悪魔騎士
夜の事であった。
俺は恐らく方向を少し勘違いしていたのだろう、来た道を戻っていたはずが、少しばかり北側にずれてしまっていた。
そのせいで見覚えのない平原に出てしまっていたのだが、その平原で様子のおかしな人影を見つけた。
様子がおかしいというより、どこか感じたことのある異変のようなものを見つけたのだ。
俺は関わるべきではないと思いながらも、抱いた違和感の様なものを少し確かめたくなって、それに近付いて行った。
「おっ…と。何すんねん!」
短剣が飛んできた。投げナイフと言うのだろうか。
先制攻撃を仕掛けられ、俺としては既に相手にする気満々でいたのだが、この不気味さが解決しない限りは殺すべきではないと考えた。
昨日の今日にしては存外冷静な自分がそこにいることに、俺は内心驚いた──いや、昨日の今日だったからかもしれないのだが、とにかく、これがなんであるのかを調べようと考えた。
「…………」
無言で剣を構えたその人影は、大きな鎧の黒騎士であった。
一瞬、漆黒の魔人かと思って警戒したが、どうやら違うらしい。
当然敵意は感じるが、どこか殺意などとは違うというか、これは恐らく……
「戦いたいのか」
俺より強い奴に会いに行く──ではないのだろうが、そんな気配を感じた。だとすればこちらとしても都合がよかった。憂さ晴らしの後の憂さ晴らしだ。俺のくだらない自己満足の相手をしてもらおう。
俺は魔法鞄に手を突っ込み、それをガラガラとかき回して1つの柄を手に取った。
「剣は……これでいいか」
間違っても敵を鎧ごと切り裂いてしまうわけにはいかないと、そこまでの破壊力を持たない普通の剣を選んだ。これがどういうものなのかは知らないが、騎士が持っていた剣だ、なまくらという事もあるまい。
俺が剣を取り出し構えると、向こうもそれを準備完了とし、開戦となった。
タタタタタッ──と、重そうな鎧を着こんでいるとは思えないほどのスピードで草原を駆け、俺の少し手前で跳び上がった。
剣を振りかぶり脳天目掛けて叩きつけられたのを、俺は斜めに受け流し、脇腹目掛けて回し蹴りを放つ。
脇腹を捉えた踵が衝撃を叩き込むと、黒騎士は平原の上を勢い良く、ゴロゴロと転がっていく。
しかしすぐに立ち上がると、今度は攻め方を変えて立ち向かってくる。
その一撃一撃を払いながら、相手の状態をより詳しく調べていくと、俺はなぜこんなことをわざわざやっているのかという思いが胸中を侵食し始めた頃、とあることに気が付いた。
なるほど、道理で覚えがあるわけである。
「これは……」
そして俺がそれに気が付いたとき、構えが変わった。
「…………!!」
剣を持ち上げ、構えた刹那、黒い魔力が解放され、己が敵を傷つけるが為の暴風を生み出した。
黒い螺旋によって雑草が刈り取られ、平原の地肌が露わになる。
俺もそれに当てられ、肌に少なくない切り傷を作ることになった。
「いったぁ……」
少し魔力を込めるのが遅れていれば、切り傷では済まなかった可能性がある。これくらいの切り傷程度であれば事故治癒能力で何とでもなるのが幸いだが、それでも、余計な痛みは受けないに越したことはない。痛めつけるのは嫌いじゃないが、痛いのは嫌いだ。
「はぁッ!!」
剣を持ち直し、魔力を込めて薙ぎ払うと、放たれた斬撃が鎧の腹に命中した。
──硬い。
普通ならその時点で鎧が割れかねないと思うのだが、少し凹みが出来たくらいで済んでいる。魔力で鎧そのものを強化してしまっているのか、鎧自体がそれほどまでに硬いのかは知らないが、何にしても、身体ごと切り裂いてしまうような結果にはならなかったのだから、いいのだろうか。
俺は黒騎士に距離を詰め、連撃を畳みかけていく。蝶のように舞い、蜂のように刺し、ゴキブリの如く逃げ回る。
そのほとんどは弾かれてしまうが、時折フェイントを掛けながら、虚実入り混じる攻撃を四方八方から加えていき、相手の意識の外から本命の攻撃を叩き込む。
人間の視界の中には色々なモノが映っているわけだが、例えば、風で草が揺らめいていたりするのを果たして人間が認識できているのかと言えば、そうではない。勿論集中してそれを見ていたのならまた話は別だが、人間はそういう、自然というものを認識しながら生きることができない。
