8.お父さんが若返ったのは?お父さん、人間を辞めたってどういう意味?
お父さんと私は、背もたれが破壊されているベンチに仲良く座って話している。
お父さんは、私の頭をよしよしと撫でてから話してくれた。
お父さんは、変わっていない。
いなくなる前のお父さんは、いつも、私の顔を見ると、何があってもなくても、頭をよしよしと撫でてくれていた。
「お父さんは、時間とともに良くなるのを待てなかった。
どこまで良くなるのか。
お父さんは、家にいても、自分が元気になるなんて、思えなかった。」
と話すお父さんは、一メートル先の地面を見ている。
私は、地面よりは、お父さんを見ておこうと思った。
私は、お父さんの膝のあたりを見ていた。
「処方されている薬は、効果の強いものへと切り替えていった。
強い薬を飲んで、安定していたこともある。
でも、低値安定でね。
元の高さには、届かない。
お父さんが当たり前にいた場所は、高くて遠くて、手を伸ばしても、まだ先にある。
お父さんが低値安定じゃ、お父さんの家族は幸せになれない、とお父さんは思った。
お父さんが、元気になるまでじっとしている間も、きーちゃん達の時間は進む。
お父さんは、すぐに結果が欲しかった。
きーちゃん達と楽しく過ごせる毎日を、すぐに取り戻したかった。」
とお父さん。
「お父さんは、私達と生きようとしていたんだね。」
お父さんが、私達を捨てたんじゃなくて、良かった。
「うん。お父さんの生き甲斐だったよ。」
とお父さん。
「それが、どうして、帰れなくなったの?」
「お父さんは、変われるなら、お父さんを変える手段を選ばないと決めていたんだ。
短期間で自分を変えられる方法を探した。」
とお父さん。
「探し出した人が、知り合いの娘の頭を握り潰したがるお医者さん?」
人格にだいぶ問題はあるけれど、腕は良かったんだよね?
「お医者さんには違いないかな。
相談しにいったお父さんにいくつか施術を紹介してくれた。
お父さんは、最後まで諦めなければ、絶対に変われるという施術を選んだ。」
とお父さん。
「絶対に変われるって、お父さん。
私、医療に絶対はないって聞いたことがある。」
私は、思わず、お父さんの話を遮った。
「うん。『絶対』が肝だったんだ。」
とお父さん。
「お父さんの選んだ施術は、医療じゃなかった?」
お父さんは、詐欺に引っかかったの?
「お父さんが、途中で諦めたら、施術は失敗して、医療の範囲でおさまっていた。」
とお父さん。
途中で諦めたら、医療?
諦めるかどうか、施術される側の心持ちで、結果が変わるの?
「お父さんが諦めなかったから、施術は成功して、医療の範囲におさまらない成果を出した。
その成果が、今のお父さん?」
「そうなんだよ、きーちゃん。
お父さんは、きーちゃんのお父さんとして、健康で元気が有り余っていたお父さんに戻ることを目指していた。」
とお父さん。
目指していたんだ、とお父さんは繰り返して、口ごもる。
「今のお父さんは、お父さんの戻りたかったころのお父さん、だよね?
お父さんの願いは、叶ったはずなのに。
お父さんは、どうして苦しいの?」
「きーちゃん。
戻ることを目指しても、医療なら戻るまではいかないんだ。
それなのに。
施術が成功したお父さんは、戻ってしまった。
体も心も。
人間なら、戻るはずがない。
気持ちの上では、ずっと戻りたかったよ。
お父さんが考える、お父さんの最盛期は、そのときだったから。
戻りたかったのは、戻ることがない、と知っているからなんだ。」
とお父さんは、悲しみをたたえながら言葉を切った。
「うん。」
私は、お父さんが話す言葉を聞き漏らさないようにした。
「つまりね、きーちゃん。
戻れてしまったなら、もう人間じゃないんだよ。
施術が成功した日から何年経っても、お父さんの体と心は、成長も退化も、老化もしない。
お父さんは、何も変わらなくなったんだ。
お父さんは、戻った時間で止まっているんだよ。」
とお父さん。
お父さんの声は、心細そうに震えていた。
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