔王を、この我を倒すのが使命だと言ったな!」
「……あぁ!」
「だったら、我を倒した後はどうする!使命をそこで終えたお主はどう生きる!お主の生まれてきた意味はそれだけか!我を殺す為だけに生まれ、無為に死んでいくのか!」
「……それでこの世界の皆に本当の意味での平和と安定が訪れるのなら、それでも構わないさ」
「皆のために我を倒すだと……?何度も何度も、ふざけるでないわ!己の為に生きられぬものが力を振るうな!力は目的を果たすためのものだ。確たる目的もなく、ただ言われるがままにしか動けぬようなものが、持っていていいものではないわッ!」
激しく繰り返される聖剣と魔剣の連撃。そこにいたのはティリスと魔王のみ。
3人はそれを見ていることしかできなかった。
「魔王を討つのだって目的だろう!」
「討ってどうするのかと言っているのだ!我が死んだとて、この世界から争いが消えてなくなるワケではない!真の平和などどこにもありはしないのだ!なればそれを、目的とは言わぬわ!」
魔王の剣が薙ぎ払われ、ティリスはそれを回避し、3人の前の戻る。
しかし、ここまでの疲労か、ティリスは膝をついた。
「例えそうでも、皆の為に魔王を倒すことだって、自分の為だ!」
「違う!違う違う違うッ!何もかもが違うのだ!己の為に生きるというのは、成したい我儘の為にのみ命を懸けることだ!他の誰の為でもなく、自分自身の欲の為に生きることだ!」
「我儘......」
「そうだ、我儘だ!それを失った生物に生きる資格など無い!そんな奴に、我は負けん、負けるわけにはいかぬ、負けては、負けてはならないのだァァッ!」
魔力が解放され、大気が震える。床は罅が入り、壁には傷が入っていく。
黒いオーラが魔王を包む。そこで初めて、ティリスの表情に焦りが見え始めた。
目の前の魔王は未だにエルゼには及ばない。しかし、確かに強い。
「我儘なら、ある」
前に進み、ティリスの横に立ったのはマリエルだった。
「私もあるな」
次に前に進んだのはアリサ。ティリスの横に出た。
「……あ、じゃあ私もあります」
遅れるように少し後ろで声を出したのはリリエッタである。
「じゃあって……」
間の抜けた、場違いなツッコミが入った。
「ならば申してみよ!我を倒して何とする!」
魔王は問う。これまで勇者を支えた3人に。
「そうですね……なら、私は本国に戻って鼻持ちならないジジイ共に、占いが外れたことを報告しに行きたいですね、えぇ。それで悔しがる連中を煽りながら美味い酒を呷りたいです」
最初にそう答えたのはリリエッタであった。
「私は、海の向こう側に何があるのか知りたいな。美味い飯もあるのかもしれないし、いろんなものを見てみたいもんだ。そんで、その時の話を弟たちにしてやりたい」
アリサが、ここ数日食べていたエルゼの作る料理を思い返しながら言った。
「私は、ティリスと結婚したい」
そして、最後にマリエルが短く言った。
「……へ!?」
思わず、ティリスはそちらを見た。マリエルの横顔は、噓や冗談を言っているようなものではなかった。
「ティリス......まさか気が付いてなかったのか…?」
「押しても引いても何一つ効き目がありませんでしたからね。まぁ、旅の道中に盛られても困りますし、それはそれでよかったんですけど」
そんなマリエルの事情を知っていた2人は、ティリスに対してぼやいた。
「…………え……えぇ……?」
「ここに来る前にも言った。私にはティリスが必要だって」
「言ってたけど……いや、でも、あれって……」
「ティリスが誰のために生きてもいい。何をして生きてもいい。でも私は、ティリスの為に生きたい。ティリスの横で生きていたい。それが私の……我儘」
マリエルはティリスの方を見て、真っ直ぐとそう言った。
ティリスは何も言わず、突如として笑い出した魔王を見た。
「フッ!フハハッ!フハハハハハッ!やはりそうだ!どんな者にも欲がある!欲があるから良くあれる!為したいことがあるから生きていける!──しかし貴様には、それが無いッ!」
覇気が襲う、声が空間に響く。それだけ大きな声であった。
「何で、どうして僕に欲が無かったらいけないんだい?」
勇者は問い返す。魔王がティリスの欲に固執する理由を。
「欲も無い者に、魔王たる我が負けたと、そんな事実は認められん!欲の為に生きてきた我が、無欲な者に殺されるなど!我は負けぬ、例え負けるとて、貴様のような人間になど、負けるワケにいかぬのだッ!」
真っ黒な目を見開いた。2つの丸い暗黒が、ティリスの顔を睨みつけた。
「……だったら、あるよ。それくらい」
ティリスはゆっくりと立ち上がり、踏み出した。
「リリエッタが本国に帰ると言うのなら、そこまではちゃんと送り届けるよ。アリサが海の外に行きたいというのなら、道中の魔物退治は僕も手伝う。それに、マリエルが結婚したいというのなら、僕もそれは……吝かではない」
ティリスは聖剣に魔力を込めていく。
それは今までで一番のもので、溢れんばかりの魔力は聖剣を大剣と見間違うほどに大きく幻視させた。
「結局他者の為ではないか!何度言えば……!」
「僕の、他でもない僕の大事な仲間がそうしたいって言ったんだ。それを叶えて、笑顔でいてもらいたいと思うのは……それは紛れもなく、僕の想いだ!」
その目は黄金に輝いていた。聖剣に纏う光と同じように、その輝きを増していく。
「…………っ、そんなのものは結局、皆のために世界を救うと言ったさっきのお主から、何も変わってはいないではないか!」
「だったら!例え使命なんか無くてもいい!やりたいことなんか無くてもいい!それが無ければいけないというのなら、これからいくらだって見つければいい!」
ティリスは足を動かすスピードを上げていく。
「やめろ……ッ…来るなッ!」
魔王は身じろいだ。
「だからっ!僕はそれを見つけるための未来が欲しい!マリエルにアリサにリリエッタが、笑って迎えられる明日が!」
ティリスは駆け出し空を舞うと、その聖剣を振り上げ、魔王に向かって振り下ろしていく。
しかし、その聖剣の軌道に入ったはずの魔王の肉体は、いつの間にか、剣先も届かぬような距離に逃げてしまっていた。
────マズい。
これを外せば隙ができる。回避も反撃も間に合わない。そうすれば、死ぬ。
「………っ!!………!」
ティリスは魔王を見た──否、正確には魔王の後ろを見た。
1人の少年が、その体を回転させて回し蹴りを放とうとしていた。
エルゼだった。
「折角カッコよく締めようとしてんだから!避けてんじゃねぇぞ三下がッ!!」
魔王の背中に叩き込まれたその一撃は、魔王の身体をティリスの方へと大きく吹き飛ばした。
「ぬぅぅッ!!」
それにより、魔王の肉体はティリスの聖剣の軌道上に再度舞い戻る。
「はぁぁぁぁあああああっ!!!!」
止まらぬ聖剣、避けられぬ魔王。
聖剣は魔王の身を裂き、その核に届いた。
「グゥァァァァアアアアアッッッ!!!アアアアアァァァァァッッ!!!」
聖剣の光は魔王を消滅させていく。
今ここに、千年の悲願は果たされたのだった──。