俺の放った攻撃というのもまた、そういうものであった。以前流華先輩にそんなようなことを言われて、自分なりに、それがどういう意味であったのか、どういう攻撃の事を言っているのかを噛み砕いてはいたのだ。分からないことも多かったが、魔族や魔物相手に色々やっていた甲斐があった──尤も、こんな異世界がその発表の場となるなど、考えてもいなかったが。
静かな夜の平原に、剣戟の音が響き渡る。
「はぁぁぁあああっっ!!!」
そろそろかと思い、攻撃の重さ、速さ、そして剣に込める魔力を段階的に上げていく。
そうして向こうの対応に遅れが出始めたころ、金属と金属のぶつかる音と風音以外には何も聞こえることのなかった平原に、1人の高い声が響いた。
「待てぇぇぇぇえええ!!!!!!」
思わず俺の攻撃の手が途切れ、黒騎士はその場から逃げ出してしまった。
再度距離を取り睨みあう中、その原因を作り上げた声の主は猛スピードで突入してきた。
ここに来て乱入者だ。こんな夜の平原にまで来た乱入者だ、この黒騎士の関係者でなくてなんとする。この不気味な黒騎士を、その人間も追っているのではないか、そう考えた。
それは暗くてハッキリ見えていたわけではないが、軽装備の女戦士のようであった。
しかし、どちらに着くのかと思えば、その女は向こうの不気味な黒騎士の側に着いた。
何故だ。
一応傍から見た図としては騎士と大した装備もない少年が戦っているという図に見えると思うのだが……見えないのだろうか。
迷うことなく、ただ奇妙なことに、黒騎士からも少しだけ距離を取りながら、こちらに対峙した。
何が目的なのかはわからないが、俺としては邪魔された形だ。
相応の理由が無ければどうしてくれたものかと考えていると、女戦士は叫んだ。
「アル!目を覚ませ!死にたいのか!」
黒騎士はどうやらアルと呼ばれているらしい。
名を呼ばれてその動きが止まり、女戦士の方に少しだけ首が動いた。
「アルッ、聞こえているなら合わせろ!どういう状況かは全部終わったら説明してもらうぞ!」
その声と共に、女戦士と黒騎士は動き出した。
何やら別の事情があるらしい。
不思議なのは、2人になった途端にその動きが大きく変わったことだった。小刻みに動き続けては俺の視界をあちらこちらへと動かさせて牽制する女戦士に、俺の視線がふと別の方向を向いたその一瞬を狙って攻撃を仕掛けてくる黒騎士。
単体より2体セットの方が強いというのは、まぁ人数不利的なところで理解できるのだが、ここまで動きが変わるというのは、コレがこの2人の本来の戦法というものなのだろう。
俺が先程まで1人でやっていたような動きに近いものを、2人掛かりで仕掛けてくる。
「…………っ」
剣先が頬を掠め、顎にまで血が流れていった。
普通に攻撃がこちらに当たるようになった分、殺さないようにと手加減しているとこちらが痛い思いをしているだけでしかない。
「2人掛かりでここまで…!」
「…………」
多分この2人はカトリーナの言っていたような、武に精通した者なのだろう。
だから俺の実力を見抜いた上で黒騎士は俺に短剣を投げたのだろうし、女戦士は黒騎士の味方をしたのだと、そう思える。
「……終わらせないと」
このままダラダラ相手をしても進展が無いと判断した俺は、女戦士の方を手っ取り早く排除することにした。
「せいっ!」
排除すると言っても殺すわけではない。ちょっと退いていてもらうだけだ。
ちょこまかと跳び回っていた女戦士を狙い、剣を投げ放つ。鞄に手を突っ込めば代わりなどいくらでもあるのだから、その動きに躊躇は無かった。
まさか飛んでくると思わなかったのか、身をよじろうとして体勢を崩した。
それをフォローしようとして動き出した黒騎士を目線で牽制すると、俺は投げ放った剣に手を伸ばし、それを掴むと、勢いそのままに彼女の腹を蹴り飛ばした。投げた剣はそのままでもよかったのだが、相手に武器を渡すようなことになっても面白くなかったので回収した。
「あぐぁッ……!」
呻き声を上げて転がる女戦士。
「…………っ!!」
それに視線を向け、気を取られた黒騎士。
「アルッ!こっちを見るなっ!集中しろッ!」
女戦士は黒騎士に注意を促すが、そこから対応できるほど俺の攻撃は遅くなかった。
俺は剣の柄で黒騎士の小手を強く打ちつけた。剣を握っていたはずの手に加わった衝撃で、黒騎士は思わず剣から手を離す。
