疲弊
「また騙しましたわね!」
「やーい、ザァコザァコ」
「ザッコですの!それより、今日はどんな言い訳をするつもりですの!」
俺は説明した。
日にちという概念がこの世界でどれだけハッキリしているのかは分からなかったが、昨日の約束と今日という言葉についてを。
すると、この世界では朝を境に一日が始まるという風に認識していたそうで、俺の考えていた言い訳は理解されなかった。
人や住んでいるところによってその日の始まりが大分ずれているのだなと思ってそのことを説明したが、やはり理解はされなかった。
いきなり太陽がドンと現れるわけじゃないのだからそのくらい分かりそうなものだが。でも確かに、ネットで大陸の西端から東端までがリアルタイムで繋がっているワケでもなければ、少しくらいズレていたとしても困らないのかもしれない。
「で、何か申し開きはございまして?」
「無い!…………というか、依頼人が見張りなんてするもんじゃないでしょ」
「いえ、そういうことではなくて……」
「そこを気遣うくらいなら、抱えるなりなんなりして飛ばせてもらいたいんだけど」
「……それは──」
「無理ならこの話はもう無し。俺はともかくとして、ザコが疲れたまま移動すると1日に進める距離が減るんだよ」
「そうかもしれませんけれど……だったら私は……」
「心配しなくても、仮眠くらいはこっちでも勝手にとってるから。……さ、朝ご飯にしよ」
「ハヤテさん……ザッコですの…」
俺の疲労を気遣ってくれているのかは知らないが、それならさっきも言った通り飛んでいかせてくれ。
そう、切に願う。
△▼△▼△▼△▼△
「お〜しまいっと」
茂みから出てきた魔物をデコピン一発でバラバラにし、周囲に何もいないことを確認する。
出てきたのは彼女曰くオークという魔物。アレだ、薄い本でよく見るやつ。
これは別に俺が薄い本をよく見ているだとかそういうジャンルの本を好んで愛読しているだとかそういうことではない。
ただ個人的なイメージ──というか大体どこで見てもアレは緑色をしていた気がするのだが、この世界で見かけたあのオークはピンク色に近かった。
その上人型なので、俺は当初裸のデブが茂みから出てきたのかと勘違いしたくらいだ。
オークは豚に近い魔物というイメージもあったのだし、ピンク色というのもそこから考えればおかしくもないのだが、ちょっとビックリした。いや、そもそも元の世界では架空の生き物なわけだから、それこそゲーム的なイメージしかなかったわけだが。
まぁ、もし仮にアレが露出魔だったところで殺すことには変わらなかっただろうな。カトリーナはトラウマでも負ってしまいそうだし、カエラの教育にも悪いから。
だが殺し方がいけなかったのかもしれない。カトリーナが怯えるようになってしまった。
スッと手を動かすと、肩がピクリと動いた。
指をデコピンの形にして構えると、小さく悲鳴を漏らしている。
「するわけないでしょ」
「なら怖がらせないでくださいまし!」
「…………」
腕を突き出し、指を構えた。
「ヒッ……!」
俺はサディスティックなのかもしれない。
それを謝ると、暇潰しがてらにオークという魔物について聞くことにした。
オーク。
なんというかゴブリンの上位互換的な存在と捉えていたのだが、実態は全然違う魔物であった。
まず薄い本みたいな習性は持っていないということと、あの見た目の割にその肉はかなりの高級品として取り扱われていることなどが分かった。
どうやら美味しいらしい。豚肉以上に。
………………。
アレを食べようという気にはならなかったので、バラバラに吹き飛ばして殺したことを残念に思ったりすることはない。
それに勇者と行動をしていた時にララトリスがどうのこうのという話をしていたわけだから、この世界の住人が魔物を食べること自体に忌避感を持たないというのは知っているのだが、そのフォルムが鳥か人型かではかなり違うだろう。
しかしそれを語るカトリーナの表情は恍惚としたもので、その味は気になった。
「幼い頃、王都で食べたあのお肉はとても美味しかったですわ…」
「王都か……間に合うかな……」
「間に合うか、とは?」
「ん?あぁ、いや。あ、そうだ、王都って入るのに必要なものとかってあるの?」
「え?えぇ……と、そうですわね…貴族は簡単な検査をすればすぐに入れますけど、平民の場合はそこに身分証と銀貨が1枚必要ですわね」
「え、身分証要るの?」
「王都ですから、当然ですわ。……まさか、身分証をお持ちありませんの?」
お持ちじゃありませんわよ。この世界にきてまともに街っぽい場所に入ってないんだから。
あのツェルン村が見た中では一番大きかったけど、結局村だし。そもそもそういうのがこの世界に存在するとか知らなかったし。
保険証とかなら持ってるけど……ここじゃ使えないしな……
「それってどこで発行できるの?」
「王都や領都ですわね」
「……え、おかしくない?入るためには身分証がいるんでしょ?なのにそれを貰うためには王都に入んなきゃダメなの?」
「王都でも発行できるというだけで、多くの人は、生まれた領地の領都で作った何かしらの身分証を持っていくんですのよ」
「……ん?国外の人間は?」
「王都以外の場所では身分証が無くても入れますからそこで作る事もできますし、王国と交流のある地域で発行された身分証であれば、銀貨を2枚追加で払えば王国のものと同じように扱われます。ですから、外から来た人でも王都に入ることはできますわよ?」
