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ボクの名は  作者: 深海くじら
弥生

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五十九話 瑞稀、春分(六)

「なんか凄いもの見せられちゃいましたよ」


 もう何杯目になるかもわからない薄ーいウーロンハイの底をおしぼりで拭って、私は感嘆しました。(さかえ)さんも隣で怪気炎を上げています。


「やな。大谷くんの二塁でのパフォーマンスとか、マジで震えが来たげな」


「ホント、ホント。アレは痺れました。なんなんでしょうね、彼の主人公体質は。あんな風に熱くなってるとこ見せられちゃったら、もう惚れるしかないでしょって感じ」


「お、ええやん。瑞稀、手ぇ上げり。歳ん頃もちょうどよかやし、お似合いカップルになるんやなか?」


 手にしていたハイボールのジョッキを置いて、栄さんは乗り出してきます。めっちゃ楽しそう。


「大谷翔平に婚約者発覚。お相手は、福岡在住の一般女性! やぁろ」


「接点無さ過ぎです!」


 私のツッコミにも栄さん、手をばんばん叩いて大歓び。私は思わず周りを見回しますが、みんな勝手に盛り上がってるので女子ふたりの与太話なんて気にしてないみたい。


          *


 会計を済ませ、店を出たところで立ち止まった栄さんは、私に尋ねてきました。


「どうね瑞稀、侍ジャパンのサポーターばなってしもうたやろ」


「なったなった、なりました。佑京くんも、足長くてかっこよかったぁ!」


「なんや瑞稀、翔平の彼女やなかったんかい」


「誰が翔平の彼女ですって。てかまだ言ってるし」


 いつになくお酒をたくさん飲んでいい気分の私は、歩道に足を踏ん張って、こう宣言しました。


(わたくし)波照間(はてるま)瑞樹(みずき)は、誰の彼女でもないですよぉだ」


 栄さんが大慌てで私を羽交い絞めにして、道の脇に引きずって行きます。上機嫌の私はされるがまま。


「ちょお、瑞樹。もしかしてあんた、酔っぱろうとぉ?」


 いきなり足にきた私は、自力ではもう一歩も歩けません。でも、なんかふわふわしてて気持ちいい。

 私を抱え上げた栄さんは、こんまま帰すわけにもいかんしとか呟いて、お店の裏に回ろうとしてました。その辺りで私の意識は途切れます。

 ぷつん。


          *


 気がつくと、そこは知らない部屋でした。三畳くらいの狭い畳敷きに座布団を何枚か並べ、その上に私は寝ていました。焦って身を起そうとしましたが、頭がぐらぐらして顔を上げるのが精一杯。それでも気配があったようで、奥からひとが出てきました。栄さんです。

 安心して頭を戻した私に、栄さんは声を掛けてきました。


「意外に早う目ぇ覚めたやなか。まだ一時にもなっとらん」


 上半身を起こし、差し出されたコップの水を半分ほど一気。


「ここ、どこ?」


 私は部屋を見回します。古い卓袱台(ちゃぶだい)以外はこれといった調度品もなく、壁に様々なフライヤーが層になって貼ってあるのが目立つだけの簡素な部屋。よく見ると、一番古い下地のポスターに『blur』と読めるデザインロゴが記されていました。


「もしかして、お店の控室?」


「ようわかったな。ここはパークライフのスタッフルームっちゃ。瑞稀、店出たとたんに足元無うなったけん、どんこんしょんなかで店ん裏つれてきたっちゃん」


 お盆を持った栄さんは、卓袱台に湯呑ふたつと青菜のお漬物を盛った小皿を置きました。


「酔い覚ましには熱かお茶と漬物がよかけん。箸出すんやおいかんけんそんまま手で食べりゃあよかよ」


 そう言って自分もぽいぽい口に放り込む栄さん。私も釣られて手を伸ばします。あら美味しい。


「美味しかろ。これな、山汐漬(やましおづけ)いうんよ。久留米の方の漬物で、こげん風に浅漬けで食べっとよかおつまみになって焼酎がよう進む」


 いや、栄さん。今夜はお酒、もういいですから。



「どうやら今日は飲み過ぎました。栄さんにはほんっっとお世話になったみたいで、申し訳ないやら恥ずかしいやら」


 平身低頭で思いっきり小さくなってる私に、栄さんは苦笑いしてます。


「瑞稀はひとりでスポーツバーとか行ったらあかんげな。一発でお持ち帰りされよる」


 はい、と小声で答える縮こまった私。


「どうね。そげなんば一緒に行ってくれるボディガードみたいなんの当てとかは無いと? ま、あれだけ大声で独り者(ひとりもん)宣言ばしとったくらいやけん、当てなんかあるはずなかろうけど」


 栄さんの振りに私はギョッとします。

 え。私、そんなこと言ったんですか?


「言うとったばい。道端で、大声で。波照間瑞樹は誰の彼女でもありませーん、て」


 ぐはっ。顔全面から火が噴き出します。なんですか、そのメンドクサイ酔っぱらいは。恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。死にたい、ってこういうことなんですね。


「ま、常連さんとか聞いとらんかったごたぁし、うちがすぐ裏に引き摺ってったけん、大した被害はなかったて」


 少しぬるくなったお茶を飲んでなんとか落ち着きを取り戻した私は、お手数おかけしました、と呟きました。


「彼氏なんぞおらんだっちゃ別によかけど、おったらおったで楽しかことや救わるぅこともいろいろあるて思うっちゃ。まぁうちの台詞じゃ説得力なかばってん」


 彼氏かぁ。たしかに今の状態にはまったく不自由がないし、ある意味安定してるって言える。でも先日花見したときみたいに漠然を思い浮かべる将来の風景で、横に誰かパートナーが居てくれるのは納まりがいいな、とも思います。子どもだって、いつかは育ててみたいですし。

 そういう意味では、二十六歳の今現在でそういう対象が候補者も含めて皆無だってのはちょっと問題かもしれない。

 でもなぁ……。


「そもそも、瑞稀はまだ恋とかしたことなかろう」


 私の黙考を、切れ味鋭い栄さんのひとことが切り裂きます。


「うちの(つたな)か経験からすっと、恋は欲しがったり探したりして見つかるもんじゃなか。普通に歩きよぉとに、急に躓いてしまう道のでっぱりやったり、いきなり足が嵌って抜けられんくなる穴んごたぁもんだて思うばい」


 はあ。なるほど。


「あと、気ぃついたら心ん中にかちっと嵌っとった、みたいな。うちん場合はそれやったかな」


 気がついたら心の中にかちっと嵌ってる。うん。躓いたり穴に落ちたりするよりも、こっちの方が私向きな気がします。なんとなく穏やかな感じですし。


 ばってん瑞稀。そう言って、栄さんは強い瞳で私を見つめます。


「自分の周りに網ば張っとかんと、よか魚が近くに来たっちゃ気づかんで素通りさせてしまうげな。アンテナと受信機はいつも起動させときんしゃいってこと」

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