邂逅
2人の出会いは一方的且つ唐突で、しかしその一方で運命的でもあった。
それは夏に差し掛かろうとする、とある日の午後の事。
学校でのいつも通り短く長い退屈な一日を終えた放課後、帰路に就く1人の少年は、じっとりとした汗をダラダラと流しながら、その道もまたダラダラと歩いていた。
彼の名前は御厨 颯。
加賀浜というこの街の、その東に位置する小笠原高校に通う高校1年生である。
見た目、中身共に平々凡々、尋常一様、極普通。あらゆる能力において月並み、人並み、世間並みと、強いて挙げるのなら足が少し速いことくらいの男であった。
特に部活などに入ることのなかった彼は、帰り道にある商店街を歩いていた。
これとは他に近道もあるのだが、少し鬱蒼とした道なこともあり、あまり好き好んで通ることはない。
それに今日は帰りにアイスを買ってくるよう姉に言われていたこともあって、その帰路にコンビニに寄らなければならない関係上、その道を通ることは、どちらにせよ彼の選択肢にはなかった。
思えばそれが、2人が出会うことになったきっかけでもあったのだろう。
商店街を抜け、信号を待って交差点を渡る。
すると、この辺では一番大きな公園がそこにある。そこを通り抜け、住宅街を通って行けば、家まではすぐだ。
しかし彼は公園に足を踏み入れると、目に映る光景に思わず足を止めた。
「何アレ…?」
その目に映ったのは、公園の中を彷徨い歩く1匹の生物であった。
赤みがかった大巨体を持つその生物は、その頭部に牛を思わせるような大きな角を生やし、太い尻尾を地面に叩きつけながら、何かを探すように歩き回る。
この世の生物と呼ぶにはいささか、しかし化物と呼ぶには相応しい風体である。
公園に珍しく誰もいないとは感じていたが、こんな生物が彷徨いていれば自ずと貸切にもなるだろう。少なくとも、子を連れた親が近寄るはずがない。
無論彼とてこんなものに好き好んで近付く習性はないが、ここを抜けなければ帰れない。
気配を殺し、見つからないよう祈りながら、なるべく音を立てないように後ろを通り抜けようとする。
しかし、そんな彼の殺しきれなかった足音が聞こえたのか、その化物は大きく首を回すと、彼の姿を補足した。
「グゥルルルルル………ングァ?」
目は血走り、牙の剥き出た大きな口で荒く呼吸をしている。
数瞬、見つめ合う。
どちらも目を逸らさず動くこともなかったが、暫くして化物がゆっくりと動いた。
「えぇ……なんかこっち来たんだけど…」
明確に死が迫るその様子に、彼は震えた。
△▼△▼△▼△▼△
時は少し遡り。
地球に派遣された1匹の精霊がいた。
地球で言うところのハムスターによく似た外見を持つこの精霊は、薄い青の綺麗な毛をたなびかせながら、高速で、否、光速で宇宙を飛んでいた。
早くかの惑星へと向かわねばと、その考えだけが彼の頭を占めていた。
その精霊の名はエルゼ・フューリタン。フューリタン星と呼ばれる、遠い宇宙に存在する惑星の生まれである。
そんな彼は先日、”特務救世士”と呼ばれる職に就くための資格を得たばかりであった。
特務救世士。
それはフューリタン星の、それも地球に存在する人間では考えられないような力を持つ精霊の、その中でも指折りの者にしか就くことのできない崇高な職業であった。
その内容というのは勿論、他の次元や宇宙に存在する惑星を危機から救うことである。
資格試験を首席で合格し、エリートを自負している彼に任された初の任務は、この地球を救うこと。
彼は危機迫る地球に向かうことを、内心かなりワクワクしていた。
場合によっては不謹慎とも言えるその感情は、精霊という生き物にとっては仕方がないこととも言えた。
永遠を生きる精霊は、それ故に退屈な日々をただ漫然と送っているのだ。エルゼもまた例に漏れず、無為な生活を送っていた。
しかし、任務にあたる上で得た事前情報にある、地球での文化や食に関する情報は、歳若い彼にとって、未だかつてない程の興奮を与えるものであった。
別にフューリタン星に不満があるわけではないのだ。勿論無いわけではないが。
精霊である自分への誇りもあるし、故郷でのこれまでだって別に悪いものではなかった。
ただただ刺激がなかったのだ。
だから彼は地球へと向かうその日まで、地球に関する情報を集めに集めた。
途中からは完全に彼の娯楽にもなっていた上に、色々と影響を受けてもいたわけだが、調べれば調べるほど、彼の中にある地球への興味は増していった。
そして、今。
彼は来て早々に、ここへ来たことを後悔し始めていた。
「何なんですかこの惑星は…優しさとかないんですかねぇ…」
何の対策もせず地球へと降り立った彼は、ちょうどそこを通りがかった下校中の小学生らに揉まれ、自慢の毛並みはボサボサに、体は砂やら泥やらで汚れてしまっている。
涙そうそうである。
「まぁ…認識阻害掛け忘れてた僕の所為なんですけど…」
