赤竜
「よし、これで全部か」
「あ、ありがとうございます…?」
「エルゼが悪いんだから、お礼なんて言っちゃダメでしょ」
果物を拾い終えると、俺達は歩き出した。
俺は金髪の少女を見た。
自分より歳下の子にこんなことを言うのもなんだが、なんというか、その……やめておこう。
さっき驚いて尻餅をついたときに見えた──というか、今も時折山中を吹く風の所為で何度か見えているのだが、この子、身に纏った白い布以外何も着ていない。
俗に言えば──いや、低俗に言えば露出プレイという奴なのだろうが、流石に変な癖に目覚めるのが早過ぎるのではないだろうか。
変な子である。
この世界は日本よりもだいぶ涼しく、この山なんて人によってはちょっと寒いくらいだ。そんな中を、ほぼ裸同然の姿で果物を持って歩く──ダメだ、何がしたいのか分からない。
「…………」
こう、何というのだろうか……堂々と真っ裸を見せられるよりも、見えるか見えないかの瀬戸際でチラリズムしている方が、男としてはエロティシズムを感じるのだろう。
感じるのだろうって、何言ってんだコイツ気持ち悪い。
俺はもしかしたらロリコンなのかもしれない。そんな考えを振り払うように、俺は尋ねた。
「ねぇ、んなとこで何してんの?」
「……私、これから食べられに行くんです」
少女は目を伏せてそう言った。
た、食べられるって……やっぱりそっちなのか……?そういうことなのか……?
分からない、異世界の基準が分からない!
自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
「あ、あぁ……っと、そうだ。俺はエルゼ、こっちはカエラ」
俺は思い出したように名乗った。少し冷えた山の空気で、顔の熱は引いた気がした。
「ルーナです」
「で、そ、その、食べられるっていうのは……?」
もし勘違いの場合、俺はとんでもない恥を掻くことになりかねない。なので確認することにした。
「知らないんですか……?」
「……何を?」
そういう性癖があるってことを?そういうことなの?止めてよ俺下ネタ苦手なんだから。
いや露出プレイ自体は知ってるし、大自然の中で素っ裸になれたら開放感ありそうだなとは、たまに思うけど。実際にやろうとは思わない。
「赤竜様です」
「せ……赤竜?ドラゴンみたいな?」
「はい。真っ赤なドラゴンです」
おぉ……!流石は異世界、魔王もいればドラゴンもいるのか!
じゃないわ、これ食べられるって普通に言葉通りの意味じゃないか。
今度は別の意味で顔が熱くなっていくのを感じる。
危ないにもほどがある。こんな少女に対して特大のセクハラ攻撃かますところだった。限りなくアウトに近いアウトだ。
「ドラゴンねぇ……ドラゴンっておいしいの?」
「えっ…?」
「エルゼ…?な、何言ってるの?」
「え?あぁ、いや、食べたことないから」
ドラゴン肉のステーキとかはゲームとかなら定番と言うか、食べてみたい。
食べてみたいなんて言うとそれこそエルゼを思い出したりもするわけだが、昔からの憧れでもあるわけだし関係はない。
それに、今まで魔物と言うのは倒したら消えてしまうような存在だったわけで、だから後処理とかの必要もなかったわけだけど、そのために食べることはできなかった。
倒しても消えなさそうなのと言えば地球古来の妙ちくりんな生き物になるわけだけど、流石にあの魚人やリヴァイアさんを食べようって気にもならないしな。
リヴァイアさんは食べたら猛毒みたいだし、魚人は食べたら胃の中から叫び声とか聞こえるようになりそうな気がするし。
「まず誰も食べたことないと思いますよ?」
「何で?食べようとかならないの?」
「勝てない相手を食べられるわけないじゃないですか」
「そっか……」
「エルゼ……この子今からそのドラゴンに食べられるって言ってるんだけど……」
