55.お父さんと私は、孫息子と祖母に見えるようになった。医者の終わりは、医者にとって、良いものに。私は、人生を賭けた決断をしよう。罪を重ねる決断を。
妹が彼岸の人になった。
妹は、私より先に、子どもや孫や赤ちゃんの曾孫に見守られて、旅立った。
私の娘夫婦と孫達は、私とお父さんを知る人がいない場所で生活している。
私のお母さんの葬儀以来、娘夫婦にも、孫達にも、めっきり会うことがなくなった。
娘は、実の祖父である、私のお父さんに遊んでもらって、育てられた記憶があり、私の元夫のように、お父さんを忌避することはしない。
娘は、娘一人だけで、私とお父さんに会いにくる。
娘は、母である私の様子を見に来て、祖父の姿が変わっていないことに感心している。
同時に、娘は、私がお父さんより先に力尽きるのを心配している。
私とお父さんが住んでいる家に、お父さんだけ残されたら、どうしたらいいか。
と切り出すか、切り出さないか、切り出すなら、いつにしよう、と、口に出すのを毎回、ためらっている娘。
娘を困らせるのは、私のしたいことじゃない。
私は、遺言を作ることにした。
私の死後、娘に読んでもらうための手紙もしたためている。
私とお父さんが一緒にいると、お祖母ちゃんと孫息子に見えるようになった。
私が、お父さんを『お父さん』と呼ぶと、お父さんは、孝行者に見えるらしく、私とお父さんは微笑ましく見守られている。
私とお父さんが住んでいた家の近所は、売り買いされて入れ替わっている。
私の子ども時代を知る人も、お父さんの昔を知る人も、もう近所にはいない。
気温の変化に、私の体がついていけない日が増えてきた。
ゴミの日などの生活パターンは、お母さんがいて、私がしっかりしていたときに、お父さんに伝授したので、今のところ、日常生活する分には困っていない。
若い見た目のお父さんの助けがないと、今の私の日常生活はままならない。
そして、お父さんは、思考の一部を欠いたまま。
私が頭脳になれている間は、私とお父さんは、生活できているけれど。
私の頭脳が、あやしくなってきたら、お父さんに、私を止めたり、私を導いたりすることは難しい。
頭を握り潰したがる医者は、お父さんにとっての創造主という縛りがあった。
お父さんは、創造主である医者を生かすために、介護していた。
お父さんが医者にしたことと同じことを、私にしてくれると期待してはいけない。
私が決断できるうちが、私の人生の、仕舞いどき。
若返った見た目になって、思考の一部を欠いたお父さんと生きると決めたのは私。
私は、一生、お父さんと一緒に暮らしたかった。
お父さんと一緒に暮らすために、無理を通したこともある。
お父さんは、私が一緒にいてほしいというから、私といる。
私が寿命を迎えたとき。
お父さんに、もう好きに生きていいよ、なんて残酷なことは言わない。
お父さんの居場所は、私とお父さんと大きな口で暮らしている、この家だけ。
私は、家族と一緒にいられなかった時間の反動で、徘徊した医者の姿を見ている。
私がいなくなった後のお父さんの状態は、きっと医者よりもひどくなる。
私の頭がしっかり動いているうちに。
私の命が尽きる前に。
私は、今日、決断する。
罪を重ねる決断を。
大きな口は、医者に医者の家族が振り回される様子を見に行っては、しょっちゅう私に聞かせてくれた。
頭を握り潰したがる医者は、家族との有意義な時間を過ごしてから、医者の妻を誘って彼岸へと旅立った。
医者の妻は、頭を握り潰したがる医者に会うと、意識が覚醒するらしく、医者が老健にいる日は、毎回、妻の絶叫が響いた。
『どうして、いるの?いやあ、化けてでてきたの?来ないで、帰って!』
とひとしきり騒ぐと、妻の頭がはっきりしてくるんだとか。
医者が話しかけると、医者の妻は、あれやこれや、言い訳を喋り続ける体力がつき、結果的に大往生した。
医者は、自分の存在で妻を元気にできたことが嬉しい、夫冥利に尽きる、と最後まで喜んでいたことを大きな口が教えてくれた。
医者の人生の終わりが、満足のいく結果になって良かった。
私は、人生の終わりが見えても、心の黒さに変化はない、と大きな口は、私の近くで毎日楽しそうにしている。
医者の施術が成功したのは、医者とお父さんの二人だけだった。
大きな口好みの、何かを乗り越えて、貫き通す意思は希少だったんだね。
大きな口は、美食家だから。
私のお父さんの一部を美味しい喰ったんだから、美食家以外を名乗るのは、認めない。
私は、今、布団の中にいる。
今日の私は、布団の住人。
お父さんは、私が寝ている布団の枕元に座っている。
大きな口は、お父さんと、並んで、私のお腹の横あたりにいる。
今から、私は、お父さんと大きな口に、私の決断について話すことにした。
「医者の施術を受けたお父さんが、元気で長生きできたのは、私と大きな口と、ずっと一緒だったからだね。」
私が大きな口とお父さんに話しかけると。
大きな口は、ケハケハと、機嫌よく笑った。
大きな口の中は、底が見えない。
歯はある。舌はない。
「うん。お父さんは、きーちゃんと一緒にいられて良かった。」
と微笑むお父さん。
お父さん。
お父さんが家の中にいて、私に笑いかけてくれている暮らしを続けることができて、私は幸せだったよ。
お父さんがいなかったら、今の私はいないよ。
だから、お願いがあるの。
お父さん。
私は、最後まで、お父さんのきーちゃんでいたい。
お父さんは、これからも、私のお父さんでいてほしいから。
だからね、お父さん。
これから、少なくとも一つは罪を犯す私の、永遠の共犯者になってくれる?
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