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ボクの名は  作者: 深海くじら
弥生

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五十話 笠司、春分(一)

 最後の杜陸(もりおか)行きは在来線を乗り継ぐことにした。そんな贅沢な時間の使い方は今後当分できそうになかったし、なによりも考える時間が欲しかった。村上春樹もかの名作『羊をめぐる冒険』で移動距離とそれにかける時間について語っていたように、新幹線の二時間余りでは心が追いつかない気がしたのだ。


 お返し用にはストラスブールのバウムクーヘン。食べたことは無いが、さわさんイチ推しなので間違いはあるまい。朝五時台の電車だからキオスクなんぞ(はな)から役に立たない。龍児(リョウジ)の言う通り、月曜のうちに買っておいたのも正解だった。


「とにかくさ、今の東京でそれだけの掘り出し物を一日で探し出すなんてのは奇跡以外の何物でもないんだから、紹介してくれたミタケさん……だっけ、とにかくちゃんとお礼しとかなきゃ駄目だよ。お世話になりましたって」


 僕は子どもかっ! とも思ったけれど、まあ(リョウジ)の言うとおりだ。ちょっとお土産ってなくらいで収めたりしちゃあ、いかんよな。


          *


 火曜日の朝は日が昇る前に実家を出て、最寄りの駅に駆け込んだ。

 横浜発五時二十五分の東海道線~東北本線で大宮まで。そこから宇都宮行きに乗り継いで一時間十七分。宇都宮からは黒磯行きで小一時間、さらに新白河行き、郡山行き、福島行き、白石行き、仙台行き、小牛田(こごた)行き、一関行きと乗り継いで、最後の杜陸(もりおか)行きに乗り込んだのは午後三時四十分を回っていた。

 なんだこれは。たかが六百キロ弱を走破するのに都合十回も乗り換えするとは。慌ただし過ぎて考えを巡らす暇もない。これなら新幹線の方がまとまった時間があるだけマシだ。

 まあ慌ただしかった分、能動的に移動してきた感覚は間違いなくあった。その一点で良しとするか。



 事務所には黒磯駅の待ち時間に連絡を入れた。電話口に出た御嶽(みたけ)さんは、僕とわかって営業用のトーンを一段下げた。


「夕方の五時十五分には杜陸(もりおか)駅に着くから、よかったら晩飯でも食べない? むろんご馳走する」


 息を呑む気配がしたので、断られる前に言葉を繋いだ。


「どうしても都合がつかないようだったら折返し電話をもらえないかな。そう。緊急連絡網の番号でいい。問題無いようなら、駅二階のドトール前で五時半に」


 じゃ、よろしく。

 そう言い捨てると、御嶽(みたけ)さんの返事を待たずに僕は通話を切った。心臓がばくばくしてる。


          *


 車窓に流れる田園の風景を横目に、iTunesのお気に入りプレイリストを聴きながらツイッター小説をぽちぽちと打ち込む。連載している『少年と彼女(仮)』は、個人所有用汎用ヒューマノイド「ちさと」がβテストで無作為に選ばれた少年サトルをマスターとして過ごす三十日間の物語。今はまだ一週間経ったところだが、ラストのイメージがだいたいまとまってきた。これならいけそう。

 前回のは僕自身の個人的記憶をぶつ切りにして辿った、いわば私小説だったから、今回のこそが本来的な第一作と言える。いや、その前に匿名コンで出した短編が一本あったか。

 今回のは完全な創作なので、物語づくりの練習としてはけっこう有効なんじゃないかな。それにこの「ちさと」のシリーズは、サトルのちさと28の他にも九十九体、ちさと以外の四種のヒューマノイドも入れれば計五百体のβテストが行われてる設定だから、まだまだなんぼでもお話をつくることができる。いわば打ち出の小槌みたいなチート設定だ。


「ま、それ全部書く気なんて無いけどね」


          *


 福島駅で駅弁。迷ったが、実績とコストパフォーマンスで福豆屋の海苔のり弁を選ぶ。九百八十円。昆布の佃煮やらおかかやらが海苔で閉じられている六層仕立て。従来のイメージを完全に払拭する超デラックス海苔弁だ。とにかく旨し。



 午後二時を過ぎる。もうじき小牛田(こごた)に着く。そこを越えたら岩手県は目の前だ。御嶽(みたけ)さんからのキャンセルの電話は無い。次の乗り継ぎの合間にお店の予約を入れよう。だいぶ弛くなったとはいえ、未だに飲食店はコロナ対応がデフォルトだろうから、ちゃんと席を確保しておかないと。



 一関を出た。乗り継ぎは、もう無い。あとは杜陸(もりおか)まで百キロ。残りは一時間半しかない。僕は先延ばしにしてきた本日の主題に取り掛かることにした。

 今日は三月十四日。俗にいうホワイトデーである。

 丸ひと月前、今までの三年間を塩対応で貫いてきた御嶽(みたけ)さんが僕にチョコレートを寄越した。それも、どう考えても本命のやつを。

 そのうえ彼女は、僕の四月からの東京生活における重要な拠点を探す手筈まで整えてくれた。実際彼女の手配がなければ、たった半日であれほど条件の揃った住居を見つけることなど到底叶わなかっただろう。だから今日僕は、彼女の想いと受けた恩に誠実に向き合わなくちゃいけない。


 状況を整理しよう。

 彼女、御嶽(みたけ)信乃(しのぶ)杜陸(もりおか)で実母と同居する一児の母だ。配偶者はいない。いわゆるシングルマザー。一方で僕自身はといえば、特定の彼女はおらずその予定も萌芽も見当たらない成人男性で、四月からは就職と同時に東京暮らしとなる。彼女と僕は、同じ職場で知り合って三年余。知己といえば十分に知己と言える。でも個人的な繋がりは、あのチョコレートを除けば一切無い。かといって、人知れず懸想するには三年という時間は長過ぎるくらいで、仮に彼女が想いを育てていたとしてもなんの不思議もない。


 もしも彼女の僕への想いが本当に本気だとしたら、その到達目標(ゴール)は、ときどき会ってお茶をするとか一緒に映画を観に行くとか、はたまたLINEを交換するとかいった生ぬるいものであるはずがない。彼女の置かれた状況、彼女の住まいと僕の今後の拠点との物理的距離等を考えれば、その答えはおそらくひとつしかない。つまり僕を伴侶とし、(とも)に手を取り合って家庭を築くという未来図。それしか有り得ないのだ。

 御嶽(みたけ)さんの望みはイメージできた。

 じゃあ、いったい僕はどうなんだ?

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