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ボクの名は  作者: 深海くじら
睦月
8/119

四話 笠司、小寒(一)

 三が日の八割は、実家の居間にいた。

 朔日ついたちは昼過ぎに帰りつくと、年始の挨拶も早々に(リョウジ)とふたりして炬燵に潜り込み、知らぬ間に寝入っていた。

 目が醒めたら、TVで新庄監督が食用ガエルを食べて盛大に外していた。司会の席に伊東四朗さんの姿が見えないのは寂しいね。たしかコロナ対応だったっけ。

 向いの(リョウジ)はもう起きて、雑煮と昆布巻を食べている。画面を背にした親父は酢だこをつまみに黙々と冷や酒を呑み、対面の空席にはハムやサラミのオードブルの皿を手にしたお袋さんがやってきて腰を下ろした。


「起きたんなら、あんたもお雑煮食べなさい」


 目の前に置かれた大ぶりの椀を見つめながら僕は、年毎としごとに劣化してゆく我が家の正月を憂いた。中学のころまではこんな炬燵出しっぱなしなんかじゃなく、ちゃんと正座して年始の挨拶をしたもんだ。おせちだって婆ちゃんとお袋が年末に気合い入れて三段がさねのお重を用意してたのに。とは言え、今の方が圧倒的に気楽なのは間違いない。

 のっそり起き上がって箸を持ち、切り餅の雑煮と格闘していると、先に食べ終えて椀を下げてきた(リョウジ)が缶ビールを置いてくれた。

 さんきゅ。餅を頬張った口でそう応えると、ヨァウェルカムと綺麗な発音で返してきやがる。これだからこいつは。




 二日目は、八時前に起きてTV正面の席を確保した。昨日のよりも具の少ない、というかほとんど餅だけの雑煮をいただきながらも、目は画面しか追っていない。箱根駅伝。正月のコンテンツでは不動のナンバー1だ。

 炬燵に腕まで潜ってTVを観ていると、外出着に着替えた(リョウジ)が声を掛けてきた。


「リュウちゃん、ホント箱根駅伝(えきでん)好きだよねぇ。毎年フルで見てるもんね」


 うるせえ。ほっとけ。


 (リョウジ)は腕を伸ばして炬燵テーブルの真ん中に置かれた籠の蜜柑をひとつ掴み、綺麗に二つに割った。


「そんなに好きなら箱根に出る大学とか行けばよかったのに」


 いいんだよ、僕は駅弁大学で。別に選手になれるほど速かったワケでもないんだし。

 ざっくり剥いた半分の蜜柑をひと口で食べる(リョウジ)に向かって声は出さずに悪態をついていると、お袋が顔を出してきた。


「リョウちゃん、もう行くの? さわさんにお土産持ってかなくていい? 栗きんとんとか」


 要らないよ、邪魔になるだけと冷たく断る(リョウジ)は蜜柑の残り半分を僕の前に置くと、ひと言こう残して出ていった。


「じゃ、ごゆっくり」


 僕の目は(リョウジ)を振り返ったりしない。正面の画面では、一区を大逃げで引っ張ってきた学生連合の主将(キャプテン)が鶴見中継所手前九百メートルで明治大の四年生走者(おないどし)に捕まったところだった。頑張れ、学生連合。粘ってみせろ。毎年出場してる(出てる)、なんでも持ってるような連中なんかに負けないでくれ。





 三日目も朝八時からTVの前。箱根駅伝(はこね)の復路だ。

 (リョウジ)は結局、昨夜(ゆうべ)帰ってこなかった。今の彼女とふたりで明治神宮にお参りして、そのまま谷中(やなか)の部屋に戻ったらしい。聞いてはいないが、当然彼女もいっしょだろう。それなら栗きんとん持ってきゃよかったのに。





 夜、部屋で炬燵でバスタブで、独りのとき僕は思い出す。物心ついたころからこっちの、些細で大切な記憶たち。その時々の僕を背後から俯瞰する今の僕というフィクションで、記憶をひとつずつ百四十字に(ラッピング)して陳列(アーカイブ)する。


 笠地蔵六。

 それが今の僕というフィクションであり、陳列棚の屋号でもある。





 四日目は流石に外に出た。といっても、歩いて行ける近所の小さな神社まで。親父とお袋との三人で散歩がてらの初詣だ。身の丈に合ってると思う。大層なことを願うつもりはない。ただひとつ、どこでもいいから就職できますように。そのうえで余力があったら、良縁なんかもよろしくお願いしますよ。ねえ神様。




「今夜のバスで杜陸(もりおか)戻るから」


 神社からの帰り道でそう告げる僕に、親父が珍しく応じてきた。


「俺の学生時代、世の中は売り手市場だった。商売も求人も。つくればどんどん売れるし、モノの値段もバンバン上がる。それでも売れる。物が売れれば給料も上がるし、何よりも明るい未来の世界は借金天国だからな。もちろん就職だって売り手がエライ。ひとりで内定二つ三つなんてざらで、大卒の就職率も相当良かったはずだ。ご多聞に漏れず俺も安易に内定が取れて、そのまま深く考えずに就職した。結論から言えば、最初入った会社は中程度にブラックで、俺が二年で辞めた後しばらくしたら消滅してたよ」


 親父はそこで、いったん話を切った。疲れたのだろう。正直僕も吃驚した。こんなに連続して話す親父は記憶にないから。背筋を伸ばして空を見上げた親父は、姿勢を戻してから話を再開した。


「この話で教訓はふたつある。ひとつは、世の中は興亡に満ちているということ。良いことも悪いことも紙一重だし、一寸先が光だか闇だか、はたまたグレーだかなんだかなんてまったくわからない。もうひとつは、そんな状況でも何かやってりゃ普通に暮らすことができる可能性があるってことだ。その証明は俺であり母さんであり、お前であり龍児(リョウジ)でもある」


 お袋は黙って親父に寄り添っている。こんなにも控えめなお袋も、たぶん僕は知らない。


笠司(リュウジ)。求めることを諦めるな。そうすれば、きっとなにかが落ちてくる」


 俺の年始の訓示はこれで終わりだと話を締めた親父は、それから何事も無かったかのように先に立って歩き始めた。小走りでその横につくお袋。僕は親父の訓示とやらを反芻していた。当たり前のことのようだが、なにか深い意味があるのかもしれない。いや、意味なんて全く無い可能性も少なくない。ただそうであってもだ。間違いなく言えることは、幸運であろうが偶然であろうが、親父の短くない時間がそこには横たわっている。それだけは解った。





 令和五年一月五日の早朝、僕は僕の街、杜陸(もりおか)に還ってきた。とりあえずは目先のこと、卒論を仕上げて期日までに提出すること、日曜夜のバイト、更には過去の記憶のアーカイブをやろう。そしてそれらをしながらも、未来を手繰り寄せる努力のことは忘れずにいよう。

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