そこを狙い、再度鎧目掛けての回し蹴りを、体全体を高速回転させながらブチ込んだ。
目にも留まらぬ回転から繰り出された一撃をモロに受け、弾き出されたかのように吹き飛んでいった。
今度は背後に感じとった女戦士の気配を掴み、俺は振り返る。
しかし、やはり単体で相手にする分にはなんの問題もなく、俺は剣を奪い取るとそのまま地に突き立てた。深々と差し込まれた剣は、まるで勇者に引き抜かれるのを待つ聖剣のようにそこに突き立てられている。
女の方はこれでしばらく戦えまい。
俺は黒騎士に近寄った。
この黒騎士、悪魔憑きだ。
どこか人間の部分が強いようにも思えるが、確かにそうであった。
不気味さが解消されればコレを生かす必要もないのだが、そうなると今度は、その事情を知っていたであろうに黒騎士の味方をした女戦士が気になると言うもの。
どうしたものか悩んでいると、立ち上がった女戦士は、近づく俺から後退りするだけの黒騎士のそばに寄り、それを庇うような形で間に陣取った。
「頼む、やめてくれ」
「…………っ」
黒騎士はその言葉を聞き、自分から離すように女戦士の体を押し始めた。しかし力でも抜けたか、びくともしなかった。
「それが何か分かってて言ってるんだよな」
「………ああ。アルは…コイツは悪魔に魂を売り渡している」
分かっているのか。となると、なるほど。なんとなく事情が読めた気がする。
悪魔憑きになってなんかやらかし始めたコイツを止めるためか助けるためか、いずれにせよ元の人格を取り戻させるために追っていた。という事だろうか。
……いつかの誰かみたいなことしてるな。
「それが分かってるならそこをどけ。そいつが完全に悪魔に支配される前に殺してやる」
女戦士の声に耳を貸すあたり、完全に悪魔に支配されているわけではなさそうだが、アレが精いっぱいの抵抗なのだとすれば、そう長くもないのかもしれない。悪魔と契約した人間は自我を保てるのかもしれないが、悪魔に乗っ取られた人間ではそうもいかない。
「だ、ダメだ!アルは私が助ける!まだ望みはあるはずなんだ!だからっ、だから頼む!」
「安心しろ。俺の魔法は悪魔もろとも消しとばす、そのための魔法だ。苦しませずに殺してやる。それが唯一の救いだから。そいつにとっても、皆にとっても。だからどけ」
「剣を向けたことは謝る!コイツが君に何をしたのかは分からないが、それも必ず謝らせる!だから見逃してくれ、やっとアルと会えたんだ!助けてやりたいんだ!」
「……しつこいな。悪魔憑きになった人間を助ける方法はない」
エルゼでもいない限り。
「だから、器ごと殺して悪魔をこの世界から追い出す。それ以外に道はない」
ただまぁ、抵抗を許しているようなら──完全に定着していないのなら、道がないわけでもないのだろうけど。
「だ、だったら、私も殺してくれ……アルがここで死ぬのなら、私も…一緒に…」
「……分かった。なら殺してやるからそこに並んで目を閉じろ。今すぐに」
「………!……!」
黒騎士は何かを訴えようとし、女戦士の体を強く押すが、女戦士の方は黒騎士の鎧に張り付き一歩も動くつもりはないらしい。
「どうか……同じ墓に埋めてくれ」
「無理。骨も残らないから、代わりに剣でも埋めておくよ」
「そうか、ありがとう。アル、ごめん、結局助けられなかった……いつからこんなことになってしまったんだろうな──私がもっとアルの事ちゃんと見ていれば、ちゃんと話していれば、お互いに傷つけあうこともなかったのに…ごめん、ごめん…!アル……っ!」
若干蚊帳の外にされている感は否めなかったが、俺はステッキを構えた。
「スターライト・レイ」
そして、2人のいる方向に向けて魔法を放った。
しかし2人は光に呑まれることなく、俺の放った魔法は2人の後方を飛んでいた黒い靄に命中し、それをそのまま消滅させた。
「グギャァァァァアアアアッッッ!!!」
言わずもがな、黒騎士の体内から逃げ出そうとした悪魔だ。
この世界では魔族の存在の仕方も少し変わっていたから、もしやとは思ったのだが、悪魔も完全な精神生命体ではなくなっていたようだ。
つまりは悪魔も殺せたと言う事で、解放された黒騎士の意識は戻ると言うことでもある。多分だが。
これだけ簡単なシステムなら、姉さんももう少し楽に助けられたのだろうか。