まぁ、異世界だしな。日本にだって昔はそういう風習もあっただろう。いや、世界中にそういう習慣や儀式なんて言うのは存在したわけで、この世界にもそういうものがあるのだろう。
だが、目の前でこうして出会ってしまった上でそれを見守るというのも──確かに、他所様の価値観に口出しはすべきじゃないのかもしれない。
けど、流石にこれは……
「何でルーナが食べられなきゃいけないの?」
俺があれこれ考えていると、カエラが訊いた。
「赤竜様は毎年生贄の条件を出すんです」
「条件?」
「はい。去年は若い男と言ってました。その前は確か、赤子をと」
「ふん……今年は?」
「初物の少女だそうです」
「初物?」
初物という言葉の意味が分からず、俺はしばらく考えた。
初物。
食べると寿命が75日延びるらしいが、それは確かその季節に初めて収穫された作物なんかを指すんであって──俺は手元の籠を見た。
なるほど。
「それが初物?」
「え、いえ、初物は私の方です」
「エルゼ、多分処女の事言ってるんだと思う」
「…………」
俺の中でのドラゴンに対するイメージや評価下がっていくのを感じた。
処女厨のドラゴンか……無いな……無いわ
「よし、殺そう」
「「は?」」
それがどんなドラゴンかは知らないが、俺はそれを殺すことに決めた。何も突飛なことではなく、心境としてはスライムの時に感じた苛立ちと同じだ。
イメージを崩されての怒りである。
「赤竜様を倒す……と?」
「そうしなきゃルーナ、このまま食われて死ぬけど」
「そ、そうですけど、でも……無茶ですよ」
「無茶ではないと思うけど」
「もしできなかったら、もし怒りに触れれば、皆殺されちゃうんですよ?」
「どっちにしろ君は死ぬよね?」
「はい……でも村には、リルスがいるんです。リルスには……死んでほしくない」
「リルス……?でも君が生贄になるってのに誰も助けに来ないんでしょ?1人で死ぬのはなんか悔しいとか思ったりしないの?」
俺だったら思う。
自分が死んだ後の世界なんざどうでもいいというか、自分が死んだらそこで終わりなんだから、どうせなら皆一緒に死んでほしいという、身勝手で自分勝手な思いが。
その死因が理不尽なモノであれば尚更そう思うだろう。
「助けになんか、来れるわけないじゃないですか」
「何でさ」
「あの村からは、生贄以外、外には出られないんですよ」
「…………?」
「王国からの命令です。あの村は生贄を差し出すために管理されてるんです」
「管理……はぁ。何か人間牧場みたいだな」
「人間牧場、確かにその通りです」
「ふぅん……でもさ、そのリルスだって来年生贄になるかもしれないんでしょ?だったらそれこそ、今年死んでもそんなに大きな違いはないと思うけど?」
「だとしても、少しでも長く生きて欲しいって、そんなの当たり前の事じゃないですか」
「それは……向こうも同じじゃないの?」
「え……?」
「親よりも先に生きてて欲しいって名前が上がるような子なんでしょ?だったら向こうだって、ルーナには生きて欲しいって思ってるんじゃないの?」
「……私が選ばれた時に泣いてくれたのは、なんとかして助けようと色々考えてくれたのは、最後まで私に手を伸ばしてくれたのは、リルスだけですけど……」
「だったら尚更、2人で生きればいいじゃん」
「出来るんですか……?」
「助けて欲しいなら助けるよ。ドラゴンは食べてみたいし」
「…………じゃあ!助けてください!私を、リルスを!」
ルーナは顔を上げた。ずっと足元を見ていた彼女の顔を、改めてちゃんと見れた気がした。
「はぁい」
「エルゼ、本当に挑むの?エルゼは強いけど、盗賊団とは生物としてのレベルが違うよ……?」
「俺も俺で生物としてのレベルが違うから。まぁ、アレだったら2人はここで待っててもいいけど」
「いや、行く。一緒に行く」
「ルーナは?」
「私も行きます」
俺は2人を抱えると、山頂を目指し飛び上がった。それなりに高い山だが、平地も山も飛んでしまえばそこに大きな違いはない。
