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 補助魔法の『クイック』と『ガード』を使う。

 しかしこんなのは気休めだろう。

 ハエは人間の数倍速く動けるし、人間性の動きはスローモーションに見えている、という。

 多少速くなっても、所詮見えている世界が違うのだ。

 でも出来る事はやる。

 気休めでも補助魔法はかけておく。

 重ねがけが出来るかどうか、そんな事は今確かめる事じゃない。

 今それを確認したら『出来ませんでした』って事を認識するのは胴と首がお別れした後、という事になりそうだ。


 それより『イリスが俺にやられて嫌な事』ってなんだろう?

 耳を触られる事?

 いや、それは最初に触られるのは嫌だったかも知れないけど、今耳に触られるのはそこまで嫌じゃないだろ?

 さっき頭に触った時、ちょっと耳に触れたけど全く拒絶反応示さなかったし。

 他に何かあったかな?

 俺、何かイリスにやったかな?

 記憶を整理する。

 あ、そういやさっき抱きついたわ。

 ・・・抱きつかれたのがそんなに嫌だったのか。

 何で俺はこんなに精神的ダメージ受けてるんだよ?

 わかってた事だろ?

 イリスは俺に耳を触られて、嫌々嫁になったんだって。

 そう考えてみると理にかなってる。

 ストリートファイターでピョンピョン飛び回るキャミィをザンギエフが倒すには捕まえるのが一番の近道だし。

 とにかく俺も獣人の少女を捕まえるしか勝利への筋道がないのかも知れない。

 1日に二回も違う女性に抱きつくのは変質者の所業だ。

 それはわかっているが生き残るにはそれしかない。

 頭の中でアナウンスが響く。

 「スキル『熱い抱擁』を使用しました」

 俺は獣人の少女に覆い被さる。

 「何だ!?何だ!?」

 少女は逃れようと俺の左頬に右拳を入れる。

 痛てえ!

 『ガード』の補助魔法を使ってなかったら、顔半分がなくなっていたかも知れない。

 とにかくどうにかこうにか、少女に抱きつく。

 でもまた殴られたらたまらないから俺を殴った右手首はキッチリ掴んでおく。

 事案発生だ。

 「離せ!離せ!」

 獣人の少女が俺の腕の中でもがくがスキル『熱い抱擁』の効果がある数秒の間は少女は俺から離れる事は出来ない。

 でも冷静に考える。

 俺が少女を捕まえていられるのって、スキルの効果がある数秒だけなんだよね。

 その後はさっきみたいに殴られる、いや殴られるだけじゃ済まない。

 おそらく殴る、蹴る、引っ掻く、噛む・・・。

 あ、俺、死んだわ。

 どうする?どうする?

 考えろ!考えろ!

 そもそも俺は少女を殴れるのか?

 脳内でシュミレーションしてみる。

 うん、無理だ。

 じゃあどうやって少女を倒すんだ?

 殴るのは当然無理だけど切羽詰まった状況なら、絞める、関節を極める、のサブミッションだな。

 傷つける前に何とか『参った』を奪う。

 しかし、右手首を掴んでるこの状態で、どうやってサブミッションに持っていく?

 もうスキル『熱い抱擁』の効果時間が切れる。

 どうにかせねば!

 俺は手首を掴んでいた右手首を捻り上げると、少女の頭をヒョイと跨いで首に足を絡めた。

 頭の中でアナウンスが響く。

 「スキル『卍固め』を使いました!」

 俺はギリギリと少女を締め上げる。

 女性に暴力を振るうのは本意ではない。

 でも、今緩めたら殺されるのは俺だ。

 俺が死ななかったとしても、俺が技をといて女性が敵意を見せた瞬間にイリスが少女の心臓を射抜くだろう。

 俺が少女に『参った』をさせる以外に死者を出さない方法は見つからない。


 「あ、アタイの負けだ・・・。

 煮るなり焼くなり好きにしろ・・・」ついに獣人の少女が折れた。

 勝った!

 俺は手を離し技を解く。

 「何をしているのだ!」

 イリスが怒鳴る。

 「いや、勝ったから・・・」俺はイリスが何を怒っているのかわからない。

 「勝負がついたのなら、殺すところまでキチンとやれ!

