29.お母さんのちょっといい人は、私にとってのどうでもいい人。私は、お母さんを困らせない子どもだったけど、今日からは変わるね?
私は、大きな口に姿を隠してもらって、お母さんと妹のやりとりを見ている。
妹が帰らないと粘り続けていると、お母さんは、時間を気にしだした。
お母さんの帰宅が遅くなってきたから、心配になって見に来たんだよ、私も。
お母さんがなかなか帰って来ないことを心配しているのは、妹だけじゃないんだよ、お母さん。
どうして、お母さんの帰りが遅くなるのか、原因を突き止めに来たの、今日は。
妹を帰したくて帰したくて仕方がないんだね。
仕事おわりに化粧直ししたんだね、お母さん。
今の口紅の色は、今朝出勤前に塗っていた口紅の色とは違うね。
大丈夫、妹は、気づいていないよ、お母さん。
私はね、いつでもお母さんに見ていてほしいから、お母さんのどんな変化も見逃さないようにしているの。
私、いつなら、お母さんが私を見てくれるか、タイミングを見計らうのが、上手になったの。
自慢に聞こえるだろうけど、お母さんに関するタイミングで失敗したことはないんだよ?
私は、お母さんのことを、誰よりも見ている。
お父さんよりも。
妹よりも。
妹は、お母さんが振り向いてくれるのは当たり前だと思っているから、お母さんの都合なんてお構いなしなんだよ。
今だって、お母さんが困って、妹を帰らそうとしているのに、妹は、お母さんが帰らそうとすればするほど頑なに帰るまいとしているよね。
お母さんを困らせたことなんて、私にはなかったよ。
お母さんは、お母さんを困らせない私より、お母さんを困らせる妹をいっぱい構うよね?
ひょっとして、お母さんは、子どもに困らせられるのが好きなの?
困らせられると、子どもに愛着がわくの?
いい子で、お行儀よく、お母さんに逆らわない娘がいて、助かったとは思わないの?
お母さんの知り合いは、妹じゃなくて、私を褒めていたよ。
お母さんの価値観は、違うんだ。
私は、間違っていたんだね、お母さん。
いいよ、私、お母さんに合わせるの、得意だから。
お母さんのことをうんと困らせてあげる。
私のことで頭をいっぱいにしてね?
妹は、お母さんに言いくるめられて帰っていく。
妹は、先に帰ったらいいよ。
お母さんは、お姉ちゃんに任せて。
妹が去ると、お母さんは、すぐに移動を開始した。
小走りとまではいかないけど、せかせか歩くお母さん。
「お待たせしました。出掛けに手間取ってしまって、すみません。」
とお母さんが話しかけたのは、お母さんと同年代の男の人。
「たいして待ってません。予約の時間も迫ってきましたね、行きましょう。」
と男性が言う。
私は、お母さんと男性が並んで歩くすぐ後ろを歩く。
「今日は楽しみにしていました。お誘いありがとうございます。」
と話すお母さんの声は、聞いたことがないくらい上機嫌だった。
お母さん、この男性のことをちょっといいな、と思っていない?
私は、気に入らないよ。
私のお母さんを独り占めするような人が、お母さんに近づくなんて。
お母さんがちょっといいな、と思う人は、私にはどうでもいい人だよ。
お母さんが、自分で気づいてくれると嬉しいな。
気づいてくれないなら、私が、お母さんに教えてあげるけどね。
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