1.仲良し家族は、お父さんが家から出られなくなったときから、変わった。高校生になった私は、お父さんによく似た若い男の人と会うようになった。
7月28日、複数話、投稿
私のお父さんは、家族が大好きだった。
お父さんの家族は、お父さん、お母さん、私、妹。
私が小学生のときに、お父さんは、会社に行けなくなった。
そのまま、休職して退職して家にいた。
お父さんは、会社に行こうとすると体調が悪くなる。
お父さんは、私と妹が、学校にいる間も家にいる間も、ずっと家にいた。
私と妹は、習い事を辞めて家にいる時間が増えた。
お母さんは、パートから正社員になって、留守の時間が増えた。
私は、学校と部活と家のことに忙しくなった。
生活が回らなくなると分かっていた私は、慣れるように頑張った。
食卓で、妹は毎日、お父さんに早く仕事に行ってほしいと頼み、お父さんは毎日、ごめんね、と謝る。
お母さんは、何回か妹をたしなめたけど、途中からは、何も言わなくなった。
だから、私が妹をたしなめるようになった。
妹は、私に反発した。
「お姉ちゃんには、分からない。
私は、お父さんが家にいるから、お教室に通えなくなって、お稽古もできないし、お友達もいなくなった。」
というのが、妹の主張だった。
「不満ばかり言っていないで、今の生活の中で、探すんだよ。したいことも、友達も。」
私が現実に合わせるように言うと、妹は、ますます腹を立てた。
「私は、ずっと我慢している。私の気持ちを無視して、正論を振りかざして楽しい?」
「お父さんにごめんなさいを言わせることは、我慢じゃなく、鬱憤晴らし。」
「それを言うなら、お姉ちゃんは、正論で私を攻撃して鬱憤晴らししているんでしょ!」
私が妹をたしなめると、毎回、姉妹喧嘩に発展した。
私達の姉妹喧嘩は、小学生二人だけでの仲直りが難しい内容だった。
お母さんは、最初の方こそ、妹をいさめていた。
次第に、妹をいさめなくなった。
姉の私に正論で言い負かされたと不貞腐れる妹を、お母さんは慰めるようになった。
家族での会話は、ギスギスしたものになった。
転機が訪れたのは、私が中学生のとき。
『変わりたいから、変わってくる。』
と銀行通帳を持って家を出たお父さんは、そのまま帰って来なかった。
銀行通帳を持っていかれたのは、一時的な痛手だけど、お母さん一人で養う人数が一人減った。
それが、我が家の現実だった。
家にいたお父さんは、お母さんが家にいたときみたいに、家事をして、家を切り盛りするような姿を私達に見せてこなかった。
お父さんには、家事をする発想がなかったのか、したくないからしなかったのか、体が動かなくてできなかったのか。
お父さんがいなくなった今となっては、確認しようがない。
ただ、私も妹もお母さんも、お母さんが家にいたとき、お母さんはしていた、と思ってしまっていた。
お父さんも辛かったんだろうけど、私達も辛かった。
家族という繋がりがあっても、だからか、家族だからなおさらだからか、四人が四人とも辛かった。
今の私は、高校生。
私の行動範囲は、広くなった。
お父さんは、責任を感じて思い詰めたのかな、と考えるようになった。
高校生にもなれば、色んな人がいるとを知れた。
私も私の家族も、いろんな人の一人。
学校から家に帰る道とは逆方向に出かけた帰り道。
薄暗くなってきた公園を横断していたら。
私は、他人の空似とは思えないくらい、お父さんによく似た男の人を見つけた。
数年前に家を出ていった当時の姿じゃなく。
その男の人は、家から出られなくなる前、まだ元気だった頃、私と妹が一緒に遊んでいた頃のお父さんにそっくりな姿をしていた。
十年近く前の姿をしているなら、他人の空似にほかならないと分かっていた。
でも、お父さんに似ている。
「こんにちは。私のお父さんより若いけど、お父さんに似ていたので、聞いてもいいですか?
お父さんの親戚ですか?」
あまりに似ているから。
私は、直接、若い男の人に確認しにいった。
「親戚じゃないけれど、そんなに似ている?」
突然声をかけたのに、男の人は、驚かなかった。
お父さんみたいに、私に優しく聞き返してくれた。
「お父さんの親戚じゃなくても、また話してください。」
男の人に親近感を覚えた私は、時間があるときは、学校帰りにその公園に寄って、その男の人と話をしてから帰るようになった。
その男の人と話をすればするほど、元気だった頃のお父さんといる錯覚に陥る。
お父さんのハズがないのに。
若い姿もだけど。
お父さんだったら、娘を見て、知らんぷりすることはしない。
だから、若い男の人はよく似ていても、お父さんじゃない。
分かっていても、その男の人と話すのが楽しくて。
私は、用事がない日は毎日のように会いにいっていた。
夕方の人気のない公園で、学校帰りの私とその男の人は、仲良く会話をしていた。
そんな私の行動を見ている人がいることに、私は気づかずにいた。
私がその公園に行くのは、お父さんに似た男の人に会うため。
その男の人は、私が会いたいと思うときには、いつも会えた。
私は、毎回、お父さんに似た男の人と会えたことに満足して、安心して公園から出ていく。
お父さんに似た若い男の人は、いつも、公園で、手を振って見送ってくれた。
私を見ていた人は、機会を待っていたんだと思う。
公園から戻る道は、私のよく知る道。
幸せを噛み締めながら、家路を急ぐ私は、周囲に注意をはらっていなかった。
私の後ろにいる誰かが何を考えて、何をしようとしているか、なんて、思いもしなかった。
あの雨の日が来るまでは。
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