第6話
「クロエが王宮にいることがバレたら、暗殺者を差し向けてくるかもしれない。」
「あ、暗殺者……!?」
これまで映画か小説の中くらいでしか聞いたことのない単語だ。
冗談かと思って聞き返したものの、リンネは相変わらず真剣な眼差しでこちらを見ている。
「なぜ私を暗殺する必要があるの?」
「王家に敵対的な種族にとっては、今は謀反を起こす絶好のチャンスなんだ。僕たち4人の属するウサギ、オオカミ、ヒョウ、クマの各種族は、それぞれ自分の種族の王子を次の王に立てたいと思っているから、実は今、水面下でお互いに反目しあっている。そうやって王家の中でゴタゴタが起きているうちに謀反を起こして今の王家を倒し、自分たちの種族から新しい王を出したいと思っている種族も多いんだけど、そういう種族にとっては、【獣を統べる乙女】の存在はすごく都合が悪いんだ。」
「そんな……どうして?」
「例え先代の王の息子であっても、ライオン族でない王は認めないと考えている国民はまだまだ多いんだよ。でも、そういう人達でも【獣を統べる乙女】が選んだ王なら認めるだろうね。王が正式に即位し、国民たちからも認められれば、謀反を企てている種族が王家を倒す隙はなくなる。逆に、【獣を統べる乙女】がいなくなれば、僕たちが国民達にも認められる正式な王になることは難しく……というよりほとんど不可能になるから、謀反はかなり成功しやすくなるだろうね。」
いつも明るく振る舞っているリンネが、珍しく厳しい口調で話している。
「なぜ国民はそんなに【獣を統べる乙女】を信じているの? というか、そもそも【獣を統べる乙女】ってなんなの?」
困惑するクロエに、リンネは淡々と答えた。
「【獣を統べる乙女】は、あらゆる奇跡を起こしてグラーディの建国を支えた、初代王の妃なんだ。」
*****
1000年前。
まだ大陸がひとつの国としてまとまることなく、獣人たちが種族ごとに別れて対立し、互いに争い傷つけ合っていた頃。
異世界から、突如として一人の乙女が現れた。
乙女は美しく聡明で、全ての獣を癒し、また従わせることができた。
獣たちが互いに傷つけ合い、苦しんでいることに心を痛めた乙女は、大陸中を巡り、獣の村々を訪れては奇跡を起こした。
戦いで傷つき死に瀕した獣は、乙女が触れると傷ひとつ残さず回復した。
戦いの中で毒に汚染された泉は、乙女がその涙を一滴落とすと、浄化されて元のようにたくさんの獣を潤した。
戦いのために焼かれ、作物の育たなくなった畑は、乙女がその血を一滴たらすと、一面に見事な黄金色の小麦が育った。
戦いに我を忘れた獣達は、乙女の嘆きの声を聞いて心を取り戻し、それぞれの村へと戻っていった。
乙女は村から村へと旅をし、奇跡を起こし続けたが、大陸の全土で起こり続ける種族同士の争いは収まることなく、血は流れ続けた。
ある時乙女は、傷付き死に向かいつつある獣を見つけ、一目で心を奪われた。
乙女はその獣を癒し、つがいとなった。
獣は乙女と共に旅をし、大陸中の村々を平定し続け、ついにひとつの国、グラーディを作り上げ、大陸に真の平和をもたらした。
平和の中、乙女は王の子供を産み落とすと同時にその命を落とした。
最後に乙女は言った。
「グラーディの平和が乱され国が危機に陥る時、私はまた現れ、愛する真の王と共に国をかつてない繁栄に導くでしょう。」
*****
「……というわけで、グラーディでは、【獣を統べる乙女】は国民にとっては絶対的な存在なんだ。みんな子供の頃から乙女の伝説を聞いて育っているし、国が危機に陥った時は【獣を統べる乙女】が現れて、国を正しい方向に導いてくれると信じているからね。」
話し終えたリンネは、いつものように明るい笑顔に戻っていて、クロエは少しホッとした。
「でもそんな話を聞いちゃうと、ますます私は人違いなんじゃないかって気がするんだけど……。」
クロエは苦笑しながら言った。
当たり前だが、クロエの涙や血には、湖や大地を浄化する力なんてないし、獣医師として勉強はしてきたけれども、触れただけで動物の傷を治すことなんてできないのだから。
そんな奇跡を期待されているんだとしたら、その期待に応えることはとてもできそうにない。
「間違いなんて、そんなはずないよ。クロエが【獣を統べる乙女】だってことは、神殿に現れた瞬間にはっきりわかったんだ。全てが伝説の通りで……僕がずっと夢見ていた【獣を統べる乙女】そのものだったから。」
そう言いながら、リンネはクロエの手をそっと握って引き寄せた。
クロエは驚いて身を引こうとしたが、真剣な眼差しで真っ直ぐに見つめられると、どうしてか動けなくなってしまった。
「今、王宮の中は出来るだけ信頼できる家臣で固めているけど、それでもやはり王家に敵対的な種族のスパイが入り込んでしまう可能性はあるんだ。」
リンネはクロエの手の甲にそっと片付けした。
「それでも、必ず僕が守る。誰にもクロエを傷つけさせたりしないから。」