魔の森
「うおぉぉぉぉおおおおおお!!!!」
俺は荷車を背負い、猛スピードで空を飛んでいた──背負うというよりは、俺が荷車の下に張り付いた状態で浮かせていると言った方が正しいのだろうが。
マリエルとリリエッタが障壁を張ったことで、荷車の内部に吹く風はそれなりに抑えられているらしいが、4人もまた、空を飛ぶというのは初めてのことらしく、それぞれ思い思いの反応を示していた。
ただ、飛び始めてからは流石に会話がなせるわけもなく、結局夜まで静かな旅であった。
そして、その夜。
「すごいね。もうここまで来たんだ」
王都から北東方面に直進すること9時間ほど。俺達は休息をとることになった。
食事も済ませ、後はもう寝るだけとなった。俺はマリエルに頼みお湯を大量に用意してもらったのだが、彼らからは変な目を向けられた。こんな状況で第一に湯を求めるのは、やはり変わっているのだとか。
「そういえばさ、馬車を魔力で動かしたりとかってできないの?」
俺は気になったことを訊いた。
飛び続けたことでそれなりには疲れていたハズなのだが、何故か眠ろうとは思えなかった。
「魔力で?」
「そう、車輪をこう……魔力で動かして走らせるみたいな」
気になったこととして、技術力の低さがあった。
この世界には未だ俺の知るような科学というものは発展していないのだろう。しかし、俺の元居た世界にはないものとして、魔法があるのだ。
魔法を目指して生まれたものが科学であるとするならば、その魔法そのものがある世界では、それこそ独自の技術を進歩させていてもいいものではないかと思うのだが、実際はこんなものであった。
それも少なくともこの世界には1000年以上の歴史があるわけで、これを地球の文明に置き換えれば、平安時代から現代まで間があるわけだ。
関白政治!とか言ってシコシコやっていた時代から、民主主義!とか言ってシュポシュポやってる今の時代までが大体1000年だ。言葉にすればこんなものだが、結構な時間だと思う。
にも関わらずこれというのは、魔族がこの世界に来たとかそう言ったことを抜きにしても発展しなさすぎではないかと、そう思った。
戦いがあるからそういうことに時間や人材を使えないなんて、そんなワケはない。技術というのは戦争の中で磨かれていくのだから。当然平和な世でも同じことはできるのだろうが、戦乱の世だからと技術発展が出来ないなんてことはないハズなのだ。
「昔そんな研究をしてた学者はいる。でも無理だった」
答えたのはマリエルだった。魔法の事について訊いたのだから、当然かもしれないが。
「無理って言うと?」
「皆が魔力を持ってるワケじゃないし、それをうまく扱えるわけじゃない」
「あぁ……そういえばそんなことも聞いたっけ……」
「それに、馬車を動かし続けようと思ったら滅茶苦茶な量の魔力が必要になる」
「じゃあ……それがあれば動かすことはできるの?」
「仕組みとしては理論上不可能ではなかった。でも、そんな魔力を持つ人間はそうそう見つからないし、その膨大な魔力を上手く扱える人間を、馬車を動かすために使うのは勿体ない」
「はぁ……」
「そういう人間はたいてい宮廷魔導士や教会魔導士になるための教育を受けさせられる。そんな人間を馬車を動かすために雇うくらいなら、馬を数頭飼う方が遥かに安く済む」
「…………ん?」
「何か間違ってた?」
「いや、何で人を雇うこと前提なんだろうかと思って」
「雇わないと動かせないから……じゃないの?」
「魔力をどこかに貯めて使うみたいなことはできないの?」
それこそ、電池のように。
「魔力をどこかに貯める……確かにいい発想だけど、それは結局魔力を貯める人が必要だから高くつく。量産出来れば確かに人を何日も縛り付けるより安くは出来るけど、馬車に使うのはやっぱり勿体ない」
「あぁ……そうか」
「それに、そんなに魔道具を積み込もうと思ったら木製の馬車では耐えられない可能性もある。鉄を馬車に加工するなんて、公爵家程の財力でもないと不可能。それに鎧や武器にも鉄は使うから、馬車の為に鉄を大量に使うなんて、国が認めない」
要するに、そんな余裕はないからちょっと苦労してでも現実的な方策を取るという事だろう。
魔力を貯める道具というのも、異世界ならお決まりの魔石、アレがこの世界には無いのだ。
魔道具自体はあるらしいが、それも結局魔力を持つ人間しか使えないというモノで、一般的なモノではないのだという。
魔力を持つ人間と持たない人間で生活レベルに差があるのはどうなのかと思ったが、そもそも魔道具などという高価なものは、魔力があろうがなかろうが、まず平民らがその人生の中で使う機会など無い代物らしい。下手をすれば、お目にかかることも無く死んでいくというのだから、尚更である。
「でも、魔力を貯め込んでおける魔道具はいいと思う。この旅が終わったら作ってみたい」
「……だってよ、ティリス」
「……え?な、何?」
「寝てたな?」
「ご、ごめん……それで?」
「マリエルが、魔王を倒したらやりたいことがあるって」
「そ、そうなの?」
「うん。いっぱいある。ティリスにも手伝ってもらう」
「あ…………」
ティリスは否定も肯定もしなかった。