 相手が襲いかかってきたらどうするつもりだったのだ!?」

 凄い剣幕のイリスに少女が言う。

 「お前の言う事はもっともだが、アタイは一度負けたのに再び牙を剥いたりしない。

 そこまで恥知らずではない」

 少女の言葉を聞いてイリスは怒りの矛をおさめたが、それでも納得はしていないようだ。

 「ジン、美徳は立派だが、それを誇れるのは生きてこそだと言う事を忘れるな!

 私の叔母上は高潔だったが、毒殺されたのだ!

 叔母上に毒を盛ったのもちょうどジンが助けたぐらいの少女だったのだぞ!」

 エルフの少女なんて、他の種族の年寄りぐらいの年齢じゃねえか?・・・なんて言葉は思っても言わない。

 「これから気をつけるよ。

 心配かけてごめんな」俺はイリスに頭を下げる。


 そもそもが誤解なのだ。

 「誘拐に来たんじゃない。

 俺は遠い世界から来た。

 来た理由は俺自身わからない。

 この世界の事を何もわからない。

 知り合いはこのエルフ『イリス』しかいない。

 俺はとにかく情報が欲しい。

 その『情報』を手に入れるために獣人の集落に来た」俺はかいつまんで少女に話をした。

 「このエルフ・・・イリスと言ったね?・・・がお前の妻なんだろう?」と少女。

 「どうしてそう思う?」と俺が言おうとするとイリスが食い気味に「そうだ」と答える。

 「このエルフの首飾りが『婚姻色』だから間違いはないとは思ったが・・・人間とエルフの婚姻は珍しいね」

 そう言う少女の胸にも首飾りがある。

 少女の首飾りも宝玉の色は赤だ。

 ・・・という事はこの少女も人妻なのか。

 勝負の最中とは言え、俺は人妻に抱きついてしまった、という事になる。

 「何と言うか、ごめん」俺は少女に頭を下げる。

 「何故頭を下げるんだ?

 アタイの一方的な勘違いなんだろう?

 『アタイは殺されても文句が言えなかった』

 なのにアタイを助けてくれたんだろう?」

 「それはそうなんだけど・・・」

 「それに獣人は男とか女とか関係なく、群れのリーダーは簡単に頭を下げちゃダメなんだよ。

 リーダーが軽く見られる、っていうのは群れが軽く見られるって事だからね。

 だからアタイはリーダーに頭を下げて欲しくない」

 「リーダー?

 誰の事を言ってるの?」

 「アタイを倒したんだから、お前がリーダーだよ。

 アタイはお前について行くよ」

 「いやいや、だって君、首飾りの色が赤じゃん。

 人妻でしょ?

 旦那さんを放っておいて、俺についてきて良い訳ないじゃん!」

 「だから旦那について行く、と言ってるんだよ。

 獣人は敗北を認めた異性と結婚するんだよ。

 だからリーダーと結婚する事が多いね」

 「『多い』って事は必ずしも結婚する訳じゃないんでしょ?」

 「当たり前だよ。

 リーダーが男でその部下が男って場合だって多い。

 リーダーじゃなくたって結婚は出来る。

 誰もがリーダーと結婚する訳じゃない。

 でもアタイはリーダーと結婚すると決めたんだ!」

 「俺には妻がすでにいるんだよ」

 「それもわかってる。

 アタイは第二婦人で良い」

 獣人の少女はあっけらかんと言う。

 俺の頭の中でアナウンスが響く。

 「スキル『重婚』が発動しました!」

 やかましい!

 「アタイとは結婚したくないって事?」上目遣いで獣人の少女が言う。

 「そう言う話じゃないんだよ。

 一夫多妻とか抵抗があるし。

 そもそも名前を知らない相手と結婚出来ないよ」

 何か俺、言い訳言ってるみたいでカッコ悪い。

 「獣人にとって一夫多妻も一妻多夫も全然珍しくないからアタイは気にならないよ。

 それに名前を知らないのが気になるなら今、教えるよ。

 アタイの名前はリーリエ。

 これから世話になるよ!」

 「こちらこそよろしく!

 じゃねえ!

