57.ただいま、ありがとう、大きな口。
私とお父さんが、ミラーハウスで、幽霊ごっこをしていたら、最恐ミラーハウスとして、長蛇の列ができる人気スポットになった。
戦前の女子高生が、化けて出てきた、とか、ネットで噂が駆け回ったらしい。
私は、もう、スマホを持たないから、知らなかったけれど、私の姿を目撃した人がかなりいて、写真を撮ろうとしても写らなかった、とか。
私の姿は、透けていても、実体があるから、会話ができる。
「何をしているんですか?心残りがあるんですか?」
と聞かれたから。
「お父さんと幽霊ごっこをしているの。お父さんと遊びたかったときに、遊べなかったことを全部しておくことにしたの。
お父さんと遊んでいるから、邪魔しないでね。」
と答えたの。
「満足するまで遊ぶんですか?」
と聞いてくるから。
「満足したらね。」
と返事したんだけど。
【幽霊ごっこをしている、会話可能な戦前の女子高生の幽霊を見にいこう!ツアー】
が始まったんだって。
私を見にくる人がたくさんきて、私とお父さんの間に入ってきて、私にずっと話しかけてくるから、お父さんと遊びにくくなって、ミラーハウスでの幽霊ごっこは、止めたの。
「私に、戦前のことを聞くくらいなら、スマホで検索すれば。」
と言ったら、それが、バズった、とかで。
「何か、面白いことを言って!」
と、次から次へと、カメラとマイクを向けてくるからね。
「スマホに聞けば?」
と言って、お父さんとミラーハウスを出てきた。
人がうるさかったから、お父さんと一緒に、夜中に、お母さんと妹の墓参りをしたの。
静かに、お別れできたの。
私とお父さんとお母さんと妹。
私達は、四人家族。
私は、彼岸に渡った、お母さんと妹にごめんね、と謝ったの。
私は、私の希望で、お父さんの死後も私に縛り付けて、お父さんを彼岸に渡らせない。
私は、死後、彼岸へは渡らない。
大きな口の中に、お父さんと行く。
彼岸で、お母さんと妹が、お父さんと私を待っていても、会うことはできない。
大きな口の中に、彼岸があるとは思えないから。
だから、ごめんなさい、をしたの。
「お父さんは、最後まで、私が連れていくね。
お母さんと妹は、二人で、知り合いを作って助け合ってね。」
私とお父さんは、小石がたくさんある山中の川の河原で、賽の河原ごっこをしていたの。
ふいに、感じたの。
あ、引っ張られている。
そのときが来たんだって。
私は急いで、立ち上がり、お父さんと手を繋いだ。
ギュンっと吸引された感覚がなくなると。
私とお父さんは、私達が住んでいた家に戻っていた。
布団の上に寝ている私が見える。
歳を重ねた、本来の私。
今日なんだ。
今日が、私の最終日。
大きな口が、ケハケハと軽快に笑いながら、私達を出迎えてくれる。
「ただいま、大きな口。大きな口とお父さんのおかげで、私は最後の最後まで楽しかったよ!」
私は、伝えたい言葉は、全部言ってしまうことにした。
大きな口と話をするのも、これが最後。
大きな口に食われた後も、自我を保てるかどうか、食われる前の私は、知らない。
「おかえりの時間。」
と大きな口。
大きな口は、パカーンと口を開いた。
お父さんと並んで入れるサイズに、縦長に開いた口には、歯がぎっしり並んでいる。
「お父さんと手を繋いで入っていけばいいの?」
大きな口は、口を閉じずに、ケハケハ笑った。
私は、大きな口に並ぶ歯を撫でる。
「大きな口。私は絶対に美味しいよ?お父さんと一緒に、食べ残しはしないで、食べてね。」
ケハケハ、と大きな口は、笑った。
ケハケハ、としか聞こえないのに、食べ残しなんかしない、と聞こえる。
「お父さん。」
と私は、繋いだ手に力を込める。
お父さんは、空いている方の手で、私の頭を撫で撫でした。
「きーちゃんの行くところには、お父さんも一緒に行く。お父さんは、きーちゃんのお父さんだから。」
「私も、お父さんといる。お父さんを一人になんかしない。お父さん、私といることを諦めたらダメだからね。」
お父さんに念押しすると、お父さんは、私の頭をポンポンした。
「お父さん、右脚からだよ?」
「右脚からだね、きーちゃん。」
「「せーの。」」
私とお父さんは、手を繋いで、右脚から、大きな口の中に一歩踏み入れた。
ケハケハ。
大きな口の歓喜の笑い声を聞きながら。
私とお父さんは、左脚も、大きな口の中へ。
「これから二人分、よろしくね、大きな口!」
私は、振り返って、叫ぶ。
ケハケハ、ケハケハ、と笑いながら、大きな口は、ゆっくりと閉じる。
私は、私達四人が家族だった家を目にやきつけた。
私が育った家。
私が娘を育てた家。