ドラゴンらしき姿は確認できないが、どこかに隠れているのだろうか。
辺りを警戒しながら山頂に降り立った。すると、どこかから低く唸るような声が聞こえた。
「人間、ここが我の領域と知っての事か?」
頭の中に聞こえてくるような声であった。
2人にもその声は聞こえていたのだろう、それが表情によく現れていた。
「知るか」
「ふん……?贄の護衛というワケでもなさそうだが、何をしに来た。場合によっては──」
「ドラゴンの肉を食いに来た」
「…………は?」
「ドラゴンの肉を食いに来た」
「…………はぁ…よかろう」
「え、いいの?」
「そうではない」
そう言うと、辺りに風が吹き荒れ、そこには真っ赤なドラゴンが鎮座ましましていた。
おぉ……赤というよりは紅と言う方がふさわしいのだろうが、紅い巨体に黒い角、金色の瞳にシュッと出た口。微かに開いたその口元から覗かせる牙。
ドラゴンで間違いない。羽もついてるし。
なんか羽ついてるって言うと餃子みたいだな。
そんな余計なことを考えていると、その赤竜は口を開くことなく話し始めた。
「我を殺しに来たと言うか」
どうやって言葉を発してるんだろう。
「いただきます」
手を合わせた。パンッと、乾いた音が山の頂で響き渡った。
「ククク、人間風情がえらく大きな口を叩くようになったものよ。だが、我には勝てぬわ」
「口が大きいのはお前だろ」
「そういう意味ではない」
俺は2人を下ろし、後方へと下がらせると、魔力を解放していく。ビリビリと小さな電流が周囲に走り始めると、赤竜に対して威圧を放った。
「ほぅ……ただの人間ではない、か」
赤竜は顎を少し上げて、それでもその眼はこちらを見続けていた。
そしてゆったりとした動きで立ち上がり、四つ足で立ち上がると、翼を大きくはためかせた。
「確かに俺はただの人間じゃないけど、お前はただの獣だな。姿を大きく見せて威嚇する…アライグマか何かか?」
「抜かせ。人間が我らに勝とうなど、あってはならんのだ」
「勝てない、から、あってはならないに変わったな」
俺は構え、魔法を放った。
いつも通りの極光。
普段ならそれで全てを破壊し消滅させていくはずだったが、ドラゴンという生物は硬いらしい。
「グアァッ……!!」
その堅牢な鎧を思わせる外皮を貫くことはできず、赤竜を空へと押し出すことが精一杯であった。流石にドラゴンと言うだけのことはある。
リヴァイアさんと戦った時にもこういった状況はあったわけだが、しかし、その時より状況は良さそうだ。魔法を撃ち込んだその箇所だけが黒く変色していたのだから。
煙が立ち、そこで初めて赤竜は焦りを見せたように見えた。大空でその翼をバサバサと動かし、風を起こした。木々がその葉を散らしながら風に吹かれる。
俺は一点を狙い続け、焦げた個所を執拗に攻撃し続けた。赤竜は空を飛び回りながらその光線を躱し続け、時折炎をこちらに放つ。
「グァアッ!!」
「アクア・スティンガー!」
岩を溶かすような高温の炎に対し、俺は水の撃針を放った。それは幾度か繰り返されると、山の上空にて激しい爆発が起こり続けた。
そんな中からでも、まるで互いが互いの位置を知り尽くしているかのように、攻撃は飛び交っていく。
優勢なのは確実にこちらであった。向こうの攻撃はこちらに届くこともなく弾かれ続けたが、向こうがこちらの攻撃を弾くことはできず、どうにも身を捩じらせて回避に専念するのが関の山の様だった。
それにそもそも、こちらとあちらでは的の大きさが違っていて、俺の方が圧倒的に狙いやすかったのだ。
人を簡単に踏みつぶすだけの巨体は、皆にさぞ畏れられるのだろう。
が、この場合においてはネズミのように小さな躯体の方が、赤竜にとっては都合がよかったのだろうな。
そんな術があるのならさっさと見せているのだろうし、もしそれができるのなら俺も俺でやり方を変えるだけだが。