 いきなり結婚する事に抵抗ないのかよ!」

 「全然」

 そういうモノだ、と思えば抵抗はないのかも知れない。

 おじいちゃんの世代は『出会いの場は盆踊りだった』らしい。

 『出会いはマッチングアプリだ』とか言われても「そういう出会いもあるのかな」としか思わないけど、おじいちゃんの世代には理解が出来ないらしい。

 世代によって、社会によって男女観、夫婦観、結婚観は違うモノだ。

 獣人の夫婦観、結婚観が理解できないのも当たり前なのかも知れない。

 頭の中でファンファーレが鳴り、アナウンスが聞こえる。

 「リーリエが仲間になった!」


 獣人の集落へ行くのはリーリエに止められた。

 「きっと嫁が増えるだけだから」と。

 昔、日本でも『女の子供の方が丈夫で元気で生まれて来る可能性が高かった』という話があった。

 女性の方が丈夫で長生きだ、というのは今の時代でも変わっていないが、医療が発達した現代じゃ大体の男の子も生きて生まれて来る。

 だから日本では生まれて来る子供の男女比率は半々もしくは男の子の方が少し多い。

 でも医療の未発達な獣人の社会じゃ、生きて産まれてくる赤ん坊は圧倒的に女の子が多い。

 だから年頃の女の子は亭主探しに躍起になる。

 『リーリエを倒した剛の者』となれば、嫁入り希望者が門前列をなすはずだ、と。

 ハーレムを作りたいなら良いが、これからいろんな場所に『何故、今、自分がここにいるか?』を調べて回りたいなら、嫁達は足枷になるだろう、と。

 情報が手に入るなら集落に行くのも手だが、どうやら獣人の集落には情報を持っていそうな学者、賢人、賢者などはいないようだ。

 それどころか獣人には文字すらないそうだ。

 「集落に行ってもしょうがないか。

 じゃあ、どこに行こうか?」と俺とイリスが話しているとリーリエが「賢人に会いたいのか?だったら竜人に会いに行けば良い」と言った。

 「別に『賢人に会いたい』訳じゃないんだよ」

 「じゃあ何がしたいんだ?」

 「『何がしたいか?』よりも『何をすれば良いか?』がよくわからない。

 『元の世界に帰りたい』という気持ちはあるけど『何のためにこの世界に来たのか?』すらわからないウチに帰って良いものやら悪いものやら・・・」

 「ハッキリしないな」

 「ハッキリしないんだよ。

 とにかくこの世界と俺が元いた世界の関係が少しでも知りたい」

 「そう言われても大体の者は困ると思うぞ?

 『結局、お前は何がやりたいんだ?』としか言わないと思うぞ?」とリーリエ。

 「何をやりたいか?何をやれば良いか?

 そんなもんはこちらが聞きたいよ・・・」

 「だったら竜人に会いに行こう!」

 「何でだよ?」

 「小難しい話を聞いてくれるのは竜人だけだから」

 「リーリエは単純明快だな。

 そうだな、じゃあ竜人に会いに行ってみるか!」

 こうして次の目的地が決まった。


 山道を北に登れば獣人の集落に行く。

 南に降りれば元来た街道へ戻る。

 東へ行くとそこは断崖絶壁、崖の先は荒れ狂う海が続いているという。

 西へ行くとしばらくは下りで、しばらくすると登りになっている。

 何故か?

 西は山脈になっていて、山はいくつもあるのだ。

 だから山頂はいくつかあるし、道も登ったり下ったりしている。

 道は険しいが、モンスターはたいして強くはないらしい。

 というか、こんな過酷な土地にはたいしたモンスターも住み着かない、と。

 食べ物はホワイトベアの肉が結構あるし、水はウォーターボールの魔法があれば困る事はない。


 でも何で俺は冒険者の真似事してるんだろ?

 つーか、冒険してどうなるんだろ?

 日本に戻れるんだろうか?

 そもそも俺は日本に戻りたいんだろうか?

