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ボクの名は  作者: 深海くじら
弥生

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四十六話 笠司、啓蟄(四)

 グランピングから帰った翌日の今日、僕は四月からの住居探しで都内に出てきている。


 先月、御嶽(みたけ)さんから紹介された不動産屋さんが雪が谷大塚の駅前だというので、蒲田駅でJRを降りた僕は、初めて乗る路線の乗り換えに手間取りつつ東急池上線に乗りこんだ。三両と短い編成の電車は背の低いビルの並びを抜けて、ほどなく住宅街に入る。二駅目を出て以降は、普通の家の屋根ばかりが車窓を流れていく。

 この感じ、あんまり都内っぽくなくて良いなあ。

 ドア横にもたれて窓の外を見送りながら、さっきまで五感を覆っていたはずの気負いが無くなっているのに気付いた。杜陸(もりおか)での四年間ですっかり地方都市慣れしてしまった僕は、首都圏の喧騒の中だと無意識に緊張してしまうようになった。でも、このローカル線のようにこじんまりとした電車に揺られているうちに、肩に溜まっていた気負いがいつの間にか抜けている。車両にはガツガツしたビジネスマンなどひとりもいない。日々の生活を営んでいるその街の人が、自分や家族の用で隣の街に行くために利用する交通機関。午後早めの車内はいい感じに空いていた。

 なにか時間がゆったり流れているような空間が、そこはかとなく好ましい。この辺に部屋が見つかるといいかも。



 蒲田を出て四、五駅目のホームに滑り込んだときに、目の隅を掠めた文字列が頭に引っかかった。減速する車窓越しに流れる駅名表示板の真ん中にそれを見つける。御嶽山。

 みたけ……さん?


「おんたけさん、おんたけさん~。次はゆきがやおおつかぁ」


 車内アナウンスが僕の読みを訂正した。そうか。ここでは御嶽山(おんたけさん)って読むのか。


 不意にバレンタインの日の御嶽(みたけ)さんを想い出した。分厚いカタログを机に叩きつけて僕を睨む強い瞳。


「渡したからね。受け取ったんだからね」


 そう念押しして紙袋をくれた彼女は、その場で中身を検めようとする僕をきつく制したのだった。

 あれは照れてたんだな。


 そういえば、来週にはホワイトデーがある。御嶽(みたけ)さんにもなにかお返しをしないわけにはいかない。僕は首をひねった。経験値が低いので、どうすれば普通なのかがわからない。

 そもそも彼女はどの程度の意図をあのチョコレートを込めていたのか。僕よりひとつ年下で、未婚だけど四歳の子どもを育ててる職場の同僚。出会いの少ない生活の中で、彼女は僕になにを想い、なにを期待している? 彼女は僕にどう応えて欲しいのだろうか。

 これまでの三年間、彼女のことをそんな目で見たことは、ほぼ無かった。いや、正確に言えば初めてアルバイトに入った日、事務の女子が地味系だけど実は可愛くてラッキー、くらいに思ってはいた。だがその日にいきなり、めちゃめちゃ厳しく書類の不備を叱られたんで、これはないわとなったのだ。それ以降も僕に対してはなぜか塩対応がデフォルトで、プライベートな話はおろか、笑顔すら向けてもらった記憶は数えるほど。このひとはきっと僕みたいな半人前のことが嫌いなんだろう、てな感じで。

 だから、彼女があんな切羽詰まったみたいな顔をして僕に何かをくれるなんて、想像の範疇を超えていたのだ。


          *


 御嶽(みたけ)さんに紹介された入来(いりき)不動産は、雪が谷大塚の駅から歩いて一分のところにあった。間取りのちらしがマルチ画面のようにべたべたと貼ってあるボードの前で逡巡していると、すぐ横のガラス扉が中から開き、人懐っこそうな男が顔を出してきた。


「ハイライフエステートにようこそ。皆川さん、でいいんですよね」


 ハイライフエステート?

 僕は看板を見上げた。もしかして、間違えて別の店来ちゃった?


「入来不動産、はいらい不動産、ハイライフエステート、ですよ。ね。かっこいいでしょ」


 どうぞどうぞと(いざな)う男の勢いに乗せられるまま、僕は店内に足を踏み入れた。



「お仕事先が池上線の沿線なんですね。でもって朝はそこそこ、夜は遅い、と。条件はシンプルで、二十代の健康男子が毎晩寝に帰るだけの可能な限り安い賃貸。でいいんですよね」


 向かいに座る入来氏が立て板に水でそうまくしたてた。御嶽(みたけ)さん、言ったまんまの条件を伝えてやがる。さっきアルバイトらしい女の人が出してくれた缶コーヒーを飲みながら、僕は曖昧に頷いた。


「早々にご来店と聞いてましたから、いくつか物件見繕ってありますよ。今から回れます? 二時間くらいで」


「まあ、そのつもりで来ましたから」


 僕がそう言い終わらないうちに入来氏は立ち上がり、うしろの壁にぶら下がってる鍵のひとつに手を伸ばした。反対の手には何枚も紙の挟まったクリアファイルが握られている。


「じゃ、行きましょ。みのりちゃん、皆川さんと回ってくるからあとよろしく。ホワイトボードは四時戻りでいいや」


 先導して扉を押す入来氏は、僕がついてきているのを確かめてから店内に向かって声を投げたが、デスクで爪を磨いている受付バイトは、てんでヤル気のない返事を返すだけ。彼女はたぶん、僕らのことは見送ってもいないだろう。


          *


 こっちの方が街が見れるからと助手席を勧められ、僕らは社名の入った軽自動車で最初の物件に向かっていた。住宅街の真ん中を進むまっすぐの二車線道路。都会では広めの区画が碁盤の目のように並んでいる。


 こちらが聞きもしないのにハンドル握りながら教えてくれた彼自身の話によれば、入来家の実家は鹿児島で、その名字も実家のあたりではさほど珍しくないんだそうだ。高度成長期にひと旗揚げようと上京してきた父親が、同じく地方から上京組の母親と出会い、埼玉で家庭を持ったのだとか。だから入来氏自身は生まれも育ちも埼玉。就職した先の東京の不動産会社で奥さんと運命的に出会い、彼女の父親の出資で結婚と同時にさっきの店舗を立ち上げたのが五年前。今は二駅先に義父が建てた二世帯住宅で暮らしていると言う。

 いや、あなたの身の上話とか、正直僕にはどうでもいいんですけど。

 そんな台詞が喉のすぐそこまで出かかったところで、入来氏はこう尋ねてきた。


信乃(しのぶ)ちゃん、元気にしてます?」


 御嶽(みたけ)さんは、彼の母親の妹の娘さんなのだそうな。

 田舎が嫌で、生家のある宮守村から家出同然で東京に出てきた彼のお母さんは、実家とは長いこと絶縁していたらしい。だから彼自身、岩手に自分の従妹がいるなんて大学に入るまで知らなかった。


「大学二年の夏休み、友だちと東北に行こうってなったんですよ。2011年。学内の掲示板でボランティアの募集を知りましてね。俺たちになにかできることはないかって。あの年の学生は、みんなそんなことを考えてましたから。そしたら、母親が言ったんですよ。もしも岩手に行くのなら、自分の実家の様子も見てきて欲しいってね」

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