「シャイニングメテオ!」
下からの攻撃ばかりでは芸が無いと、俺は天からも攻撃を落としていった。
白く大きな曇に大穴を開け、赤く燃える礫が赤き竜目掛けて降り注いでいく。
その間も下からの攻撃を止めてやるわけではない。とうとう回避も雑になっていき、その翼膜にはいくつかの穴が開き始めた。
そうして空を舞っていた赤竜のバランスが目に見えて崩れ始めると、その声は聞こえてきた。
「ま、待て!人間、取引をせぬか?」
「取引?」
俺は攻撃の手を緩めることはなく、ただ聞き返した。
「肉が食いたいと言っておったろう?ならばいい肉を知っておる。飛竜の肉だ」
「飛竜の肉?飛竜……ワイバーンか」
「あぁ。そんな名でもあったな。どうだ、その肉をくれてやる代わりに、ここは退かぬか?」
「何で?」
「な、何故?この我をここまで追い詰めたのだ。それで十分であろう?」
「でも殺せば全部俺のモノだよな?」
俺は言った。
赤竜が飛竜の肉を持ってこれるというのは、つまりは飛竜は赤竜より弱いのだろう。
しかし別にコイツにそれをしてもらう必要はない。食いたきゃ自分で取りに行く。盗賊の時と同じだ。
それに何より──
「人間を食う奴の味覚でお薦めされてもなぁ」
「ハッ…あくまでも殺すというか…!我を、竜種を…!」
込める魔力を段階的に上げていく。コイツは今、この場から逃げることを考えているのだろう。それは動きを見れば分かる。
だがしかし、赤竜がそれをできないでいるのは、進行方向に攻撃が放たれているからであった。俺がそれを許さぬように攻撃を放っているのだから当然だ。
だからこんなことを言い始めたのだろう。
人も竜も知能を持てば、結局のところ生にしがみつくための行動は何も変わらないのだ。
別に俺はコイツに何か恨みがあるわけではない。あるとすれば殺されていった人達の方だろう。
だが俺は、ちょっとした経緯で1人の子を助けることにした。そこに関わっていたのがコイツの運のツキだ。
「やめろ…!我は、我はこの世界の…!」
「死ねやッ!!」
放った魔法に紛れて赤竜に近付くと、全身を独楽のように回しながらその首を切り裂いた。ひたすら一点集中で魔法を放ち続けたことで刃が通ったが、その巨体から見れば決して深い傷ではなかった。
それでも、致命傷に至ったのだろう。苦しみ悶えるような声を上げながら、赤竜はその命を散らした。
その場で動きが止まり、山から少し離れたどこかへと落ちていきそうになるその竜を、俺は引っ掴んで山の頂上まで戻っていく。
一度山頂に竜を下ろすと、2人の無事を確認した。
常時この2人を庇いながら戦っていたのだが、途中からあまり意識してやれていなかった。
「あ……」
勿体ぶらずに結果だけを伝えるのであれば、無事は無事でも大参事であった。
まずは、木陰で気を失っていたカエラ。
風に吹かれて頭でも打ってしまっていたのだろうが、ただそれ以外の問題はなさそうで、今は眠っているようだった。息もあるし、大きな怪我や出血もない。痣らしきものも見えないと、俺はもう1人に目をやる。
「うわぁ…ビチョビチョだ…」
問題だったのは泡を吹いて失禁していたルーナの方だった。
魔力や恐怖にあてられすぎたのか、とめどなく垂れ流された液体が地面に大きなシミを作っていた。
それも、ルーナは纏っていた布を戦闘の余波で飛ばされたらしく、パッと見は完全に事件後の姿であった。
その後、俺は必要なことを済ませ、2人の目が覚めるまでしばらく待つことにした。
代償として、新品のタオルを1枚捨てることになった。
ルーナに関して、俺ができるせめてもの償いがあるのだとすれば、それは俺が今日の事を忘れてやり、墓場まで持っていくことなのだろう。見てしまったもの故に早々記憶からは消えなさそうだが。
それにしても。
「このドラゴン、どうやって捌けばいいんだろ」
どこかボーっとしながら、そんなことを呟いた。