就寝
「あ、父さん。家に入れてもらえたんだ」
「あ、あぁ…なんとか…な」
「なんで母さんを怒らせるかな」
「いや、だって…酔ってたし…」
「お酒に呑まれてどうすんの」
「そうだよな……もっとお酒に強くならないとな!てことで、父さんもう1回飲みなおして来るから」
立ち上がった父さんに、スマホの画面を見せる。
「遺言はそれで良さそう?」
「す、すまん。冗談だから、その録音は消してくれ、頼む、殺される……!」
部屋に戻ると、追い出されていたはずの馬鹿こと、父さんがいつの間にかそこにいた。
母さん含めた女性陣は今から晩酌だと言って、色々準備し始めていた。台所の方からケラケラと、楽しそうに話す声が聞こえてくる。
因みに姉さんは唯香さんと千寛に連れられて風呂に入っていった。風呂場は2つあると言ったが、その片方は数人で一緒に入れるほどの広さがあった。
「あぁ、そうだ。明日億斗たちと一緒に出掛けてくるから」
「お、そうなのか?」
「うん。せっかくならなんか食べておきたいなって。そしたら案内してくれるっていうからさ」
まぁ、食べたいと言ったのはエルゼだが、どうせ俺も食べるしな。父さんはそれを聞くと、すんなり了承してくれた。
「いいの?」
「いいも何も、遊びに行くってだけだろ?だったら別に、止める理由もないだろ」
それもそうか。流華先輩達との旅行だって二つ返事でOKしてくれたわけだしな。今更訳ないか。
「じゃあ、4人で行くのか?」
「いや、5人」
「5人……あぁ、千寛ちゃんか?」
「そう。まぁ、許可が出れば、だろうけど」
「ダメっていうこともないだろ。どうせ子供らは暇だろうし。でも珍しいな」
「ん?」
「億斗君と千寛ちゃん、仲悪かったと思ってたんだけどな」
「あぁ……まぁ、大丈夫だよ。多分」
一族の中での共通認識になるくらい仲が悪かったのか。
「ふぅん……そうか。まぁ、気を付けてな。特にお前は迷子になった実績もあるんだし」
今は迷子になったとしても魔法か力業で帰ってこられるのだが、俺は何も言えなかった。
俺は父さんをどかして布団を敷いていくと、その上に座った。
風呂に入るために着替えを取りに来たはずだったのだが、すっかり忘れていた。
俺は1人で入るということで、今から風呂だ。
父さんに背を向けて魔法鞄を開けると、あらかじめ入れておいた服を取り出していく。
「風呂入ってくる~」
「…………」
「父さ……もう寝てるし…」
まぁ、今日は1日テンション高かったしな。家族に会えたりして楽しかったのだろう、寝かせておいてやるか。
俺は理解のある男を目指すのだ。
よくわからないことを考えながら、風呂に向かった。
こういった時にありがちな展開があったわけでもなく──まぁ、あったところで全員親族なのだが、普通に風呂に入った。体を洗うと、張ってあった湯に浸かって、思わず息が漏れて1人苦笑した。
にしても今日は、いろんなことがあった気がする。
お墓参りに行って親戚と会ったという、文字にすればたったこれだけのことでしかないが、霊園では見えてはいけないはずの存在に会ったり、またも魔族に出くわしたり。
家に戻ってくると今度は何かよくわからない展開になったりと、体力というよりは心労的な方でどっと疲れてしまった。
だからこそこの湯が身に染みる。
魔力を体に通さなければ、この程度の温度でもちゃんと熱く感じられる──やはり風呂では温度を感じたいものだ。
別に風呂に限った話ではないのだが、やはりそういった、感じられて当たり前のものを感じられなくなってしまった自分は、どこまでも人間を辞めているのだろう。
「ふひぃ~。いいですねぇ…こういうのも…」
エルゼが言った。湯の上にプカプカ浮いている。
さっきあれだけ食べていたのにも関わらず、腹が出ているように見えないのが不思議だった。
どこに行ってるんだアレ。こいつの胃袋もなかなか亜空間じみていると思う。
「で、明日お前どうするの」
「明日……とは?もちろん付いて行きますが」
湯の上で全身を旋回させ、顔をこちらに向けた。
「そうじゃなくて。俺とお前と姉さんだけなら分けるのも容易だったろうけど、あの3人がいるとなるとそうもいかなくない?」
「確かに……まぁ、颯くんたちが楽しむのが一番です。僕は僕で、何か手を考えますよ」
