再従妹
あー、することが無ーい。
墓参りから戻ると、部屋の畳の真ん中に大の字になった。大人たちはまだ昼過ぎなのにも関わらず、大広間で既に酒を飲み始めていた。
絡まれても厄介だと思って姉さんと部屋に居たのだが──やることが無い。
エルゼが他の惑星に行きたがったのも、こういうことだったのかもしれないと、そう考えたりしてみる。
地方で生まれた若い子なんて言うのも、SNSなんかに触れてみさえすれば、都市部にある楽しげで面白げで愉快なアレソレの存在を知ってしまうわけで、そうなると自分の今置かれている場所というのが酷くつまらなく感じられるようになるワケだ。
いや、そんなものに触れるまでもなく、知るまでも、教えられるまでもなく、退屈はするのかもしれない──だからこそ皆、自然と上京なんかをしたくなったりするもので、エルゼのそれも、さながらそんなものだったのだろうと思う。
「いや、あそこはもっと暇でしたよ。この国は田舎でも総合施設くらいあるじゃないですか。ずっといいですよ」
「別にここも田舎って言うほどじゃないと思うけどさ?こうして家にいるだけだと、結局することなんて限られてるというか……」
「外に行ったりはできないんですか?出来るのなら新幹線で話してたアレが食べたいんですけど」
「アレ?…………あぁ、明石焼きか。そういえば言ってたな」
そう呟いたとき、部屋の襖がスッと開いた。
「明石焼きがどないしたんや?」
「あ、裏切り者」
「な、なんでやねん!そもそも俺の所為やないし、あんなん誰でも逃げるわ!」
キレよく部屋に入ってきたのは億斗。その後ろには唯香さんがいた。
「あんなのって何よ?」
部屋の壁に背をつけスマホを弄っていた姉さんが、そんな2人を睨みつけた。
「ひぃっ…!」
それに気が付き、声を上げる億斗。
やはり生物としての本能がそうさせるのだろう、何しろ地上最強の生物だからな。威圧などされた日には失禁間違いなしなわけで、意識を保っていただけこいつは強いと、認めてやってもいい。
ま、本気じゃなかっただけだろうけど。
「……んで?明石焼きがどないしたん?」
見かねた唯香さんが、話を戻して訊いてきた。
見かねたのではなく、耐えかねたの間違いかもしれないが。
「いやさ、せっかくこっちに来たんだし、こっちにしかないものを食べておきたいなって思って」
「それでか」
「というより、それくらいしか思いつかなくて。お好み焼きとかタコ焼きみたいな粉ものは大阪のイメージだし」
「確かにそうかもやけど……」
億斗は渋い顔をした。
「タコ飯とかぼっかけ焼きそばとか、そういうのは?」
「何それ、そんなんあるんだ」
唯香さんが思い出すようにして言う。エルゼが横で眼をキラキラさせ始めた。
名前が出たからといって、食べると決まったワケではないのだけど。
「でも今から行ってもなぁ?時間微妙やし、夕飯もあるしな」
億斗が腕を組んで言った。
連れて行く気でいるらしい。1人で行ったほうが都合は良かったのだが、地理とか分からないし、案内があるならそれもまたいいか。
「まぁまぁ、今日はゆっくりしとき。行くとしても明日やな」
「じゃあ結局暇なままかぁ」
「ん?暇って?」
「ここにいてもすることがあるわけではないし……」
「あぁ、それで言うてたんや」
唯香さんが納得したように言った。
大人たちは酒と料理さえあればそれで楽しいのかもしれないが、俺はそうではない。そもそも年齢的に飲めないし、もし仮に飲めたとて、俺はあの人達のようにワイワイ騒げるワケでもないだろう。
「あ、そう言えば、あの子来とったで?」
会話が途切れ、一瞬の沈黙が部屋に訪れた時。それを払うように唯香さんが言った。
遅れてくるのがいるというのはいつだったかのタイミングで聞いてはいたものの、どうやらつい先ほど来たらしい。
「あの子?また知らない人が来たのか」
「知らない人って、再従姉妹やけど」
再従姉妹。
確か、自分の親の、そのいとこの子供がそれに当たるのだったか。しかし、身内とは言え、言ってしまえばほぼ他人だろう。知らなくても無理はない。
「なんて人?」
「小林 千寛。千寛ちゃん…今は確か中3やったと思うけど。かわいい子やで?」
「うぇ、アイツか……俺はあんまアイツとは合わへんな…出来れば会いたないんやけど」
「え?なんかあるの?」
「口が悪いし性格も悪い。あとしょっちゅう殴ってくるイカレ女や」
億斗が肩を落とした。ため息をつき、目線は下を向いている。本当に嫌なんだな。
「でも会いたくないって言っても、同じ屋根の下で会わない方が難しいんじゃないの?」
