四十八話 笠司、啓蟄(五)
三軒目に見せてもらった部屋は、僕の求める条件にまったく過不足なかった。横浜暮らしだった僕でも名前なら聞いたことある由緒正しい商店街の外れにあり、会社にも歩いて通える。六畳風呂無しWiFi無しで、トイレは共同。キッチンも一口のガスコンロ一台とシンクのみというシンプル過ぎる昭和のアパートだが、家賃はなんと月額三万八千円。まさにブラック企業に勤める独身男性が寝に帰るだけの住まいそのもの。近隣の相場が八万~十万超という中で選択の余地はなかった。
即決する僕に、入来氏は苦笑いで応じる。
「まあこれに決まるとは思ってましたけど、正直ここだとうちの儲けはほとんど無いんですよ」
他ならぬ信乃ちゃんの肝煎りだから別にいいんですけどね、と続けながら入来氏はその部屋の扉を締めた。
*
「暑い夏でしたよ」
事務所に戻る途中、入来氏は前置きなしで話し始めた。
「新宿からのボランティアバスに乗って、私たちは岩手県の住田町ってとこに行きました。大船渡や陸前高田に隣り合った内陸の町です。そこは結構な規模のキャンプで、東北各県や関東から来るボランティアチームの拠点になってました。配置先は、北は宮古から南は陸前高田まで。で、私たちは釜石に向かいました。沿道のところどころで瓦礫が残る海沿いの道を、黙りこくった同年代を満載にしたマイクロバスで」
綺麗に整備された住宅街を走る車内で、僕は入来氏の語る話に引き込まれていた。
「震災から四ヶ月余り経っていた釜石は、未だ混沌の只中でした。市街地すべてを覆い尽くしたという津波の跡は本当に壮絶で、自動車や船が有り得ない場所でオブジェと化しているんです。夏の日差しで乾ききった泥が舞って街は埃っぽく、私たちはタオルを顔に巻きつけて作業しました。リーダーに指示されたお宅に伺って、家の中の家具や漂流物を運び出す。丁寧な細工が施された箪笥なんかもありました。でもね、もう全部がゴミなんです。中身を改めるのは別チームの仕事。アルバムとか思い出の品とかね。乾いた泥がこびりついてるから、その辺はまるで発掘なんですよ。そんなスキルのない私たちは、とにかく力仕事。重機が入れないところに行っては手作業でゴミを外まで移動させる。ただそれだけ」
車を駐車場に戻し、入来氏が事務所の扉を開こうとすると、中から帰り支度の女の子が現れた。
「五分残業ですからね」
そう言い残して出ていった後ろ姿に溜息をついてから、入来氏は僕に椅子を勧めた。
「今のニートの人たちって、みんなあんな感じなんですかねぇ」
「そんなことはない、と思いますよ。確かにドライなのは多いかもしれないけど」
奥から戻ってきた入来氏は、僕の前に缶コーヒーを置いて向かいに座った。
「どこまで話しましたっけ。あ、釜石の話でしたね。とにかくその川底を浚うみたいな作業を一週間したんです。一緒に行った友だちは他のチームの女の子たちと仲良くなったりしてたみたいでしたが、私はもう完全に廃墟に打ちのめされちゃいまして。TV局の仕事をしてて津波が流れ込んでくるのを間近に見たっていう被災者のひとが言ってました。世界の終わりは海から来るんだなって」
プルトップを開けた入来氏は、一息つくようにコーヒーを口に含んだ。釣られて僕も缶を開ける。
「友だちとは釜石駅で別れました。彼らは次の現場の話を楽しそうにしてましたし、私は私で行くところもあった」
缶で塞がれた視界の向こうで入来氏が座り位置を変えた。本題に入るんだな。僕はコーヒーを飲み下した。
「母の実家は釜石線の宮守という駅が最寄りでした。駅を降り立った私は、ようやく人の世界に還ってきたと感じました。それくらい落差は大きかったのです」
