惨殺
殴られ、蹴られ、魔法をぶつけられ、吹き飛ばされて地面を転がり、壁に衝突する。
それを何度繰り返したかもわからず、時間が過ぎるごとにボロボロになっていくアンリの目の前から、突如として颯の姿が消えた。
魔法が発動した痕跡があったことから、リンが自分を助けるために放ったものだというのは容易に想像がつく。
アンリはリンの方を見た。
アレを使ったのだろう、リンは動かないでいた。
そのすぐ近くにいた楓は、何やら話をしていたらしく、こちらを向いてはいなかった。
リンがどれだけ時間を止めたのかはわからないが、しかし、未だ動き出さないのを見るに、早く対処しなければリンの身が危ない。そう考えるのは自然なことであった。
「────リンっ!!」
アンリは駆けだした。
しかし。
──その瞬間、楓は怒髪天を衝く形相になった。
漆黒のオーラが吹き荒れると、大気が震え、周囲の建物の窓が次々に割れていく。
物質という物質が巻き上げられては吹き飛ばされていく。
黒き螺旋に触れた全てが弾けていく。
まずい──そう思った。
一刻も早くリンを回収し、残る悪魔憑き全員に連絡、その上で対処しなければアレは止められないだろう。下手をすればこのままこの惑星ごと破壊しかねない。
傲慢の悪魔、その目的などアンリからすればどうだっていいことではあったものの、世界を滅ぼされるのは問題であり、自分を見る人間がいなくなるのは、大問題であった。
そう考え、魔力の鞭でリンを絡め取り、一目散に駆けだした。飛べば間に合う、リンを抱えながらとなると速度は落ちるが、これだけ離していれば、十分逃げられるだろう。
「颯を……返せぇぇぇぇえええええ!!!!!!」
と、背後からそんな叫び声と爆音が聞こえてきた頃、リンの硬直が解けた。
「アンリ……!」
無事であったアンリを見上げ、安堵したような目線を向けた。
そんなリンに気がつくと、アンリは震える声で言う。
「早く逃げないと……!憤怒でも傲慢でも連れてこないとアレは────」
その瞬間、アンリの動きが止まった。
「アンリっ!!」
「────かはっ…」
その左胸からは、純黒の刃が突き出ていた。
アンリの吐いた血が、リンの顔に掛かった。
そして崩れ落ちる直前、
「リン…逃げ────」
そう言い切る前に、アンリの首は撥ね飛ばされた。
「あ……あ、アンリ……?」
その首はコロコロと地面を転がり、歩いてきた楓の足元で止まると、グシャリ──と、踏み潰された。
「颯をどこにやった…!」
ブクブクと、ジュクジュクと、音を立てて血を吹き出させていたその頭蓋を蹴り飛ばすと、楓はその刀をリンに向けた。
「知らなっ……」
リンが使ったのは場所を指定することができる魔法ではなく、どこか遠くへと飛ばすだけの、あまりにも無責任な魔法。
どこへ飛んだと聞かれれば、戻ってきた本人に聞くほかない。
だが、知らないなどという答えは楓の望んだ答えではなく、リンは罰として、その右足を切り落とされた。
「がっ…ぁぁぁぁああああ!!!!」
その場で崩れ落ち、絶叫した。
「颯を返せっ……!!」
「分からな……」
リンの左腕が飛んだ。
その次は左足が、そして右腕が。
一瞬のうちに四肢を奪われた彼女は立つことなど出来ず、吹き出た血が、辺り一帯を赤く染めていく。
しかしそれでも攻撃は止まず、怒りは収まらず、その刀が全身に、幾つもの穴を開けていく。
「………ぁぁあああっ!!」
こんな状態になっても気を失うことが無いのは、悪魔と契約していたからであった。
死なないことが辛いと言うこともあるのだと、彼女は知った。知ったところで、もう二度とそれが活かされることなど、無いのだが。
壮絶な痛みと絶望に飲まれる中、リンは最期の瞬間を見て、彼女の意識はそこで途切れたのだった──。
△▼△▼△▼△▼△
颯がこの地球から消失した。
エルゼは楓に対してそう伝えた。
