50.結婚したら、大事なものが増えて、幸せも増えるんだと思っていたの。家族って、ずっと一緒にいられるものだと思っていたの。だけど。
7月31日、複数話、投稿
投稿回数は、7月30日より少なくなります。
私は、結婚する気がなかったの。
私の日常に、お父さんとお母さんと妹がいれば、それでいい、と思っていた。
家を出ていったお父さんが若返って戻ってきた高校二年生の日から、私達は、また、家族四人での生活を始めた。
ぎこちなさは、あったけれど、私もお母さんも妹も、思っていたことを話しきった。
若返って戻ってきたお父さんは、私達三人の主張を穏やかに聞いていた。
『また、賑やかな家族と暮らせることになって幸せだ。』
とお父さんは、にこにこしていた。
お父さんが、にこにこしていた反面。
お母さんは、心ここにあらずな日が続いた。
お母さんの不倫相手は、私とお父さんが、不倫相手の勤務先に乗り込んだ日以来、お母さんとの連絡を拒否して、関係を絶った。
お母さんは、不倫相手から関係を絶たれたことにダメージを受けていた。
『関係を続けたかったなら、どうして、浅く長く続けることを選ばなかったの?』
私は、お母さんに聞いてみた。
お母さんが不倫相手とすぐには別れられないだろうと考えた私は、お母さんの不倫相手との初顔合わせで、お母さんが、私のお母さんであることを辞めないのなら、不倫の継続は咎めないと伝えていた。
私の目から見て、不倫相手よりもお母さんの方が、好き度合いが高いように見えたから。
私と妹に、お母さんがポツポツと語ってくれたことによると。
お父さんが家を出ていった後、一人で切り盛りしているお母さんの理解者、というポジションから、関係が始まっている。
お母さんは、不倫相手に包容力と安心感を求めた。
高校生と中学生の娘二人には、ないもの。
お父さんは、お母さんの言うことを、はいはい、と受け入れるだけでなく、縁の下の力持ちタイプで、包容力と安心感というタイプではない。
言うことを聞いてくれる、お父さんとは別のタイプがよかったのかな?
不倫相手が、お母さんの言うことを聞かないタイプだから、お母さんはフラレた。
お母さんは、安心できる理解者の恋人を失ったという喪失感を抱えていた。
お母さんの不倫相手は、お母さんの苦労を労って、お母さんに『頑張らなくていい』と言った。
「お母さんに『頑張らなくていい』と言った不倫相手が、お母さんの代わりにお母さんの分も頑張る、と言わなかったんだったら、お母さんが頑張るのを止めることを本気で望んではいなかったんだよ。」
不倫相手とお母さんが別れた理由は、不倫相手にとって、お母さんが面倒になったからだろうと私は推測した。
「不倫相手と結婚しようと頑張るお母さんは、不倫相手に求められていなかったんじゃない?
頑張るお母さんに、頑張らなくていい、と不倫相手が言うことを、不倫相手の優しさだと感じて、お母さんが頑張り続ける気になることを狙っていたと私は思う。」
「不倫相手にお母さんと一緒に頑張ろうとする気はなかったから、頑張るのを辞めて、全力で不倫相手といようとするお母さんの存在が重くなったの?」
と妹。
お父さんは、お母さんが不倫相手のところから戻ってきた、ということに対して、何も言わなかった。
若返ったせいで、お父さんの感情が働いていないのか。
お母さんのしたことを何でも受け止めるのが、お父さんの愛情なのか。
私と妹には、分からない。
夫婦のこと、なんだと思う。
お母さんの不倫相手への熱は、フラレた直後より、妹の高校問題で奔走した後が、一番高まっていたから、疲れたときに休む場所として不倫相手を求めていたのかもしれない。
妹は、どうにかこうにか、予定していた学校とは違う高校に進学した。
妹には、それが良い方向に作用した。
最初に進学を予定していた高校を選んだときとは、妹の心境がすっかり変わっていた。
妹は自分から何かしようとするようになり、最初の学校の方針とは合わなくなっていたから。
妹は、高校生活を楽しみ、私は生涯独身計画のために、大学に進学しても自分のことは自分でする習慣を持ち続けた。
大学を卒業して就職して、一生自分を食べさせるために働くものだと決めていた私に出会いがきた。
「付き合う?」
と彼に聞かれたときに。
「付き合わない。そんな仲になっていないから。」
と答えた私。
「俺達、付き合う前の仲良さだったよね?
