第13話
「ここが噂の『黒猫亭』なのね!」
木造の大きな平屋の扉の上には、金色の目をした黒猫の絵の看板がかかっていて、扉の外まで料理のいい匂いが漂ってくる。
「わあ、美味しそうな香り! スペアリブが名物なのよね? 他におすすめは……ってウォル……じゃないアッシュ! ちょっと待ってよ!」
クロエが美味しそうな香りに期待を膨らませているのを尻目に、ウォルフはさっさと店の中に入っていってしまった。
クロエも慌てて入店すると、店内は思った以上に広く、多くの客で賑わっていて、昼間だというのに酒を飲んでいる者も少なくなかった。
「元の世界でいう、ビアホールみたいな感じかな……?」
「『びあほーる』という言葉はグラーディにはない。まあ、ここはいわゆる酒場だな。……治安の悪い店じゃないが、酔っ払いも多い。俺から離れるなよ。」
さっきは店の外に置いていったくせに、よく言うものだ。
ウォルフがさっさと空いている席に着くと、すぐに店主らしき人が注文を取りに来た。
恰幅のいいネコ属の気の良さそうな男性おじさんだ。
「アッシュ! 久しぶりだな、また出稼ぎにでも行っていたのか? …っと、今日は珍しく女の子連れなのか! お嬢さん、いっぱい食べてってね! サービスしますよ!」
テンションの高い店主に対し、ウォルフは慣れた調子で注文を済ませると、程なくテーブルいっぱいに美味しそうな料理とお酒が運ばれてきた。
「えっ、これビールじゃない! 飲んでもいいの……?」
クロエの前に、ジョッキに注がれたビールが置かれている。
グラーディに来て初めて間近で見るビールを、クロエは信じられないような気持ちで眺めた。
シュワシュワと細かい泡が立っているのを見て、思わず生唾を飲んでしまう。
「ビール? これは『エール』だ。飲めるだろう?」
「そりゃ、あらゆる飲み物の中で1番好きと言っても過言ではないし、元の世界では仕事終わりにしょっちゅう1人で飲んでたわよ……! でも王宮のマナー講座では、女性は基本的にワインしか飲んではいけない、それ以外のアルコールを飲むのははしたないと聞いたけど……。」
王宮のマナー講座では、「女性は1人で外食をしない」「アルコールはワインのみで、同伴者がアルコールを飲む場合のみ付き合って飲むことができる」と教わった。
元の世界と比べて女性の自由が無いとは思ったが、とりあえずはグラーディの慣習に従っておこうと思っていたのだ。
そんなことを思い出しながら、クロエは改めて周囲を見回した。
やはり、この店にいるのはほとんどが男性だ。
女性客もいないわけではないが、男性客に連れられてきている人が数人いる程度で、水かワインを飲んでいるようだった。ビールを飲んでいる女性は見つけられない。
……本当に飲んでいいのだろうか……。
「お前が飲まないなら、貰ってやろう。」
ウォルフがクロエのジョッキを取り上げそうになったので、クロエは慌ててジョッキを掴んで引き戻した。
「わあああ、待って待って! 飲みます! 飲む!!」
ジョッキを確保してからウォルフの方を見ると、ウォルフは口に手を当て、こらえきれずに笑いながらこちらを見ていた。
「冗談だ。ほら、乾杯!」
ウォルフは、自分のジョッキをゴツンとクロエのジョッキにぶつけると、ゴクゴクとビールを飲み干した。
美味しそうにビールを飲むウォルフを横目に、クロエは改めて自分のジョッキを見つめる。
マナー講座の講師に見られたら相当怒られそうな所業だが、数週間ぶりのビールを眼の前にしてしまうと、もはや我慢することはできそうになかった。
「いただきます!」
クロエは元の世界の食前の挨拶をしてから、ビールをひとくち口に含んだ。
「……!!!!! あ〜〜〜〜〜、美味しい! 久しぶり!!」
再び口を付け、今度はジョッキ半分ほどゴクゴクと豪快に飲み干した。
グラーディのビールは、クロエが元の世界でいつも冷蔵庫に常備していた「ア○ヒスーパードライ」と比べると、香りが強く味わいが深い気がした。
「なかなかいい飲みっぷりじゃ無いか! ここは俺が払うから、軍資金とやらの残額を気にせず、好きなだけ飲めよ。」
ウォルフはいつになく上機嫌な顔で、クロエが飲むのを眺めている。
「……なんだか意外ね。ウォルフも、女がビール……じゃ無い『エール』?を飲むのは、はしたないって言うのかと思ってた。」