しかし何故、地球に現れる魔族や悪魔とこの世界のそいつらとでは仕組みが違うのだろうか。俺は向こうに現れるのもこちらに現れるのも、両方共魔界の住人だと考えていたのだが、コイツらは魔界とは全く関係のない、この世界固有の生物だとでも言うのだろうか。
「え……?」
「………ん……ギル……?」
戸惑う女戦士、身を起こす黒騎士。
「あ、アル……アルッ!」
ギルと呼ばれた女戦士の方は、起き上がった黒騎士に抱きついて涙を流し始めた。
「すまん、ギル……迷惑かけたな」
「ううん、よかった…アル………!」
俺は呆然としながら、感動の場面なのかもしれないが、2人の関係性とかがよく分からないこちらとしては、ただ2人の男女がいちゃついているようにしか見えないその光景を、ただ眺めていた。
俺はこんなのが見たくて助けたのだったろうか、というかなんで戦ってたんだろうか。
気になる者があって近付いたら攻撃されて、それをムキになって相手していたらこうなったのだったか。しかし何の収穫もなかったわけではなく、ただ、その収穫というものも俺の中に謎を増やしただけに過ぎず、元の世界に帰るという目的の助けになるようなものは得られなかったと言える。
しばらくした後、2人から礼と謝罪と自己紹介を受けることとなった。
「俺はアルフレッド。冒険者をしていた。……今回は、よく分からないが助かった。ありがとう」
黒騎士はそのヘルムを脱いで名乗った。なかなかの美形と見える。
「私はギル。元レクス王国騎士団団長だ。アルを助けてくれて──」
「王国騎士団……?」
俺はつい、殺気を放っていた。無意識のうちにだった。
「も、元だが……な、何か気に触ることでも…」
俺はステッキを取り出そうとして、やめた。
「違う、そうじゃないな。俺はエルゼ。王国騎士団長って言うのが本当なら、さっさと王都に戻ったほうがいいと思うよ」
「ど、どうしてだ…?」
「国軍総司令官……?とかいう肩書きの一派がクーデターを起こそうとしてたみたいだから」
「なっ……!?それは本当か!?」
「さぁ?下っ端連中は話も聞かずに殺しちゃったし、分かんないけど」
「殺……いや、分かった。私は向き合うべきなのだろうな。今度こそ、己の正義が何かを見極めなければならないのだろう」
「……?」
「情報提供感謝する。アル、私はこれから王都に戻ろうと思う。アルは──」
「いや……俺は王都に戻れないだろ。戻ったらすぐにでも咎人として…」
「アル、正体を知っているのは私だけだ。確かに罪は罪だが、誰もそれを咎めることはない。それに、私も騎士団長の座を置手紙1つで失踪した身だ。アル程じゃないにしても、相当の問題児だよ」
「だけど、それでも俺は償わないと…俺は…これまで……っ」
俺としてはバレなきゃ犯罪ではないという意見は賛成こそできないが反対もできないので、それについて何か言うことがあるワケではない──ワケではないが、騎士団長という立場においてそれはどうなのだろうと、思わなくもない。まぁ、貴族とかがいる世界だし、偉い人が白と言えば白になってしまう世界でもあるのだろうし、別にこの黒騎士が何をしていようと、俺には関係もないのだから、思うだけだ。
「っ、死んでいった人間に対して出来る償いなんて無いだろ!だったら、散々迷惑かけて大怪我も負わせた私に償え!拒否権などない!」
しかし、悔しそうに、自分を責めるようにして言うアルに向かって、ギルはキレた。
それはどうなのだろう。本人が罪の意識に苛まれているのなら、確かに悪魔に乗っ取られてのことだったのかもしれないにせよ、それを叱りつけるというのはまた違うのではなかろうか。気に病んでしまうのを防ぐために無理やりにでも考えさせないようにした、というのなら分からないでもないが、まぁ、これもまた俺の気にすることではないのだろうな。
「…………ぁ…わ、分かった。行く、行くよ」
「だったらそんな鎧は脱いで、さっさと立つ!早く戻らないとなんだから」
といった、これまた2人にしかよく分からない会話をし、夜闇の中を突き抜けるようにして去っていってしまった。
「何だったんだろう。あの人達」
俺はなんだったのかよく分からないまま、月の位置を見て、今度は道を間違えないよう飛び立った。
そして朝になると、俺は海とその港の国、ノアマ皇国に到着した。