面影
人間は正義に憧れるものであると、なんとなくそう思う。
悪よりは正義の方がいい。そんなこと、言われるまでもなくそうに決まっているだろう。
好き好んで悪になりたがるような奴は、それこそ創作の中に出てくる敵キャラくらいのものだ。
悪人の殆どは気が付いたら悪人になっていただけに過ぎず、どれだけ強がってもそれは変わらない。
勿論、正義や悪の定義など人によって千差万別だし、そもそも正義や悪など初めから存在しないとも言える。
例えば現代社会。何か悪いことをした人というのがいて、それが報道をされたりする──いや、この場合は別に報道されるほどの悪人でなくてもいいのだが、そう言った人を見つけると皆、我先にとこぞって叩きたがるのだ。
やれアイツは極悪人だ、アイツみたいなのがいるから、と。中には口にするのも嫌になるような言葉で罵倒をする者もいる。
共通点を上げるのだとすれば、それは皆が外野で、自分の立っている場所を正義だと信じて疑わないということだろう。自身を正義と信じて疑わない者は、自身の行いがまさか悪であるなどと考えることがあるはずもない。
そうしていくうちに、初めは1人だった悪人が、結果として何人もの悪人の集団に膨れ上がっていくという連鎖が、日々無為に繰り返されていく。
こういった連中は歴史からも学べないのだなと、つくづく思い知らされるものだが。
そして、それは何故起こるのか。理由など簡単なことだ。
人は正義になりたがる癖して、それでいて大抵は愚かで、醜く、それでいて悪人にさえなり損ねるような中途半端な奴がほとんどだからだ。
そういった存在ほど、その頭でも理解できるような分かり易い悪人を見つけては、自身を正義たらしめるが為に喜び勇んで突貫していき、そんな行いを繰り返すのだ。
その時初めて、その半端者の悪人は本物の悪人になる。意味のない再生産だ。
かく言う俺も、どちらかと言えばそちら側なのかもしれない。
皆と同じように、気持ちよく叩くことが出来る、どれだけ叩いても自信こそが正義だと言い張れる相手を求めているのだ。
だから俺は、眼下に見えたその小さな村に入り込んで暴れていた、いかにもな姿の盗賊達を惨殺していった。
1人目は首を刎ね、2人目は身体を縦に引き裂き、3人目は腹に大きな穴をあけた。
そうしていくうちに逃げ出す奴が出始めると、そういう奴から追いかけては体中の骨を折って殺した。敵前逃亡は死あるのみだ。どうせ死ぬのなら、早いか遅いかだけのこと。
金をやるからと命乞いをする奴は天高くに放り投げ、落ちてくるのさえ見なかった。どうせ殺せばその所持品は俺のものなのだ。手渡しされるか遺品を漁るかの行為に、大した違いはない。
それでも向かってくるような勇気ある奴も同様、頭を、身体を、俺が与えられたその力で消し飛ばして転がしていった。
そうして最後の1人は、その胸に腕を突き刺し、心臓を引き抜いて握り潰した。
やっていることは完全に敵キャラもいいところだろう。
だが、これでも俺は正義だ。正義が悪を滅ぼすのは良いことで、既定路線で、そうあるべきなのだ。多数の正義と噛み合わぬ正義を主張する者は皆にとっての悪であり、故に滅ぼされるのだ。
この場合は、盗賊達の事を指す。
なんとなく1人で考え事をしていると、どうにもホームシック的なモノに苛まれて泣きそうになっていた俺の、意味不明な気晴らしであった。
ティリス達とは聖剣を作ってもらった翌日、ファリウスに究極の剣技っぽいものを伝授してもらっているところまで見届けると、俺は王都とやらまでの大体の方角だけ聞いてから、そこで彼らとは別れていた。
一緒に行動してもよかったのだろうけど、流石にこれから2週間以上もただ歩くだけという彼らと共に居続けてもどうしようもないと、そう感じたからだ。
俺の目的は元居た場所に帰ることで、そのための手掛かりとして勇者という存在に目を付けたわけだが、そもそもそれも憶測にすぎないのだ。その状況では時間を無駄にすることもできない。本命はやはり魔王討伐というイベントだが、それに全ベットはできない。
なので人のいる場所が大体でも分かったのなら、また王都に着いてからそこに合流すればいいかなと考え、それまでは他にも何か手段がないのか、それを探ることにしていた。
そこで見かけたのが1つの、小さな村だった。
今にして思えば、俺は冷静なんてものではなかったのだろう。