付き合う前段階で、これ以上仲良くなるってどういう状態?」
と彼が驚いたことで、私は彼の存在について考えるようになった。
最初は、知り合い同士だったけど、彼に対しては、私がお父さんばりの何でも受け入れるから精神を発揮しているうちに、仲良くなっていた。
他の人には、何でも受け入れる精神を発揮していなかったことに気づいた私は、そこでやっと、「私、彼が好きになっていたんだ」と自覚。
「私、好きになっていたよ。」
と彼に伝えると。
「知っていた。」
と彼。
「絶対に、俺のことが好きだと思って、付き合うのか、聞いたのに、無自覚とは思わなかった。
何いってんだ?みたいな反応されて、嘘だろ?と目が点になった。」
と彼は、笑いながら結婚に至るエピソードを人に語っていた。
私達は、お付き合いを始め、そのまま結婚した。
だけど、私の結婚生活は、長くは続かなかった。
彼は、結婚生活の破綻理由を、私のお父さんだと思っている。
私は、違うことを考えている。
私達夫婦が、うまくいかなくなっていた原因は、私達の関係性にあった。
私の方が、彼を好きで、彼もそれを知っていて、私がいつも、いいよ、いいよ、と彼を受け入れる。
私達の関係は、結婚が決まってからも、結婚してからも、変わらなかった。
私は、お父さんとお母さんという実例を見てきたのに、失敗してしまった。
私の好意を受け入れている彼に頼まれて、頼られて、彼に応えることが幸せだった。
でも。
どうしてものめない要求が一つだけあった。
私達は、その一つをめぐって、険悪になることもしばしばだった。
その件については、私が、一切の譲歩を見せなかったから。
彼は、私に譲歩されることはあっても、私に譲歩したことはなかった。
私は彼に譲歩させようとは考えていなくて、妥協点を探して、提案した。
彼は、私の提案にも頷かなかった。
どうしても、分かり合えない問題を抱えたままの私達だったけれど、私達は互いに離婚することは考えていなかった。
私の夫と彼は、私のお父さんを受け入れられなかった。
お父さんと縁を切ってほしいと願われた私は、夫に提案した。
『私のお父さんを、あなたのご両親のように受け入れなくても、私もお父さんも構わない。
私といるお父さんの存在自体を受け入れがたいなら。
あなたは、私のお父さんに近寄らずに遠くで見ていて。
私は、一生、お父さんとは離れない。』
と。
彼は、夫になってめた、自分が頼めば、私はお父さんと縁を切ることを迷わないと思っていた。
私は、お父さんのこと以外なら、願いを叶えて上げようと思っていた。
好きな人に頼られて、喜ばれるのは、こそばゆくて、幸せだった。
彼が夫になってからも、彼の頼みは、毎回、工夫しながら叶えてきた。
夫の頼みは、私との知恵比べみたいになっていたけれど、私は楽しんでいた。
好きな人が、私をもっと好きになってくれたらいい。
私と夫は、結婚して、妊娠が分かったときが、最高に幸せだった。
私達は、二人で、妊娠を喜んでいた。
私達は、互いに違う未来を見ていたことに気づかなかった。
私は、お父さんとお母さんと、夫のご両親と、夫と私で、我が子の行事を祝うのを楽しみにしていた。
夫は、違っていた。
妊娠が分かって、里帰り出産するか、親に手伝いに来てもらうかの話し合いを夫としていたときだった。
私は、里帰りしても、しなくても、どちらでも良かった。
どちらにも、産院は通える範囲にあった。
夫は、妊娠はチャンスだから、この機会に、お父さんと疎遠になって、絶縁しよう、と言い出した。
私は、全く意味が分からなかった。
夫は、最初、子どものために、お父さんと会い続けるのは良くない、と私に話していた。
『子どものために、お父さんの存在が良くないものだったら?