 モテない高校生だった俺に今『自称妻』が二人いる。

 二人奥さんがいると言っても、アレは未だにやった事がない。

 バリバリ童貞だ。

 やろうと思えばきっとやれるし、イリスもリーリエも拒まないだろう。

 でもお腹が大きくなった女性二人を旅に連れて行くわけにはいかない。

 しかも三人の中で俺が一番弱くて、二人が戦えなくなったら俺は死んだも同然だ。

 それを理解しているからだろうか、イリスもリーリエも何もして来ない。

 そもそも俺の事を何とも思ってないだけかも知れないが。


 俺はふと思い出してイリスに聞く。

 「リーリエと戦闘になった時『イリスが嫌な事をしろ』って言ってたじゃん?」

 「ああ、言ったな」

 「あれは『熱い抱擁』で間違いなかったのか?」

 「そうだ、アレで間違いない。

 本来『すばやさ』に差がありすぎてジンとリーリエじゃ勝負にならない。

 唯一勝てる可能性があるとしたら、ジンがリーリエを捕まえて、私がそのリーリエに近付いて射殺すしかない・・・と思っていた。

 まさか捕まえたまま、ジンにリーリエを倒す技があるとは思わなかったぞ」

 危なかった・・・イリスはリーリエを()る気満々だった!

 俺が無理してリーリエを倒してよかった!

 「しかし、そんなにイリスが俺に抱きつかれて嫌だったとは・・・当然ではあるんだけどちょっとショックだったかな?」

 「?

 抱きつかれたのは全然嫌ではなかったぞ?

 私が嫌だったのは『ジンとリーリエが抱き合う事』だ」

 「何でまた?」

 「・・・解れ馬鹿者。

 旦那と他の女が抱き合う所を見たい女がいると思うか?」イリスの小声での呟きは俺の耳には届かなかった。


 そこからは山道を登ったり降りたり・・・モンスターも何匹かは現れたが、リーリエが瞬殺してしまったし、レベルも上がらなかった。

 竜人の集落はかなり遠く、今のペースだと丸三日間は見積もっていた方が良いとの事。


 途中、ピンク色の結晶で出来ている地層がむき出しになっている山肌を見つける。

 俺は「もしや!」と思い舐めてみる。

 思った通りだ。

 このピンク色の結晶は『岩塩の結晶』だ。

 どこで知ったのかって?

 焼き肉屋でピンク色の塊とおろしがねを渡されたんだよ。

 「お好みですりおろしてお使い下さい」って。

 嬉々として結晶を出来るだけバックに入れる俺を見て、イリスとリーリエは『ついに狂ったか』と思ったらしい。

 聞けば「東には海もあるし塩はそんなに貴重じゃない」らしい。

 ・・・それを最初に言えよ。

 でも薄味のこの世界の料理に『マイソルト』は必要だ。

 あと必要と言えば調味料と香辛料。

 香辛料の肉の『臭い消し』がわりに、鍋で煮込みの仕上げに薬草をふりかける。

 確かに獣臭さは和らぐ。

 和らぐ・・・が、この味、この臭い、パクチーみたい、いや、パクチーそのものだ!

 薬草は臭い消し、滋養強壮、病中病後・・・色々良い効果があるらしい。

 でもね、パクチーダメな人もいるんだよー!

 パクチーの臭いがドクダミの臭いみたいに感じるんだよー!