真っ赤に染まった腕と、屍の転がった地面を見ていると、だんだんと冷静さを取り戻していくようであった。
まぁどちらにせよ盗賊だったのだし、こうしてこの村を助けたこと自体は悪いことではなかったのだろうから後悔するというのもまた違うとは思うが、ここまでする必要はなかったんだろうなと、そう感じた。
少しばかり姉さんを幼くしたような少女が盗賊に斬りかかられているという光景を目にしていなければ、もしかしたら俺はもう少し冷静にこの問題に対処していたのかもしれない。
幸いにも、その少女は無事であった──尤も、俺がその子の前で見せた惨劇の所為で心に深い傷を負い、立ち直れなくなってしまう可能性が出てきたのは素直に申し訳ないと思うが。
そんなことを考えながら呆然としていると、少しばかり威厳のありそうな老婆が近付いてきた。
「この度は……何とお礼を申し上げればよいのか……」
そう言って頭を下げたが、その体が震えていることは見ればすぐに分かった。
それは老いから来る身体の震えなどとは違う、恐怖由来の震えであった。
俺はこうして力を得て以降、相手の動きや表情に少しばかり気が付きやすくなったように思える。それは視線の動きや体の動かし方など。当然、その内側まで分かるわけじゃないが。
ただ、その言葉に偽りはないのだろう。盗賊が来て困っていたのは事実だろうし、それが全滅してよかったというのもまた事実。しかし、ここまで凄惨な殺戮を見せた相手に対して恐怖を抱くというのも、また仕方がないこと。
やってくれたことは有難いが、それはそれとしてさっさと出て行ってくれ、と。
寒村って感じだしな。もてなせるわけでもなく、かといってこんな危険人物に出て行けなんて言えるはずもなく。
俺としては長居するつもりもないが、今すぐ出ていくわけにもいかない。身体が血だらけなのだ。このまま放っておけば感染症とかになりかねない。
エルゼ曰く、俺はそう簡単に病気になったりはしないそうだが、それでも気持ちが悪い。気持ちの問題だが、気持ちは大事だ。思ったことは大事にしなくてはならない。
「水場を貸して欲しいんだけど」
「水場……ですか」
「血を洗いたいから」
「あ、あぁ……なるほど……では、こちらへ」
そう言って、老婆は俺を水場へと案内するため、歩き出した。
この世界の病気にはかかりたくないしな。異世界由来の病気など、元の世界じゃ治し方も分からないだろう。歴史の教科書にも、西洋人が新大陸に降り立ったことによって感染症が広まり、現地人がバタバタと死んでいったという話が書いてあった。
そうなるとアレか?俺は元の世界に帰っても検疫で引っかかる可能性があるのか?
いや、飛行機に乗って帰るわけじゃないんだからそれは無いだろうけど、もしそう言った病原菌を持ち帰ってしまうことを考えると──帰る前には着替えるなりなんなりしたほうがいいのだろうか。
それかエルゼにでも頼んで浄化してもらうか。
「ここです。狭いですが、近くの川から水を引いておりますので。それから、カエラ」
老婆は村の端の方にあった木製の建物に俺を連れて行くと、そこで血を流すよう言った。
そして先程俺が助けた、と言うよりは俺が暴れる理由となった少女を呼んだ。名前まで似ているのか、そう思った。
髪の色は黒ではなく赤や茶に近いが、その顔立ちはやはり姉さんに似ているように思えた。
「私はラルナで、この子はカエラと言います。この子は私の息子の忘れ形見でして。助けていただき、本当にありがとうございました」
そう言って老婆は改めて頭を下げた。それは先程とは違い、地面に頭をつけての土下座に近いものであった。
言い方からして、カエラは孫と言うことなのだろう。言われてみれば、似ていないこともない……様な気がしないでもないような気がするし、しないような気もする。
…………流石に歳が違いすぎて分からない。
「何で2回言ったの?」
分からないと言えばそちらもだった。まぁ、さっきは足元血だらけだったわけだし「おいコラそこで土下座しろや!」とも言わないが。
「私にも立場がありますから。一応、この村の長をしておりますので。すみません」
「村長なのか」
「あぁ、いえ、村長は……夫は2年前に亡くなりました」
「……そうなのか」
申し訳ないことを聞いたと、バツが悪かった。それなりの年齢のように見えるし、別におかしなことでもないのだろうが、その老婆が語るには俺の予想と少し違っていた。
「殺された……」