妹をお嫁に出した家。
お母さんを見送った家。
最後は、私とお父さんと、大きな口になった。
大きな口は、私とお父さんを食べたら、家からいなくなる。
さようなら。
私の娘は、私の死後、私の遺言と、私の手紙を受け取る。
娘は、娘の人生を生きてほしい。
お母さんは、亡くなる前まで、私の人生を見守って、お父さんと私の先行きを心配していた。
私の娘は、大きくなってから、私に心配させなくなった。
私の方が、娘を心配させている。
娘の人生が、楽しいものであるように、という気持ちを、私は、私達の家に置いてきた。
閉じた口を背に、私とお父さんは、手を繋いだまま、前に進む。
大きな口の中には、たくさんの歯が並んでいた。
その歯の一つ、一つには、口がついていて、無音でパクパクと動いている。
お腹が空いているのか、と思って見ているうちに、空腹だから、ではなく、お喋りしていることに気がついた。
音が出ない口の中には、小さな映像が流れては消えていく。
口の中に映し出された小さな映像は、全て、人物だ。
同じ人物もあれば、異なる人物もある。
映像は、何人、何百人の人の姿を映し出している。
「監視カメラみたい。」
私が感想を漏らすと。
小さな口を見ていたお父さんが、驚くべきことを言い出した。
「小さな口が喋っているのは、全部、誰かがしている噂だよ、きーちゃん。」
私は、意味がわからなくて、お父さんの解説を待った。
「人の口を介さない、ネットの噂だから、小さな口は、全部無音なんだよ、きーちゃん。」
「お父さんは、どうして、分かったの?」
「お父さんは、小さな口の動きを見ていたんだけどね。
映し出される人物の映し方と合わせると、どの口も褒め言葉は使っていないと気づいたんだ。」
とお父さん。
「お父さんは、口の動きで分かるの?」
「お父さんは、経験者だからね。
口の歪み方で、褒めているか、いないか。
どんなに風に見ているかで、悪く思っているか、関心がないか、という人の機微に気づいてしまうんだ。
気づかない方がよかったのにね。」
とお父さんは、悲しそうに話してくれた。
私は、このとき、初めて知った。
お父さんが、会社に行けなくなったのは、噂が原因だ。
噂が、お父さんを蝕んだ。
「教えてくれて、ありがとう。お父さん。いらない噂は、私が蹴散らすからね。」
「ありがとう、きーちゃん。」
とお父さん。
「私は、お父さんと一緒にいる。お父さんは、いらないものを見つけたら、すぐに言ってね。」
「きーちゃんは、大きくなったね。」
とお父さん。
「大きな口は、ネットの噂を全部網羅したから、大きな口になったの?」
「お父さんは、大きな口について、きーちゃんよりも知らないんだよ。
施術が終わったら、見えるようになったんだけど、施術前から見える場所にいたんだろうね。」
とお父さん。
そういえば、大きな口の噂は、聞いたことがない。
大きな口を認識できる人がいなかったから?
大きな口が、私と仲良くなったきっかけは、『うまそう』だった。
頭を握りつぶしたがる医者とお父さんは、大きな口を認識していたけれど、大きな口と自由に会話することはできなかった。
大きな口は、私との出会いに喜んで、私との暮らしを楽しんでいた。
大きな口は、私とお父さんがいなくなったら、誰にも気づかれなくなる?
私は、大きな口の中から、大きな口に話しかける。
「大きな口。話し相手が急にいなくなって、退屈していない?
私とお父さんも、大きな口と外の景色を見ながら、喋りたいときが来ると思う。
大きな口もお喋りしたくなったら、私とお父さんに外の景色を見せて。」
ケハケハ、ケハケハと、大きな口の腔内が震える。
これで、大きな口は、話をしたくなったら、外の景色を見せて合図をしてくれる。
私は、大きな口からの合図を待てばいい。
私が話したくなったら、大きな口に、外の景色を見せて、と頼もう。
私とお父さんは、大きな口の中を歩いてみる。
大きな口は、どこまで歩いても、大きな口。
口以外は、なかった。
音がしない噂だから?
そのうち、大きな口の中に、誰か増えるかもしれない。
私みたいに、大きな口に入ろうとする人が、入ってくるかもしれない。
私とお父さんが、いつか、大きな口に消化されないとも限らないよね。
大きな口の中に来ても、私の心の黒さは、黒いまま。
私は、私のまま、何も変わらなくていい。
私の人生の集大成が、大きな口の中って、最高。
何より、私のお父さんも一緒だからね。
〈おしまい〉
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完結です。
ありがとうございました。