死んではいない。エルゼが颯に掛けた魔法や契約は、今も掛かったままだ。
もしこれが切れたりすれば颯はそこで死んだことになるわけだが、切れていない。
エルゼにはその距離が、大体ではあるが理解できた。
この地球上のどこかに飛ばされたのであれば特定は容易かっただろう。わざわざ特定などしなくとも、颯ならものの数時間もすればブラジルからでも帰って来られたに違いない──洋上で迷子になる可能性がなきにしもあらずなことを除けば、ではあったが。
しかし、颯の今いる位置は、さっきいた場所から動いていない。
にもかかわらず颯がそこにいないというのは、全く別の世界の、全く同じ位置にいるということだと、エルゼは理解した。
例えば建物。
101号室と201号室は当然違う場所にあるが、それを上空から見た際、その2つの部屋は重なり合い、全く同じ位置にあるように見える。
リンの放った転移の魔法は、颯を101号室から102号室へと運んだのではなく、決して交わることのない、201号室へと運んでしまったのだ。
それを楓に伝える際、緊急時であったことや、あまり詳しく説明している暇がなかったことで、エルゼはただ「颯がこの地球から消失した」とだけ伝えてしまった。
それを楓は颯が殺されたのだと認識し、怒り狂った。
エルゼやヴェルザはそれを止めようとはしたものの、結局アンリとリンが惨殺されるまで、楓が話を聞き入れることはなかった。
ヴェルザが2人の悪魔憑きの肉体を分解、吸収し終えた頃、今もなお怒り続けているものの、しかし先程よりは落ち着きを取り戻した楓に、エルゼは改めて説明を始めた。
「楓さん!颯くんは死んでません!」
「この世界にはいないんでしょ……どこにいるのよ」
「それは、別の世界としか……こちらとしても次元を超えられると手出しができません」
「なら……なら、どうすればあの子は帰ってこられるのよ……!」
「すみません……手は尽くします」
「颯……っ」
「その、楓さん。お願いがあります」
泣きそうな顔で地面を見つめる楓に対し、エルゼは話し始めた。
それは、颯に変わり魔族や魔物を退治してくれと言うもの。
楓は拒んだ。そんなことをする暇はないと。颯をこちらに引き戻す方法を探したかったからだ。
それに対し、エルゼは言う。
「人の命は平等かもしれません。しかし、人が持つエネルギーには確実に差があります」
「何がよ……」
「世界というのは盃のようなもので、そこに住む者はその杯を満たす水のようなもの。しかし、1人1人が同じだけの水ではありません。人間1人が一滴の雫だとすれば、颯くんや楓さんといった存在はその何倍もの水量になります」
「………?」
「颯くんが消えたことで、今この世界の盃はその水量を大きく減らすことになりました。これがただの人であれば、それを埋める様にしてまた新たに人が産まれてくるだけですが、この場合はそうではありません。颯くんが消えたことで減った盃の水を満たすようにして、魔界の連中が流れ込んでくることになりかねません」
「いつもと同じじゃない」
「そうかもしれませんが、一気に雪崩れ込む可能性があります。それに、もし魔物たちが盃の水を満たしてしまうようなことになれば、そこに颯くんが帰ってくるための隙間がなくなってしまいます。もし帰ってこられても、既にいっぱいの盃に大量の水を注ぎこめば、当然、その中の水は溢れだしてしまいます」
「常に隙間を開け続けろとでも?」
「はい。こちらでも颯くんが何をしているのかを詳しく把握することができません。ですからいつ帰って来てもいいように、この世界を保っておいて欲しいんです」
楓は息を吐き、怒りに震えるその体を落ち着けた。
落ち着けても落ち着けても湧き上がるその怒りの中で、それでもなんとか、楓は頷いた。
そしてとある、いけすかない女に連絡を入れると、気配のした上空を見上げた。
こちらに向かう赤い光を視認すると、楓は憂さ晴らしを開始する。