ザッコ
朝。
森の外を2人で歩いていた。
俺としては飛んでいきたかったのだが、朝の森の澄んだ空気を感じていたいというのと、この3日間ずっと空を飛んでいたのだからたまには地面を歩かせてくれと言う、切実な願いによるものであった。
このままずっと徒歩というのもそれはそれでなのだが、この清涼な空気を吸い込んでいると、またそれもよさそうだなと考えてしまう自分がいることに気が付いた。
俺はきっとこれまでの長い都会生活の中で、自分でも気がつかぬうちにこういう空気を求めていたのかもしれない。
大抵の場所へはひとっ飛び出来てしまう自分であったが、それでもわざわざ朝から時間を使って自然の近くを歩くというのは、考えても実行に移すことはなく、そういう意味ではこれもいい機会ではあったのかと、そんなことを考えていた。
しかし、カエラの方はそういうつもりで歩いていたのではないそうで、何度か俺の方を見ては、言い出しづらそうに、それでも何とか考えを整理して、俺に話しかけてきた。
「ねぇ、どこかに行っちゃうの?」
「ん…?…………うん」
俺は遠くの方に目を向けていた。鈍色の空であった。
雨が降らないことを祈りながら、話の続きを待った。
「それは……絶対?」
「まぁ、帰る方法が見つかればすぐにでも。そのために今勇者も使ってるんだし」
「ゆ、勇者……?勇者ってあの勇者様?」
「そう。ティリス達。そう簡単に死ぬこともないだろうし、もう少ししたら合流して魔王倒させて。それが上手くいけば俺は帰れる…確信はないけど」
「そっか……勇者様か…やっぱりすごいね」
「それに、フィルシュフェルが困ったら自分のところに来いって言ったのも、多分俺が向こうに帰ることは分かってたんだと思う。それがどういう方法かはわからないけど」
「それは……別にそれはいいんだけど……」
「まぁ、そうでなくてもここまで連れ回した以上、適当に野山に放逐したりはしないから」
「……最後まで付いて行きたかったけど、そういうわけにはいかないもんね」
「……ごめん」
「いいよ」
「にしても、詳しいことは聞かないんだな」
「……今まで話さなかったってことは、……エルゼにとってそれは聞かれたくないことなんでしょ?」
別に。そう言おうとしたが、その代わりに俺は言った。
「御厨 颯。エルゼは…この世界に馴染むための別名だから、颯でいいよ」
「分かった。ハヤテね」
俺達は日が昇りきるまで歩き続けた。昼は魔法鞄の中にあった何かでも食べて済まそうかと思っていたのだが、そうはいかなかった。
よくもまぁこのペースで次から次に問題ばかり起こるものだとは自分が一番思うが、そんなイベントという問題を求めて歩いているのは自分なのだから、文句を言うのは違うのだろう。
そこで出会ったのはまたも少女。
とは言っても、今度は自分よりも年上な感じさえする、そんなどこか威厳のある──いや、もしかしたら威厳は無いのかもしれないが、どこかの御令嬢であった。
薄紫色の長髪を肩の辺りでクルクルにしている、典型的な貴族令嬢が道端に倒れ伏していた。
服は所々裂けており、そこから見える肌も傷だらけのモノであった。
「な………なん………ですの………」
両手を懸命に動かして立ち上がろうとしていたものの、力が上手く入らないのか、その場に何度か倒れて、結局諦めてしまった。
そして今は何とかして顔を上げ、その切り傷だらけで泥だらけの顔をこちらに向けている状況である。
「ハヤテ!」
カエラはそれを見て助けようと思ったのだろう。俺の袖を引き始めた。
しかし、この令嬢は俺達の顔を見るなり言った。
「田舎臭い……顔ですわ……ね……」
「何なのこの人……カエラ、行こう」
唐突の罵倒。俺は即座に見捨てることを選択し、カエラと再び歩くことにした。
「え!?まだ生きてるけど!?」
「そうだね。まだ生きてるね。とどめでも刺す?」
だがやはりというべくか、カエラはこれを助けたいらしい。
「刺さないわよ!助けられないの?」
「えぇ……だってコイツ、今この状況で俺らの事馬鹿にしてきたんだし……別によくない?」
俺には分からなかった。何故この助けてもらえるかどうかの瀬戸際で、生殺与奪の権を握った相手を怒らせられるのかと。
「助けて謝ってもらいなさいよ!そんなことで!」
個人的には絶対に助けたいと思えないタイプだが、まぁ、仕方がない。
「はぁ………」
俺はステッキを構え、流華先輩の神剣に変化させる。
これってホント、どういう原理で出せてるんだろうか。同時に2つ存在することにならないのだろうか。
次元を超えてるからというのであればともかく、向こうでも使えたし。
まぁだから、エルゼが言った『何でも』っていうのは言葉通りの意味なのだろうな。言葉に縛られているというか、それが与えられた概念というか。難しいことは分からないけれど。
「形状変化、命の盃」
剣は済んだ液体に満たされた銀の盃へと形状を変える。俺はそれを掲げ、発動させた。
「慈愛の雫」
零れた一滴がその令嬢の身体に降り注ぐと、その身が光に包まれていき、体中に付いた傷が癒えていく。
魔力が強制的に半分持っていかれる代わりに、受けた傷を全てなかったことにする術だ──古傷なんかまで治せるわけじゃないそうだが。