興奮のあまり忘れていた魔法を発動させ、他人に認識されないよう施した彼は、汚れを取り去ると空へ飛び立った。
彼の目的はこの地球を救うこと。それは先の通りである。
しかし、そこには一つ条件がある。
「適任者は自分で探せ、っていうのも中々丸投げしすぎだと思うんですけどねぇ…」
それは、現地の者に救わせることであった。
「言いたいことは分かりますよ?僕がいなくなった瞬間元の状態に逆戻りになるような事態を避けたいっていうのは、まぁ理屈としては分かりますけど…上に逆らえないのは組織の宿命ですねぇ…」
これまでは危機が訪れればその度に精霊が派遣され、その魔法で以てその世界を救っていた。
「そりゃ、与えられるだけではいけないというのも分かりますけど…救われたのならそれでいいと思うんですけどねぇ…」
しかし、このままではマズイと判断した上層部からの命令により、精霊が必要以上に動き回ることを原則禁じられてしまった。
当然、ただ従うつもりもなければ、抜け道もないわけではないのだが。あまり派手なこともできないのは事実。
緊急時でもなければ、取り敢えずは従う他ないのだろうと、彼は溜息を吐いた。
元暮らしていたフューリタン星とは全く違った景色を眼下に収め、辺りをキョロキョロと見回す。
「気を取り直して…偵察は空からですよね!………ん?」
そんな彼は、とある光景を目にすると、即座に速度を上げて飛翔した。
致し方が無い。
緊急時である。
△▼△▼△▼△▼△▼△
「えぇ…どうしよ…」
颯はそれを前にして悩んでいた。
悩んでいる時間が、隙が、余裕が、果たして彼にあったのかは不明だし、彼自身もまた、存外落ち着いている自身に対して驚いていた。
目の前の化物が着ぐるみや立体映像的なモノでないとするならば、正真正銘実体を持った生き物であるとするならば、まずまともにやりあって勝てる勝算は無いと見ていいだろう。
そもそも、不良相手にだって遣り合える自信はないのだ。化物相手でそれがどうしてできようか。
自身の呼吸が荒くなる。
その足で立って、次にどうするかを考えられている時点で、それはもう十分褒められてもいいだろうと、彼は内心思う。
ただ落ち着いていられるのには理由があった。
彼は足の速さには自信がある。特に逃げ足の速さには。
全力で逃げてどこか細い道にでも逃げ込めば、そうすればあの巨体では追って来られないだろうと、そう考えていたからだ。
いざとなったら逃げられるという意識は大事なものだ。
しかし、ここで自分がアレを撒いたらどうなるのか。
「なんも解決しないよなぁ…」
逃げる先で他の人に出会ったら?
逃げた先で破壊活動をし始めたら?
この付近は住宅街だ。この時間なら人も多いし、子供だって外で遊んでいてもおかしくはない時間だろう。
そこにこれを連れて行く。到底できない判断であると、そう結論付けた。
それと同時に、自身の中にもそんな精神が残っていたのかと驚いた。
しかし、考えている間にも化物は距離を詰めてくる。
逃げるにしろそうでないにしろ、何かしらの決断はしなければならない。
「ん…あ、ちょっと待って…!」
落ち着いていたはずが、いや、落ち着きすぎていたのか、化物との距離を見誤った。
もう5mと距離はなく、颯目掛けて腕を振り上げながら近づいてくる。
そこで彼の下した判断は。
「さようなら!ごめんなさい!許してください!」
迫りくる化物の腕をひらりと躱し、再び距離を取る。というものであった。
地面には3つの、大きな窪みが出来上がる。
「許された…!」
彼は体操選手よろしく両手を上げると、そう言った。とは言っても、攻撃を躱しただけで状況は依然変わりない。
「待って、暴力はよくないと思う。話をしよう。ね?」
両手を前に突き出し、後ずさりをしながら制止した。
問いかけて返事があるはずもなく、それどころか当てるつもりでいた攻撃を、当たるはずだった攻撃を、いとも簡単に避けられたことで激昂している様子であった。
「あ、もしかして日本語分かんなかったりする?何?アメリカの人?」
ドスンドスンと、大きな足音がその声を掻き消す。
「俺英語分かんないんだけど…もうちょっとグローバルな人間目指してたら行けたのかな……っ!!」
そこで隙を作ったからだろう。背後から迫りくる剛腕に気が付くのが遅れた。
叩き潰されようものならそれ即ち──死。
「どりゃあああああああああああっ!」
「助け────って………………え?」
颯自身もうダメかと思ったその時、空からそんな喧しい叫び声と共に落ちてきた青い光がその攻撃を弾き、そのまま化物を消滅させた。
何が起きたのか理解できず呆然とする颯に、その声の主は語り掛ける。
「ちょっとだけルール違反な気もしますけど…見つけました!適任者を!」
颯を指差し笑みを浮かべる精霊、エルゼ・フューリタン。
それが、2人の出会いだった。