未だに断ち切れてないのか。そう思ったが、どちらにせよ魔王を倒してもらうことは確定事項だ。
どんな手を使ってでも魔王を倒させる。そんなことを考えながら、その日は眠りについた。
△▼△▼△▼△▼△
翌日。相も変わらず似たような光景が続く。
昨夜は何とかしてお酒を呑もうとするリリエッタを全員で止めていた。
「二日酔いの状態でこれに乗ったら間違いなく吐く」と。
空飛ぶ荷車の中を吐瀉物が舞うのは御免被りたいと、アリサに羽交い絞めにされていた。
「吐きません!酒呑みとしての矜持がありますから!」
「お前に矜持なんか無いだろうが!それにこの間も似たようなこと言って全部吐いたの忘れたのか!誰が片付けたと思ってるんだ!」
この先の道中で彼女が酒を呑むことは無いだろう。
まぁ、酩酊状態で魔王との決戦に挑まれても困るしな。
そんな風にして、飛んでは降り、降りては運んでを繰り返すこと6日程、俺達は魔の森の近くにまで移動してきていた。
もう少し早く飛べばその分早く着けたのだが、これ以上のスピードでは荷車と中の人間が持たないという事で、かなりゆっくりな移動となった。
明日は魔の森を抜けて行こうとのことで、俺はその森の上を飛ぶつもりでいたのだが、魔の森の上空にはそれなりに凶悪な魔物もいるという事で、飛びながらの移動は避けたほうがいいだろうとの話であった。
しかしだ。森の中を歩くつもりなどさらさらない。
明日の朝にでも、森そのものを消し去っておくことにしよう。魔の森はなかった、そういうことだ。
俺は再び睡魔に身を任せ、帳を下ろした。
△▼△▼△▼△▼△
「スターライト・レイ!!っと……これで森と魔物は消せたかな」
朝から魔法を放って回る事数十発。凡そ森と言えるようなものが視界から消え去ると、俺はステッキを下ろした。
「魔物が相手ですし文句は言いませんが……本当に森そのものを消し去るとは思っていませんでしたよ」
「俺の道を遮る奴は全員こうなった。国だろうと森だろうと、それは同じことだ」
「兄様は貴方をどう制御していたんですか…本当に…」
「ま、どっちにしてももうすぐ会えるだろうし、その時にでも聞けばいいんじゃない?」
「会える…...ですか。兄様は私の事を覚えているのでしょうか。私みたいな落ち零れは早々に記憶から消して楽しく過ごしているみたいですし……」
「まぁ、それはありそうだけど。あいつ、寝ても覚めてもご飯の事ばっかだし」
「かはッ……」
エリーゼは血反吐を吐いた。血はないけど。
「まぁそうですよね……そもそも覚えていたとしても、こんな世界一つどうすることもできずに、フラッと現れた異世界人に荒らされた挙句に救われてるんじゃ、どちらにせよ、合わせる顔が無いですよね……」
「……エルゼの所為でもあるけどな。俺がここに来たのは」
「兄様の……所為?」
「いやまぁ、元を正せばって話な。前から言ってるように」
「あ、あぁ……だとすれば、これも何かの因果か、そうでもなければ運命……なんでしょうかね」
ザクザクと、地面を踏む音がして、俺はエリーゼとの会話を終えた。
「……聞くまでもないことを聞くのは失礼なのかもしれないけれど……これ、エルゼがやったの?」
聞くまでもなければ、答えるまでもない質問だった。俺は目を閉じてゆっくりと頷く。
「あれは確か魔王領からここまで届く瘴気が長い年月をかけて作り出した、魔物にとっての楽園のような場所であったと聞くけれど……見事に何もないね」
「そう。魔王は数日を待たずして死に、そして全てが終わる。なら、この世界から魔王の痕跡は消しておかないと」
「……そっか。終わる......か」
「ティリス、お前まだ迷ってるとか寝惚けたこと言わないよな?」
時間が時間だから、寝惚けていてもおかしくはないが。
「へ?」
「お前がその聖教とやらの連中に何言われたのか知らないけどさ、死ぬつもりで行かれるのは困るんだよ」
「死ぬつもりって……」
「そりゃ、今日にも明日にも死ぬかもしれない様なジジイ共からすりゃ、ティリスが魔王を倒そうが倒すまいが関係ないのかもしれないけど、お前の仲間は少なくとも、明日も明後日も生きてやりたいことなんか幾らでもあるんだから。生きて帰ることを前提にしてくれないと」
「……もちろん、最初からあの子たちを死なせる気はなかったよ」
「……?」
「四魔将を倒した後は、僕1人の戦いにするつもりだったわけだから」
「え、お前……それ本人達に言ったのか?」
「……言ってないよ。言えるワケ……ないよ」
「じゃあいつ言うつもりだったんだよ」
「最後まで言えなくて、本当に直前になって言っていたんじゃないかな」
「チッ……はぁ……本当に面倒だな……使命って」
俺はエリーゼを見た。エリーゼはティリスを見ていた。
その目には申し訳なさと言ったものが分かり易く滲み出ていたが、それを伝えるのは全てが終わってからだと言っていた。
云えない言葉を抱えたもの同士であった。
その日はかなりの広さを誇る魔の森を突き進み、海沿いに出たところで、少し早いが休むこととなった。
明日は海を渡り、魔王領へと侵入る。
今日は10月3日、そして明日は──
既に1か月以上経過してしまっていたが、それも直に終わりを迎える。
そう思うと、俺は眠るのに時間が掛かってしまった。