……そっか。王都って王国の真ん中ちょい上あたりにあるわけだから、他の国から来た人はそこに行きつく前にどこかしらの街を通るわけだよな。で、その時に作るなりなんなりすればいいと。
いきなり大陸の中に放り出された俺とは状況が違うんだ。それはそうだ。
「もし必要なら、私の領地でもハヤテさんの身分証くらいなら発行できますわよ?」
「それって結構時間かかるんじゃないの?」
「場所によりますけど……冒険者ギルドなら、数分で終わりますわね」
「速いんだな。まぁ、それなら送り届けるついでに貰っていくかな」
「その為にも、まずは領地に戻りませんと」
会話もほどほどに歩いていく。
「……おっ…と…危ないですわ……」
時折転びそうになっては、渡していた剣を杖のようにして身を支えている。
もう既に、この2人の疲労は限界に達している。現にカエラは魔物が出た時でもなければずっと寝ているし、カトリーナはその意地で何とか立っているだけで、気を抜けばそのままぶっ倒れるだろう。
睡眠はとらせているがアレで疲れが取れるわけもなく、1日に何時間も歩き続ければこうなるに決まっている。
「なぁ、ザコ…」
「言わないでくださいまし……!自分で一度決めたことは守らなければ……誇りさえ失ってしまえば私は……!」
カトリーナはそう言い放ち、唇を噛んでいた。
よく分からないが、彼女なりに抱えているものはあるのだろう。
「誇りがどうとかは別にいいんだけどさ……とりあえず今日はもう休も。その状態で歩いても大して進めないから」
「あ……はい……ぁ」
「ザコッ!?」
休もうと言うと、返事をするなりどさりとその場に倒れてしまった。
しばらく寝かせていたのだが、結局夜になっても起きることはなく、その日はその場で野営となった。
明日以降は休憩をもっと短いスパンで挟んでいかなければならないだろうと、肩を落とした。
△▼△▼△▼△▼△
「これは……これはゴミだな。燃やしとこ」
明朝。
俺は昨晩になんとか1人で起こした焚火にゴミを投げ入れていた。
パチパチと燃えていく炎に枝をくべ、魔法鞄の中を覗き込む。
「これは…音楽の教科書か。これはちょっと置いておいて…これもゴミだな。プラスチックって燃えんのかな……可燃ごみじゃないからダメか」
俺は昨晩、暇な時間をどうしようかとあれこれ考えた結果、魔法鞄の中についつい入れてしまう色々な物の整理をしていた。
色々な物、違う、ゴミ処理だ。
鞄の中にはどうしてもレシートやらなんやらを詰め込んでしまうものである。
そんなゴミの類を燃やしていると、テントの中からカトリーナが出てきた。
その表情は未だ疲れの抜けないモノであったが、それでもどこかスッキリしたような顔で歩いてきた。
俺はおはようとだけ言い、彼女が何かを言うのを待った。
テントに運び込む段階で彼女の事を持ち上げているし、そうでなくても昨日倒れ込んだ段階でガッツリ掴んでしまっている──いや何、掴んだというのは肩とかであって変なところではない。決して。
しかし、今まで散々あんな会話をしてきてこれなのだから、何か言われるのではという思いはある。
もちろん、それを咎められるのは癪だが、咎められても仕方のないことでもあると認識はしている。
そう思い待っていたのだが、カトリーナは俺のすぐそばまで寄ると、何かを言おうとして、結局何も言わずにしゃがみこんだ。
「ん……この本は何ですの……?」
そう言って手に取ったのは音楽の教科書。俺が一度魔法鞄から出して脇に置いておいた物だった。
「それは……音楽の教科書。学校で使うやつ」
「学校……ハヤテさんも上流階級の出だったのですね」
「上流階級……いや、中流だよ」
我が家を上流階級だと言うつもりはないが、父さんが頑張ってくれているお陰で我が家はいい暮らしをさせてもらっている。自分の部屋も貰っているし、欲しいと思ったものはそれなりに買ってもらってもいるのだ。それを間違っても底辺などと言うようなことは絶対にない。流華先輩という本物を知っている所為で、上流とも言えないのだが。
「中流……でも音楽を学ぶなど、上流階級でも実力を認められた極一部の者のみにしか認められませんのよ?」
「そう…?みんなやるけどね。楽器触ってみたり、合唱してみたり」
あれはどちらかと言うと卒業式のための準備をする、そのための授業なのだろう。校歌を覚えたり、合唱曲を歌えるようにしたり。
それをするくらいなら声の出し方でもみっちり教えてくれた方がカラオケなんかで役に立つと思うのだが、そうでないから「この授業は必要なのか?」といった認識が俺の中に小中から今もなおあり続ける。
そんな授業が音楽だ。
カトリーナはそんな音楽の教科書の表紙を眺めていた。中を捲るのではなく、表紙を眺めていた。
そこにあるのはピアノなど楽器のイラストくらいのもので、何の面白みもない。小学生の時のモノよりかは幾分かスタイリッシュな様相を呈しているのだが、とりわけこれと言って特筆すべき点のないただのイラスト。
描いた人にとってはこんな言い方失礼極まりないと思うかもしれないが、彼女がまじまじと見つめているそれを、そんなに面白いものだと評価する人はいないだろう。
しかし、彼女が見ていたのはそれではなかった。
「これ……何て読みますの?」
表紙の上部を指差して言った。
そこには日本語が記されていた。