 肉は獣やモンスターの肉が手に入るが、血抜きの技術が未発達のようだ。

 俺の「肉の血抜きはしなくて良いのか?」という疑問に対して、イリスもリーリエも『コイツは一体何を言ってるんだ?』という顔をしていた。

 俺も詳しくは知らない。

 でもテレビで見た方法を真似てイリスが弓矢で打ち落としたキジみたいな鳥の首を切って逆さまに吊るしておいた。

 「こうやってしばらく血を抜いておくと肉の臭みが消えて美味しくなるんだ」

 偉そうに俺は講釈をたれる。

 「でもこうしてる間は先に進めないだろう?」とイリス。

 「血の臭いでモンスターが集まって来ないか?」とリーリエ。

 血抜きするのは安全な社会だからなんだね。

 偉そうに『血抜き』に対する講釈をしておいて『俺が間違ってました!』と言えるほど人間は出来ていない。

 全ての狩った獲物の血抜きをする事になる。

 「これ、狩った直後じゃないと効果ないんじゃないの?」と思わないでもなかったが、今更「知りません」「テキトー言いました」なんて言えるほど大人じゃない。

 ホワイトベアを狩った直後じゃなくて良かった。

 彼女達の素直さを考えると、ホワイトベアも逆さまにして吊るそうとしただろう。

 リーリエはアイテムボックスというマジックアイテムを持っていた。

 集落に子供を拐いに来た賊から奪い取ったらしい。

 賊も商隊から奪い取った物らしいので、リーリエにしてみたら『便利だから使っている』だけの物だ。

 しかしアイテムボックスを見たイリスの反応を見ると『とんでもない貴重品』というのは間違いないようだ。

 少なくとも王侯貴族以外でアイテムボックスを持っている者はいない、と。

 アイテムボックスで城が買える、と。

 しかしリーリエはそんな事には全く興味がない。

 「アタイは城なんていらないし、アイテムボックスの方が良い!」と。

 アイテムボックスに入れておけばアイテムボックス内の時間は止まる。

 何故それがわかるか?

 前に集落に商人が取引を申し出て来たらしい。

 人間を信用していない獣人達は、商人を追い払おうとした。

 しかし、商人はその時に獣人達が必要としていた鉄器具を持っていた。

 だから『滞在は認める。でも滞在の間、最も大事にしている貴重品を預かる』と交換条件を出した。

 『もし子供達を拐って逃げようとしたら、お前の大切にしている物はかえってこないぞ』と。

 商人は渋々、謎の技術で動いている『カイチュウドケイ』という物を差し出してきた。

 それは知らない技術で動いている『時を知る機械』だ。

 商人はそれを行き倒れていた見た事もない格好をした謎の人物から買い取ったらしい。

 商人は『商人の勘』で、その時に全財産とその『カイチュウドケイ』を交換した。

 『カイチュウドケイ』を見たいという王族や貴族が、次々と顧客になり男の商売は瞬く間に軌道に乗った。

 それ以来男は自分の『商人の勘』に全幅の信頼を置いている。

 『獣人の集落』に来たのも『商人の勘』だ、と。

 男は「『カイチュウドケイ』を絶対に慎重に扱って欲しい」と何度も言った。

 あまりにもしつこいので『カイチュウドケイ』はリーリエの持つアイテムボックスに入れられる事になった。

 商人が集落から帰る時『カイチュウドケイ』は商人に返却される。

 その時に商人は気づく。

 アイテムボックスに入れた時から全く『カイチュウドケイ』の示す時間が進んでいない。

 『カイチュウドケイ』は全くの狂いなく、時間を指し示しているはずだ。

 考えられる可能性は一つだけ。

 『アイテムボックス内の時間が止まっている』のだ。

 商人は『新しい商売を思い付いた!』と言って、足早に集落を去ってしまった、と言う。

 「つまりアイテムボックスに食材を入れておけば痛まないんだ!」とリーリエがえっへんと胸を張る。


 リーリエは『アイテムボックスが食材保管に使える』という事を世紀の大発見として語ったが、それはおそらくアイテムボックスを持っている者の中には気付いている者もいるだろうし、大した発見じゃないだろう。

 俺が注目したのは『見た事のない格好をした謎の人物』『カイチュウドケイ』だ。

 イリスも学ラン姿の俺を見た時『見た事のない格好をしている』と言った。

 そして『カイチュウドケイ』・・・おそらく『懐中時計』の事だろう。

 この世界には『精密機器』という物が存在しない。

 当然、機械仕掛けの時計という物も存在しないはずだ。

 存在したとしても機械は時計台の時計のように巨大なはずだ。

 『懐中時計』など存在する訳がない。

 なのにそれはこの世界に持ち込まれている。

 どういう事か?

 答えは簡単だ。

 『俺以外にも地球からこの世界に迷い込んだ者がいる』という事だ。

 俺は俄然元気が出た。

 『来たなら、戻れるかも知れない』

 『来たのは俺一人じゃない』

 『地球の物が持ち込まれてた可能性がある』

 戻りたいかどうか、じゃない。

 戻れるかどうか、だ。


 狩った獲物は取り敢えずアイテムボックスに入れておけば、急いで血抜きはしなくても良いみたいだ。

 でも血抜きを始めてしまったから今日はここで夜営しよう。

 「ここをキャンプ地とする!」

 突然宣言した俺にイリスとリーリエが「何を言い出すんだ?」という顔をする。

 いや、いっぺん言って見たかっただけだ。

 崖の洞窟とは言わないまでも下が窪んでいる所をイリスが探し出し「ここなら雨風が凌げるな、ここにしよう」と言う。

 俺のキャンプ地宣言何だったんだ?