「そう……珍しいこと言うもんだな」
「珍しいも何も、この信条は普段から守ってますよ……その上で色々自由にしているだけで」
「そうかなぁ……」
その自由が奔放すぎると思うのだが、本当に。
「そうですよ」
その後は会話もなく、俺は天井を見上げた。
湯気が水滴となり、額に落ちてきた。
「冷たっ」
「あはは、颯くんなら今のも避けられましたよねぇ?」
「…………」
「んぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっっ!!」
△▼△▼△▼△▼△
「ふぅ……」
「ふぅじゃないですよ。全く」
風呂から上がると、髪を乾かし歯を磨く。大分眠気が溜まっているのか、さっきから目が半開きのままそれ以上開かなくなっている。寝なくても問題はない身体なのに眠気を感じている。
「気抜いたらそのまま寝そう……」
「耐えてください!ここを抜ければゴールはすぐそこです!」
「何のゴールなの」
シャコシャコと歯ブラシを動かす。
歯磨きの際、歯ブラシを高速で動かせば早く終わるのではと誰しも一度は考えたこともあるだろうし、俺も例に漏れずその1人であるのだが、歯が傷つくからやめろと、母さんに注意されたことがある。
だからゆっくりちゃんとやるしかないのだが、そのせいで眠くなっている。
歯を磨き終えると部屋へと戻り、それと入れ違いになるように父さんが出て行った。
壁際の布団に横になって目を瞑ると、しばらくして姉さんが部屋に入ってきた。
「あれ……もう寝てるの?」
「んー」
「んーって……ま、私も今日はちょっと疲れたけど」
そう言って電気を消し、隣の布団に入った。
「電気消してよかったの?」
「いいでしょ別に。もう寝るだけだし」
父さんは今さっき風呂に入りに行ったばかり。母さんは多分まだ大広間で談笑しているころだろう。
「いいなら…………いいんだけど」
「眠そうな声ね」
「うん……眠いし…」
そう言ってそのまま寝ようとしたのだが、1つ気になったことを思い出した。
「……あ、そう言えば」
「どうしたの?」
「夕方くらいにさ……あの2人上手くいかないよねって、俺言ったの覚えてる…?」
「……えぇ、覚えてるわよ。それが?」
「あの時姉さん、どうかしらね?って言ってたじゃん…?」
「言ったわね」
「あれ何だったの…?」
「それは颯が一番よくわかってるんじゃない?」
「俺が……?」
身体を動かして姉さんの方を向くと、姉さんも目を閉じたままこちらを向いていた。
「あんたはこういう時、何だかんだで首突っ込むから」
「……え?」
「適当に生きてるように見えて、一度やり始めたら意外と責任持つでしょ。だからアレもなんとかするのかなって思ったのよ」
何も言い返せなかった。首突っ込んでるのも事実だし、何とかしようとしてるのもただの事実だ。
「責任持つって言っても、アレは俺がどうにかしようとしたって、無理なときは無理だと思うよ」
「そう?あんたなら何とかするわよ。最悪、無理矢理にでも手繰り寄せるでしょ」
「それはまた随分期待してるんだね……」
「だって私は……あんたのそういう所に助けられたんだし」
姉さんの目が見開かれた。じっとこちらを見て、小さく笑った。
「助けられなかったら、俺自身どうしてたかも分からないし……」
「もしそうだったら、どうしてたの?」
興味本位だろう。面白がって訊いてきた。
「……どうだろう。我を忘れて世界でも滅ぼしてたんじゃないかな」
「物騒なこと言うわね」
「元はと言えば…そもそもヴェルザを呼んだのは楓さんですよね?」
枕元に座っていたエルゼが姉さんへ言った。
ヴェルザの言っていたことが正しいのならば、何らかの要因で姉さんが世界の滅亡を願い、そのエネルギーに引き寄せられるようにしてヴェルザがやってきたという話だったか。
今思い返しても荒唐無稽というか、意味不明過ぎるとは思う。
「……知らないわ」
姉さんは目を泳がせて白を切った。
「でも、確かにあの時の颯くんは……それをやってもおかしくなさそうでしたからね。何事もなくてよかったです」
「…………」
「……颯くん?……あ、もう寝てましたか…」
「おやすみ、颯」
瞼を下ろし、小さく聞こえてくる声に心の中で答えながら、俺は眠りについたのだった。