入来氏は持っていたコーヒーを、音を立てないでテーブルに置く。僕はようやく聞くことができる御嶽さんの話に、少なからず緊張していた。被災地から田園風景への切り替えが済んだのか、入来氏は再び話し始める。
「駅の周りは見たところ震災の跡も無く、実に普通の田舎の駅前でした。建物は低く空は高い。山に縁取られた田圃には青々とした稲が広がり、車も人通りも少ない。目についた定食屋で遅い昼食を摂り、店の女性に目的地の所在を尋ねたら、年配のそのひとは逆に私を誰何してきました。勢いに押された私が母の旧姓を口にしたところ、彼女はなんとご近所さんで、しかも出奔した母の幼馴染だったという偶然。そのひとのお仕事が終わるのを待って、私たちは連れ立って母の実家に向かいました。呼び鈴を押し、母の友だちだった女性と並んで玄関に突っ立っていた私の前にはぁいという明るい声とともに現れたのは、小学校五年生の信乃ちゃんでした」
旧い南部曲家の暗い廊下を上がり框目指して駆けてくる、ちょっとこまっしゃくれた幼い少女のイメージが、タイムラグゼロで僕の頭に浮かんだ。
「最初は不審者扱いされかけましたが、このときのために母から託された手紙のおかげでなんとか居間まで迎え入れてもらえました。信乃ちゃんのお母さんは、生死さえ不明だった自分の姉の無事を知って涙を流していましたよ。長女だった母と末っ子の彼女は八歳も離れていたので、母が家を出たときはまだ十歳になったばかりだったそうです。彼女の隣に行儀よく座って話を聞いている信乃ちゃんもちょうど十歳。お互いにそのときまで存在すら知らなかった従兄妹同士は時折視線を絡ませて、その度に少女の方が目を逸らす。そんなぎこちない空気を憶えています」
居間を覆うなんともいたたまれない心象風景は、僕の知っている御嶽さんとオーバーラップする。小さい頃から御嶽さんは御嶽さんだったんだな。
「その日を境に、私の家と岩手のその家族は交流を再開しました。信乃ちゃんのお父さんは村役場の観光課に籍を置く契約職員なのですが、震災以降めっきり仕事が減ったとこぼしていました。それでも利発に育った娘を自慢して、夫婦で可愛がっていたように見えました。信乃ちゃんが中学生に上がったのを契機に私たちはメールアドレスを交換し、ときどき学校生活の様子を知らせてくれるようになりました。うちの母のように、いつか東京に出てみたい、とも」
そうか。御嶽さんも都会に出て自分を試してみたかったのか。田畑にぐるり囲まれた土地に生まれた素性を恨み、いつの日か社会に出て自由に生きたいという望み。黙々と帳簿を繰る彼女の事務姿を思い出し、僕は少し哀しくなる。
「私が結婚して、妻の父に出資してもらいこの店を開いたのと同じ時期、信乃ちゃんは高校生になりました。花巻の公立高校。あの辺りでは一番の進学校です。その頃のメールには、憧れてる人ができたとの報告がありました。通学途上にある、甲子園でもお馴染みの私立高校の野球部員だったようです。学校帰りに彼の高校のグラウンドに寄って、練習を見守るのが日課だとか。女子高生らしい、そんな甘酸っぱい便り」
宝石箱をそっと開けて中身を確かめるようだった入来氏の表情が、急に曇りだす。先に菅原さんから聞いたあの話に繋がるんだ、と僕は予感した。
「様子が変わったの夏が終わった頃からでした。彼とつきあい始めた、というのとはちょっと違う、なんとも煮え切らない内容で。その後メールの頻度も減り、届いたとしても内容の薄い、単なる生存確認のような味気ない往還の繰り返し。でも私は、自身の開業準備が忙しかったのを理由におざなりな返事で誤魔化していた。そのときだったんです。彼女の妊娠は」