遅くとも夕飯の時には会うことに──いや、遭うことになるであろうことは、目に見えている。避け続けられるようなもんじゃないことくらい、いくらなんでも理解はしているはずだろう。
「分かってんねんけどな……せやからこうして逃げてきてんけど……」
「あの子も別にアンタの事が嫌いなわけと違うんやから、あんま可哀そうな事言いなさんなや」
「嫌いやないのにああいう風にできる神経が分からん。俺は嫌いや」
俺が多分会ったことのないその子は、この男がそこまで言うほどに酷いのか。
「うぅん…まぁ、もうちょっと素直になってもええんとちゃうかとは思うけどな…」
唯香さんが苦笑いした。何かしらの事情があるのか。そう思わせる、どこか、何か──いや、誰かを憐れむような笑みであった。
「まぁそういうワケやから。しばらく匿ってや」
「匿うったって、すぐにバレるでしょ」
「それでも1人でいるよりは心強いねん。いざとなったらさっきみたいに空き缶潰してちびらせたって」
そう言ってコーラの入った缶を差し出してきた。手に取ると、それなりに冷えていた。
億斗の方を見ると姉さんにもコーラを渡していた。
こう見えて意外に気が利くんだな──こう見えてって言い方もアレだけど。
まぁ、これで本当に空き缶渡してきてたら……いや、親族だろうに、そんな惨いことはできない。
そうしてコーラを飲んでいると、廊下から騒がしい声と足音が聞こえた。
「どこにいるのよアイツは!」
「うぅわ、もう来た………ちょっと、俺押入れ入るからおらん言うといて!」
高い女の子の声が聞こえると、億斗は露骨に嫌そうな顔をしてそう告げ、押入れの中に隠れ込んだ。
パタン、と小さくその襖が閉じられると、カタンッ──と、今度は部屋の入口が勢いよく開かれた。
「ここね!……あ、あれ?」
襖を開けたのは小柄な女の子。長い黒髪をツインテールにしている。
つり目の少しきつい印象を受けたが、きょとんとした顔で部屋を見回しているのは少し可愛いと感じられた。
恐らく億斗を探していたのだろう、目的の人間がいないと分かると、途端に大人しくなった。
「久しぶりやな~」
唯香さんが笑顔で声を掛けた。
それとは対照的に、姉さんは視線を少し上げてその姿を見ると、興味もなさそうにスマホに目を落とした。
「あっ、ひ、久しぶりです…」
声を掛けられた少女はか細い声で挨拶を返すと、小さく頭を下げる。
その変わり身に違和感を覚えた。先程までは強気な少女を思わせるような口ぶりだったのが、今では内気なそれに大変身。
人見知りするタイプなのか、それとも意気揚々と入って来たのにも関わらず目的の相手がいなかったのが恥ずかしかったのか。
はたまた、億斗相手にしか素を出せないのか。素がどちらかは分からないけど。
ただどちらにせよ、何かあるな。
「あ、あの、唯香姉さん、アイツは……億斗は、どこにいますか?」
「へ?あぁ、あの子?えぇっとなぁ…あ!せやせや、さっきコンビニ行かしてん。暫くは帰って来んと思うで?」
その少女──千寛からの質問に息をするように噓をつく唯香さん。やっぱりこの人いい人だ。弟の為に噓まで吐くなんて。
……若干目が泳ぎすぎな気もするが。
姉さんなら絶対面白半分で売ったに──いや、この人も俺が本気で嫌がればそんなことはしないのかな。そうだと信じたい。
「そう…ですか」
唯香さんがそう答えると、千寛は寂しそうな目をした。
うーむ。なるほど。
俺や億斗より1つ年下のこの子は、多分歳の近いあいつに友達のような感覚を持って接しているのだろう。
しかしこの内気さだ。
距離の詰め方や接し方が分からず、結果として億斗に嫌われることとなってしまったと、まぁそんなところだろうか。知らないけど。
「どれくらいで、帰ってきますか?」
部屋に入って座り込むと、千寛は訊いた。
君がそこにいる限り絶対に出てこないぞ、あいつは。
「……えぇ?……あー、ここからやとちょっと遠いからな、まぁでも、20分くらいしたら帰ってくると思うで?」
唯香さんはその質問に言葉を詰まらせながら答えた。
流石に苦しいのだろうか。心も、噓も、何より部屋の空気感が。
「どうせ夕飯の時には戻ってくるんやから安心し。それよりも、この人らにもちゃんと挨拶せな」
そう言って話を切り、こちらに回してきた。
この人、自分の手に負えなくなったものを他人に押し付ける癖でもあるのかな。
「は、初めまして…!小林千寛です…!」
彼女は努めて明るくそう名乗った。まぁ、名前は既に知ってるんだけど。
「御厨 颯。よろしく」
短く名乗った。何故かはわからないが名乗るのはどこか気恥ずかしかったりするものである。姉さんの方に視線をやると、スマホから顔を上げて口を開いた。
「楓」
それだけ…!?