私は子どもから大人になっていなかった。
大人になるまでの私を支えてくれたのは、お父さん。』
そう言って、私は夫の主張を退けた。
夫は、ひかなかった。
『お義父さんは、最初から気味が悪かった。慣れれば、と思っても、慣れることはない。
実月は、感覚が麻痺しているんだ。
一度距離を置いて、自分のお父さんがおかしくないか、冷静に判断したらいい。』
私の中で、お父さんと距離をとる考えを採用することは、一生ない。
私が一番頼りにしているのはお父さん。
安心できる相手もお父さん。
夫は、私の好きな人で、私が支えたい人。
夫が、私の中のお父さんの立ち位置に立つことは、一生ない。
私のお父さんは、永遠に、私のお父さんでヒーローだから。
私と夫は、話し合いを続けたけど、話は平行線のまま。
私と夫との会話は、次第に少なくなっていった。
口を開くと、口論になる。
夫は、用事がなければ、家にいても口を開かないようになっていった。
私は、里帰りの話もまとまらなかったので、里帰りせずに出産した。
里帰りしないで出産したのに、夫は、産院に、ほとんど顔を出さなかった。
里帰りした方が、お父さんやお母さんが呼べて、入院生活が楽しかったのに、と私は悔やんだ。
産院からの退院の日。
私と赤ちゃんを迎えに来た夫は、上機嫌だった。
お父さんのことを話し合い出して険悪になってからは、見たことがないくらいの上機嫌さだった。
産院から家までの距離は、徒歩圏内。
歩いて家に帰ろうとする私に、夫は、これからすぐに行くところがあるから、と駅に誘った
夫は、こっち、こっち、と言って、先に行くので、私は、赤ちゃんと荷物を持ってついていった。
私は、早く休みたかった。
まだ、首のすわっていない、産院から帰りたての赤ちゃんを人の多い場所に連れ回したくなかった。
「今日でなくても。」
と私は、何度も伝えたけれど、夫は聞く耳を持たなかった。
着いたところは、駅からバスが出ている住宅地の一画のアパートの一室だった。
「何をしに来たの?」
私は、赤ちゃんを抱えている緊張と、かさばる荷物の重みで、言葉少なになった。
夫は、まあ、まあ、と言いながら、扉の鍵を開けた。
「俺達の新居だ。今日からは、ここで生活する!
ここのことは、実月の両親には絶対に話すなよ?
バレないように慎重に計画してきたから、成功したんだ。
ここなら、実月のお父さんを知る人は誰もいない。
実月がお父さんをうちに呼ばなければ、実月のお父さんがああだとは、誰にも分からない。
実月は、俺が何を言っても、お父さんといようとするだろう?
物理的に離れて会わなければ、お父さんがいない日常に慣れるから。
これから、頑張って慣れていけばいい。」
夫は、産院から退院するときに、新居への引っ越しを計画していて、その大詰めで忙しくしていたらしい。
退院した足で、連れて行かれた新居には、梱包されたままの荷物が積んだままだった。
夫の布団は、使用済み状態だったけれど、産院から退院した私と赤ちゃんの寝具も衣服もどこにあるか分からない状態。
新生活を夢見て、新居に着いて浮かれて喋り倒す夫。
疲れ切って言葉が出ない私。
私の腕の中の赤ちゃんの泣き声。
『あなたが、あなたの感情を優先して、あなた以外の家族を自分の下にみていることが分かった。』
私は自分が思うより冷たい声を出していた。
『家族に、お義父さんは入らないだろう!』
と夫は言った。
『あなたが下に見ているのは、妻と我が子。
あなたは、自分の感情を最優先にして、私と我が子の健康を二の次にしたの。』
『分からず屋。
自分のいた家がどれだけ醜悪な場所か気づかせてやろうとしているのに。
拒絶ばかりじゃ話にならないだろう。
いいから、まず話を聞け。』
『私は譲歩の提案をした。あなたは提案をのまずに蹴った。
私の育った場所が醜悪だというなら、その醜悪なものこそが、私が大事にしてきたもの。
私は、私が大事にしてきたものの良し悪しを決めつけて、踏み潰すことをあなたに許したことはない。』
私は、夫と言い合いをしたまま、回れ右して、新居の玄関を出た。
夫は、くそっ、と壁を叩いていた。
私、結婚したら、大事なものが増えるんだと思っていたの。
家族として、幸せを感じる存在が増えることだって。
結婚したら、お父さんを切り捨てないといけなかったの?
そんなの、私の望んだ幸せじゃない。
私は産院を出てきたその足で、産後一週間も経たない赤ちゃんを抱きしめ、産院から持ち帰った荷物を肩にかけ、出てきたばかりの新居の玄関の前に立ち尽くしていた。
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