クロエがポツリと呟くと、ウォルフは早くも2杯目のビールを飲みながら答えた。
「くだらんな。女はワイン以外飲むな、などと言っているのは、年寄りや王都周辺の保守的で頭の固い奴らだけだ。俺は王国の辺境の方まで視察に行くこともあるが、王都から離れると、女も男と同じようにアルコールを飲んでいる種族も多いぞ。そう言う種族の村は、活気があって平和なことが多い。女が男に抑圧されていないってことだな。」
そんなところまで見ているとは、本当に意外だ。
ウォルフは2杯目のビールを飲みながら、続けて言った。
「俺が王になったら、王都でもこういう古臭い風習は無くしていこうと思っている。つまり俺の妃になれば、お前は好きなだけエールが飲めるってことだぞ! どうだ?」
「どうだって言われても……。そんな理由で選べるわけないでしょ!」
あっさりと断ってしまったものの、正直に言うと、クロエにとってその条件はかなり魅力的ではあった。いや、流石にそんな理由でウォルフを選んだらダメだろうが……。
しかし、ウォルフのアルコールや女性に関する考え方は、普段の俺様な言動からは想像できない意外なものだったが、クロエにとっては共感できる、心地よいものだった。
「今日、来てよかったなあ……。」
王宮にいる時より、ウォルフのことをずっとよく知れた気がする。
「そんなに好きなら、もっと飲め。ここは料理もうまいぞ。スペアリブを楽しみにしていたんじゃなかったか?」
クロエの独り言を、ウォルフはビールへの感想だと思ったらしく、追加のビールを注文しつつ、料理を勧めてくれた。
クロエは、自分の前に置かれたなんとも食欲をそそる香りのするスペアリブを見つめた。
クロエが元の世界で食べていたものの倍くらいの大きさがある。
流石にこれにかぶりつくのは大変そうだし、一旦ナイフとフォークで切り分けた方が良いと思いカトラリーを探したが、テーブルの上にはフォークはあるものの、ナイフは見つからなかった。
「ねえ、アッシュ。お店の人に言ってナイフを借りてもいいかな?」
「何のためにだ? 今来ているものの中には、ナイフを使う料理がないだろう。」
ウォルフはそう言いながら、スペアリブを軽々と手で骨から剥がし、さらに半分に割くと、そのまま口に運んだ。
「えっ、スペアリブ、手で割けるの……? いや、ウォルフにはできるかもしれないけど、女の人には無理じゃない?」
「女でも普通このくらいはできると思うが……。そうか、お前は非力な人間だから、こんな肉にもナイフが必要なんだな。」
かちんと来る言い回しだが、実際グラーディの獣人と比べると、クロエはかなり非力なようだった。王宮でも、女性の獣人達が家具などの大きく重い物を軽々と運んでいるのを見たことがある。
「非力で申し訳ありませんね! ナイフをもらってきます!」
そう言って立ち上がろうとしたクロエを、ウォルフが止めた。
「ちょっと待ってろ。」
そう言ってクロエの前にあるスペアリブを取ると、骨から肉を剥がし何度か割いて、あっという間に一口サイズにしてくれた。
「あ、ありがとう……。」
しかし、ウォルフは食べやすくなったスペアリブをクロエの皿に置かず、直接クロエの口元に持ってきた。
「俺が口に運ぶから、そのまま食べていいぞ。グラーディでは、カップルや夫婦はそうして食べることが多いんだ。」
確かに、マナー講座の講師からそんな話を聞いた気がする。
しかし、ウォルフの手から直接食べると言うのは、クロエにとってはかなり恥ずかしく抵抗があるので、何とか断りたかった。
「いや、私たちカップルでも夫婦でもないでしょ!」
「そうだな。しかしはたから見ればカップルにしか見えないはずだ。今日はお忍び視察なんだろう? 周りから怪しまれないように振る舞った方がいいんじゃないか?」
何だか丸め込まれている気もするが、クロエはうまく反論できなかった。
「ほら、冷めるぞ。」
ウォルフが急かすようにスペアリブを口元に寄せるので、クロエは思い切ってそれを口にした。
「……お、美味しい!」
王宮で食べる上品な食事とは違うこってりした味が、久しぶりに嬉しかった。
「もう一口!」
クロエは恥ずかしさも忘れてお代わりをウォルフに要求すると、ウォルフは微笑んでクロエの様子を眺めながら、次の一口を運んでくれたのだった。