部屋には再度沈黙が訪れた。そりゃそうだ。もう話が広がるわけもない。
俺は少し申し訳なく思った。ごめんね、冷たい姉弟で。
「…………………」
千寛は目線を落とした。たまに聞こえる物音に反応して、部屋の入り口に視線を向けている。
ただ、申し訳なく思うと同時にもう1つ。早く出て行ってくれないかな。
こんなこと、口が裂けても言わないのだけれど、失礼というかダイレクトに人を傷つけかねないこんなこと、流石に歳下の女子相手に言えるはずもないのだけれど、この状況が長く続くことにで得をする人間がいないのだから、早いところ退場願いたい。
このままだと戻ってくるまでこの部屋に居座るのだろうが、残念ながら奴が戻ってくることはない。唯香さんも噓をついてしまっている以上、アイツが今押入れから出てくるのはマズいだろう。
しかし、このままずっと出られなければ、アイツは暑さで死ぬ──死ぬとまで言うのは少し言いすぎかもしれないけど、万が一はある。
そんな視線を送ると、唯香さんは小さく頷いた。そして千寛に声を掛け、部屋から連れ出した。
それを見送ると、俺は襖を開けた。
「出ろ。釈放だ」
「はーーー!やっぱシャバの空気は……ってちゃうわ!」
うむ。いいノリツッコミ。
最初はアレな感じがしたけど、こうしてみると普通にいい奴そうだな。
「普通に礼儀正しい子だと思ったけど、億斗の前だと違うの?」
「よう分かるな。せや、うちの姉貴とか知らん人の前やとあんな感じやねん」
「猫を被ってるとか、そういうのとはまた違くて?」
「さぁ?俺相手以外には強く出られへんのは確かやろけど」
俺の質問に、身体を大きく伸ばしながら答えた。
「ねぇ、あんた。あの子に何かしたの?」
そんな時、姉さんが声を出した。俺たちの方をじっと見ている。
「え?」
「颯じゃなくて、億斗の方よ。あの子に何かしたんじゃないの?」
「え、いや、どっちかっていうと俺が何かされてる側なんやけど…」
「そうじゃなくて。昔何かしてあげたとか、そういうことよ。何かないの?」
俺にはよくわからなかったが、億斗は心当たりもあったようで、少し考えるようなそぶりをしてから答えた。
「まぁ、昔は…犬に怖がってるのを助けたったりとか、近所の悪ガキにおちょくられてるの庇ったったりとか、迷子になってるの迎えに行ったり、誘拐されそうになったのを止めたったりとか、色々やったったハズやねんけどな…恩知らず言うんか、いつの間にかこんな感じやねん…」
億斗は思い出しながら話すと、不満げな顔で溜息をついた。思った以上に色々出てきた。
そして、俺でも流石に気が付いた。千寛が億斗に絡んでいるのは友達感覚なわけでも、ましてや嫌いなわけでもない、と。
姉さんはそれを聞いて目を丸くするとため息交じりに立ち上がり、何も言わずに部屋を後にした。
「なんやったんや?今の質問……にしても、思い返したらなんか腹立ってきたな…あの恩知らずの恥知らずめ…」
そう言ってプリプリし始めた億斗を見て、俺も何も言えずに部屋を出た。
「あ、ちょっ、どこ行くねん!」
ダメだこいつら、早く何とかしないと。