 結局、キャンプ地、イリスが決めてるじゃねーか!

 「しかしこの窪み小さすぎねーか?」

 「二人で寝るには充分の広さだ」

 「二人でもぎゅうぎゅう詰めだろう?

 それに三人じゃないのか?」

 「一人は見張りと火の番だ。

 大丈夫だ、ジンにはまだ見張りはやらせない。

 危機察知の方法を覚えたらジンにも見張りを頼む事もあるだろうが。

 安心して寝ていてくれ」

 「私も気にならん」とイリス。

 気にならんって、抱き合って寝るぐらいのスペースじゃんか。

 でもいざ寝るとなったら、俺と一緒に寝るはずのリーリエは狩った獣の皮をなめしていた。

 獣の皮は服や下着になるんだそうだ。

 俺はせっせと働くリーリエを見ながら、眠りに落ちていった。

 「そろそろ起きろ」

 俺はリーリエに鼻をつままれ起こされる。

 どうやら俺はぐっすり寝ていたらしい。

 「リーリエは寝たの?」

 「心配するな、イリスと交代で寝た」

 俺は知らない間に二人の女の子と密着して寝ていたのか。

 全然覚えてないぞ。

 「朝飯を食べて出かけよう」

 見ると朝食の準備がしてある。

 見ると見覚えがないモンスター達が見よう見まねで血抜きしてある。

 きっと血の臭いで夜中のうちにモンスターが寄ってきて、イリスとリーリエが撃退したんだろう。

 で「狩ったらすぐ血抜きしなきゃダメ」という俺の言葉に忠実に血抜きしたんだろう。

 「狩ったモンスターを取り敢えずアイテムボックスに入れておけば、おそらく血抜きをすぐにする必要はないよ」なんて今更言えない雰囲気だ。

 彼女達は忙しい見張りと撃退の最中(さなか)、バタバタしながら俺の言いつけを守り血抜きをしたんだろう。

 俺はリーリエの頭を謝罪と感謝をこめて無言で撫でた。

 リーリエは目を閉じてそれを受け入れている。

 ひとしきりリーリエを撫でると、イリスが目の前に来る。

 その目は何か言いたげだ。

 リーリエは『モフる』の延長で抵抗なく撫でられたがイリスはそうはいかない。

 頭を撫でようとしたらパシッと手を払って「ふざけるな!」って言いそう。

 しかしイリスが何を言いたいかわからない。

 目を見たら『何かを求めている』のは間違いない。

 取り敢えず感謝は伝えるべきか。

 俺がガーガー寝ていた間、リーリエと交代で一生懸命働いていたんだ。

 「イリス、ありがとう」

 「何が?」

 「えっと、見張りとか血抜きとか・・・」

 「それだけ?」

 「あとは・・・朝飯の準備とか・・・」

 ヤバい。

 明らかにイリスの目が不満を訴えている。

 他に何かやったのかも知れないけど、俺、寝てたから知らないんだよ。

 あ、イリスの怒りが爆発しそうだ。

 何かリーリエにしてて、イリスにしてない事ないかな?

 まさか撫でる事?

 まさか・・・でも他に思い浮かばない。

 どうせ怒らせるならダメ元でイリスを撫でてみよう!

 俺はおっかなびっくりイリスの小さい頭を撫でてみる。

 イリスの髪の毛はサラサラだ。

 昨日の夜、風呂に入ってないから髪の毛は少しくらいベトッとしていそうなのに汗ってかかないんだろうか?

 後にわかった事だが、イリスはリーリエよりもスキンシップを求める。

 リーリエの三倍くらいの時間を撫でているが未だに『もういい』というジェスチャーがない。

 いつまでも撫でていると「何してるんだ?朝飯食わないのか?」とリーリエに言われてイリスを撫でるのは中断された。

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