そして、半分というのは魔力の残量からではなく最大量から。なので、戦闘中にこれを2連発はまずできない。
俺が実際にこれを使ったのは初めてだが、下手に使うとリヴァイアさんと同じことになりそうだな、医療技術を滅ぼしかねない。
「な……治ってる……」
しばらくの間、失礼な令嬢、略して失令嬢をどうしてやろうかなどと考えながら、その目を覚ますのを待っていた。
もう助けたのだし置いて行ってもいいかな。そう思い歩こうとした俺の手が掴まれてしまったので、仕方なく。
俺がこの女の利用方法を考え付いたところで、ちょうどよく目を覚ましてくれた。
「ん……うぅ………ここは……?」
「あ、起きた」
「大丈夫?ハッキリしてる?」
「な、なんですの……?私、死んでしまいましたの……?」
「何でそうなる。てか俺らを勝手に殺すな」
「貴方は……さっきの……」
「名前は?覚えてる?」
それぞれがそれぞれで言いたいことを言い始めたことで無事に収拾がつかなくなってしまったので、一度整理することにした。
「ここは……どこだっけ。確か王都を東に越えた先の……森沿いの道か。場所は分からないけど」
「そうですの……あ、まだ名乗ってませんでしたわね。私はカトリーナ・ルブ・ザッコ。栄光なるレクス王国の貴族に名を連ねる物にして、栄誉あるザッコ伯爵家の長女ですわ!」
「ザッコ……なんか情けない名前ですね」
俺は正直に呟いた。ザッコって。雑魚じゃん。
自分では口にまで出した覚えもなかったのだが、つい漏れてしまっていたらしい。
それを聞いたカトリーナは目を剥いてこちらを睨んだ。
「んなっ!?あ、貴方……失礼な方ですわね!」
「どの口が言うんだ、あんただろそれは!人の顔見るなり田舎臭いだのなんだの言いやがって!」
「ま、まぁ、ハヤテ。多分意識が朦朧としてたんだよ。だからほら、いったん落ち着いて………えっと、私はカエラと申します、カトリーナ様」
カエラは俺を宥めた後、カトリーナに対してお辞儀をした。相手が貴族とあっては先程のような砕けた口調もできないと考えたのか、カエラは丁寧に振舞い始めた。
礼儀作法を知っているわけではないのだろうが、それでも彼女ができる精一杯で。
「あら、貴女は小さい割にはしっかりしていますのね。ですが、私の命を助けてくださった恩人ですもの、そんな風に振舞わなくてもよろしくてよ?」
「助けたのは俺だ、この紫頭!」
「む、紫頭って……!お母様から頂いたこの髪色を悪口のように言わないでくださいまし!」
「はっ!行き倒れてた時はナスでも落ちてんのかと勘違いしてたわ。悪かったな」
「んんぅぅ~~~~っっ!!」
「ハヤテ…女の子いじめちゃダメでしょ?ね?」
「女の子って……こいつ多分俺より歳上だよ」
「えっ……そうなの!?」
「私は今年で18になりますの」
「じゃあやっぱりそうだ。俺は16だから」
「なら尚更、目上の者を敬いなさい!」
「はいはい、お年寄りには優しくしないとな」
「むきぃ~~~~っっ!!」
そんな自己紹介だった。
そして次に、なんであんな所にいたのかだが、これに関しては聞くべきじゃなかったのかなって思ってる。
「ねぇ、ザコ。何であんなところで死んでたの?」
「ザコじゃなくてザッコですわ!それに一度だって死んでません!」
まぁ、人間は普通一度しか死ねないんだけどな。
「でもどのみち死んでたよね?」
「ま……まぁ?それについては感謝していないこともありませんし、領地戻ったら何か褒美でも……はっ!」
何かに気が付いたような、何かを思い出したような声を出すと、あわあわとしはじめた。
何かと問うと、領地がとかお父様がとか、何分要領を得ないことを譫言のように連ね出した。
落ち着かせてから話をよくよく聞いていくと、なんでも彼女の住んでいた領地はここから東に行った先にあるザッコ伯爵領なのだそうだが、そこへ魔族が入り込み、経済及び軍事面での重要拠点である鉱山を占拠してしまったとのこと。
当然兵を送るも、その悉くが全滅。その上、以前より王都から領内に派遣されていた王国騎士団とも連絡が付かなくなってしまい、これではマズいとカトリーナが数人を伴て王都へ兵力の増援要請に向かうことにしたのだそう。
だが、その道中に魔物の群れに襲われた彼女らは、連絡係を命懸けで逃し、その後もなんとか残った者達で戦っていたのだが、群れの数が増えたことで散開し撤退。
逃げている途中で力尽き、あそこで倒れていたところに、俺達が通りかかって今に至ると。
やっぱりどのみち死んでたんだな。
「今からまた王都に向かうの?」
「いえ、馬もあの2人を逃がすために放してしまいましたし、私1人でここから王都に向かうくらいなら、領土に戻る方が賢明かと」
「ふぅん……自分よりも部下を逃がしたんだ」
「私は乗馬があまり得手ではありませんもの。あの2人が全力で向かえば……それまでお父様たちが持ちこたえることが前提ですけれど」
「お優しいことで。でも上に立つ者としてどうなの?」
「普段ならそれもそうですわ。けれど、この緊急時に際しては領土領民の安全を保障することが、貴族としての義務であり、使命なのですから」
「使命……か」
色々なところで聞く言葉だ。途中でカエラの腹が鳴ったことで、俺達は軽く昼食をとることにした。
「まずはザコ、手洗ってこい。爪の中もな」
「ザッコですの!」