五十三話 瑞稀、春分(三)
「お父さんはさぁ、部下の人にお仕事まかせたりするときってどこまで期待するもんなの?」
前後の脈絡もなく娘から振られた質問に、父は一瞬戸惑う顔を見せます。たぶん聞き返したい言葉があるのでしょう。でもそんな返しは飲み込んで、まずは真面目に考えて応えようとする。それが私の父のスタイル。
「そうだなぁ。例えば部署に来て二、三年くらいの若手に任せるとしたとして、父さんならあんまり過大な期待はしないかな。もちろん任せるっていうくらいだからいつもより大きな裁量権を持たせるわけだし、どれくらいできるのかなって興味は単純にある。大きな期待はしないけれど、そのひとにとっても仕事としても大きく飛躍するチャンスって可能性はいつも意識に留めてる。ほら、先発投手は毎試合完全試合を達成する可能性があるって奴だ」
試合開始からの中継を見る度にいつも言っていた口癖を持ち出して、父は笑いました。
「でもね、手放しじゃないからやってることは都度見てる。こりゃマズいってなったら権限取り上げてこっちで引き取ってやっちゃうこともある。さしずめ、路上教習で仮免ドライバーの助手席にいる教官。まさにあんな感じだな」
*
その週末、私は頭を抱えていました。
一週間のかなりの時間を費やしてうちの会社の過去資料を勉強してきたことで、社内社外両方の視点での現在位置や問題点がなんとなくわかってきた。金曜の夜に斜め読みした灰田さんの企画書は、それらに対するひとつの答え。今までのプロパーの人たちからは出てこない、外の視点から導かれた提言です。私のように「はしくらイズム」にどっぷり浸かり切ってないペーペーにはたしかに興味深く映りましたが、それだけじゃなく、のっぴきならない危機意識を覚え始めていた経営陣にとっても、あれは検討すべき提案と認められたのでしょう。新部署を立ててレールを引いたっていうのはたぶんそういうこと。でも、ある意味社運を賭けた的な大事なプロジェクトに、なんで私?
わかるよね、なんて言われてもいっちょんわかりません。
困ったときの栄さんに相談乗ってもらおうとも考えたけど、彼女とだと別の話題になっちゃいそうなので今回は見送り。
そうなると、私の交友関係の狭さは致命的です。谷下さんや蔵六さんといったツイッターでの知り合いも、この件についてはお門違いだし。八方塞がりとはまさにこのこと。
そんなことをぼんやり考えながらブランチメニューでマヨネーズピザトーストを焼いてたら、突然思いつきました。私にはまだ、話を聞ける人が残ってるじゃないですか。陰キャだった高校時代の私にこのメニューを授けてくれた人生の先達が。
そうだ。実家、行こう。
*
予告無しの帰省にも関わらず、夕餉の食卓には天麩羅とお刺身、海藻サラダにお吸い物。これだけでも帰ってきた意味は充分ですね。
「母さんの料理が豪華になるから、瑞稀もっと帰ってきてよ」
泡だらけの私の酌でビールを飲む父も存外に満足げ。いつもだってちゃんとしてるわよと言い返す母も、愉しそうです。賑やかで明るいダイニングの風景は気持ちも豊かにしてくれます。
この空気はやっぱり安心できる。
ほんの一瞬、実家に戻るのもいいかもって頭によぎりました。でも本当はわかってます。たまだからこそ良いのです。毎日なら、きっとすぐに息が詰まる。だって私はもう自分の足場を持っているのだから。
それに、今日ここに来たのはくつろぐためじゃない。食事が落ち着いたところで、私は父に疑問をぶつけてみました。
「みーちゃんは、仕事のステージがひとつ上がったのかな?」
やっぱり父にはお見通しなんですね。たとえはっきりとした道を示すに至らなくても、今日ここに来たのは正解だった。そう確信しました。
父と母を前に、私はこの二週間の会社での出来事を話しました。突然のスカウト、新部署異動の内示、会社の歴史的背景と現状、灰田課長の出自と評判、彼が提出した企画書、新部署の役割。そして未だ不明の私への期待。ツイッター小説は、「私の書いたちょっとした文章」くらいに誤魔化しましたけど。
「みーちゃんの会社のことはわかった。仏壇自体が成長産業じゃないってことは父さんも思ってたしね。百年近く続いてきた会社の資源を利用しつつ顧客の幅を広げようって考えはまったくもって正しいよ。灰田さんって課長さんはきっと有能なひとなんだろうね」
タイミングを見計らったかのように母が出した煎茶をひとくち含み、父は話に段落を付けます。
「ここぞというときのみーちゃんの堅実さと粘り強さが人並み以上だってことは父さんも母さんもよく知ってる。あと、簡単には他人に流されない公平さと頑固さもね。でもまあ、僕らの評価はみーちゃんの会社にはなんの影響力もないから意味ないんだけど。ただね、見る人が見ればわかる、ってことだよ。新しい課長さんは、たぶんその辺を感じてくれたんだよ。もしかしたら今までみーちゃんの周りにいた人で課長さんの信頼する誰かがさ、みーちゃんのいいところを見つけてくれてたのかもしれない。それを課長さんに伝えて推薦してくれた。なぁんてこともあるんじゃないかな」
父の隣で深く頷く母を見ながら、私の頭の中には栄さんの顔が浮かんでいました。まだ知り合って三ヶ月にも満たないけれど、誰よりも私を見てくれてるひと。そして、かつての灰田さんが心から信頼していたひと。
私は私以上に信頼できる三人、父と母と栄さんからこんなにも強力な推薦状を書いて貰ってるんですね。これはもう、なんで自分がなんて悩んでる場合じゃない。私は私がすべきと信じることを私らしくやっていけばいいんだ。視界を塞ぐもやもやの霧は、私が自分でかけていたのです。そんなのいちいち気にしてたら、なんにもはじまらない。
それにしてもなんなんですか、父のこの慧眼は。