「えぇ。先程の盗賊はその一味なのです。ですから他の者たちがあなたを遠巻きにしていたのは、決してあなたを敵視しているのではなく、これで報復されるんじゃないかと、気が気でないのですよ」
何年か前に、近くの村に棲みついたそれなりに大きな盗賊団は、その周辺の村を襲っては配下に収め、農作物や働き手などを持って行くといった行為を繰り返しているのだとか。
俺が乱入したアレも、その徴税…盗賊に徴税権はないのだろうが、その最中だったという。
この村が貧しい感じだったのはそれが原因なのだろうか。
「ん?じゃあ、怯えてたのも俺がやったことじゃなく、報復を恐れての事だったってこと?」
「…………正直申し上げますと、それもあります。ですが、このような状況でもなければ勇者様が来たとお祭り騒ぎだったやも知れません」
両方か。じゃあやっぱりさっきのあれは、この世界基準でもちょっと惨かったということか。
それにしても……
「勇者様……ねぇ……」
別れたばかりですぐにその単語を耳にし、苦笑いを浮かべた。
「あぁ、すみません、余計な話を。それで、カエラ。血を流すのを手伝って差し上げなさいな」
俺の腕を見て、そう言って謝った。俺もそこで体を洗いに来たことを思い出した。
「は、はい……」
カエラはさっきの事があるからだろう、怯えながら答えた。
「では、私はこれで。それと、後ほど話したいことがありまして、カエラ、終わったら案内してあげてくださいな」
「分かりました、お婆様」
扉が、キイと音をたてながら閉じられた。
そうして手伝ってもらいながら、体に付着した赤を流していた。どうやらカエラは魔法で水を温めてお湯にすることができるらしい。俺はそういう、日々の暮らしに役に立ちそうな魔法の方が欲しいと思えたりする。
そしてその最中、彼女は話しかけてきた。
「助けてくれて……その、ありがとうございました」
「……どういたしまして」
それは、ただ純然な感謝であった。
そして、
「なんで、助けてくれたんですか…?」
そう問われた。
「…………似てたから」
それに対し、少し迷ってから俺は返した。
「……?」
主語のないその返答に彼女は小首を傾げた。その間もぱちゃぱちゃと水を掛けては、乾きかけていた血を流していた。
「俺の姉さんに、君の顔が似てたから」
「そう…だったんですか」
「まぁ、そうじゃなくても止めてたのかもしれないけど」
自分で言ってシスコンが極まり過ぎていると、誰の為とも分からないフォローを入れた。確かにカエラが姉さんに似ていなくても止めていたのは事実だろう。しかしあそこまで衝動的に大暴れしたのは、どうしようもなくその所為であることは、否定できなかった。
「……お姉さんの事、大事にしてるんですね」
「まぁ、姉弟だから」
そう返すと、彼女は次に口を開くまで、桶に水を汲み入れては布を濡らし、体を拭いては血を含んだそれを絞るという作業を5回ほど繰り返した。
絞るのが大変そうだとみて手伝おうかとも聞いたのだが、断られてしまった。
「私にも、お姉ちゃんがいたんです」
「いた……か」
それだけでなんとなく察した。
「お姉ちゃん、本当はお腹空いてたくせに、我慢して私にばっかり食べさせるから、全然何も食べられずに死んじゃったんです……」
「…………」
盗賊によって搾取されるだけの寒村で、1人の妹を生かすために、か。
こういった話自体は異世界特有だとは思わない。日本でだってそういった話くらい、多くはなくともあるのだろう。原因が盗賊か別の何かか、そういう違いはあるにしても。
「盗賊団は憎い?」
「そうに、決まってるじゃないですか」
俺が問うと、彼女は目尻に涙を浮かべ、拳に力を入れた。布から赤くなった水が流れた。
「そう……」
正義とは不確かなものである。それは立場によって形を変えてしまうのだから当然だろう。
そもそも正義の対は悪ではなく、悪の対が善であるのだ。いや、悪の対もまた悪なのかもしれないが。
結局のところ正義というのはその人間の数だけ存在し、その正義を周りの人間が善か悪かと評価しているだけに過ぎない。それが果たして善なのか悪なのか当事者には決して判別がつかないし、つけてはならないのだ。
だが、善か悪かは置いておいて、俺は1つ確信していることがある。
強い奴が正しい。
盗賊団の様なならず者たちなら、それはわざわざ論理立てて説明するまでもなく理解してくれるはずだと、俺は確信している。