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ボクの名は  作者: 深海くじら
弥生

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三十九話 瑞稀、啓蟄(一)

 月曜日の午前中、月末処理の状況チェックをしていたら社内メールが届きました。目視作業だったのでキリの良いところまで済ませてから画面を開いたら、総務の灰田課長から。

 タイトルこそそれらしい業務メールの顔をしていましたが、中身はなんとランチのお誘い。これ、どう考えても栄さん案件じゃないですか。正直言って今週は月替わりだから、めちゃくちゃ忙しいのが確定してるんですよ。しかも相手は人気のモテ男さん。せっかく外野でまったり過ごしてるのに、いきなりマウンド上がれとかムリゲー過ぎます。面倒事が苦手な私は、やんわりとお断りしました。

 が、返信はすぐに返ってきます。灰田さん、反応早過ぎ!



―――――

 営業部 波照間瑞希様


 お疲れ様です。

 勘違いさせてしまったようで恐縮ですが、本案内はあくまでも業務の一環ですのでお間違いなく。

 内容は、現在の業務についての所感等のヒヤリングが主ですので、とくにご用意いただくものはございません。


 以下の日程を空けておりますので、ご都合のよろしい日でお時間をお選びいただけるようお願いいたします。


 【日程(案)】

 二月二十八日 十二時~十四時 

 三月二日 十七時~ 

 三月三日 十二時~十五時 

 

 ご返信お待ちしております。


 総務部 灰田光陽

―――――



 業務、ですか? ホントに? そう思いながらも、私は壁のスケジュール表を見やります。

 今週後半は月末処理が本格化するから下手すると残業も八時九時。そうでなくても会社の異性と夜に会うなんてもっての他です。だから十七時以降はハナから却下。残りの二十八日と三日のお昼は、と……。お、明日は課長が朝から外出。てことは、昼休みの戻りチェックも甘くなりますね。今日の明日はちょっと慌ただしい気もするけれど、忙しさが本格化する前の方が、気持ち的にも楽かも。



―――――

 総務部 灰田課長


 二月二十八日の昼休みでしたら、一時間ほど時間が取れます。

 どちらに伺えばよろしいでしょうか?


 営業部 波照間

―――――



 数分後、冷泉公園向かいの「ステーキハウス馬車」に十二時十分で、というメールが返ってきました。灰田さん、ホントに暇なのかしら。

 とは言え、明日は昼からお肉が食べられる。圧倒的に食い気が勝つ私には、そのニンジンはたいへん魅力的です。なんといっても「馬車」はおじいちゃんシェフが名物の老舗中の老舗。その分お値段もよろしくて私たちにはとても手が出ない高級店ですから、期待もぐんぐん高まっちゃいます。なんの話かは知らないけれど、舌とお腹が満たされるのならもうなんでもいいかな。まさか、割り勘、なんてこと無いですよね。


          *


「で、お話ってなんでしょうか?」


 食後に出てきたアイスクリームをひと口いただいてから、私はおずおずと尋ねてみました。


          *


 私がお店の扉を開けたときには、灰田課長はすでに奥のテーブル席に腰掛けていました。

 ずらっと並んだ真っ白のテーブルクロスが年配のお客様でぽつぽつと埋まってる。見るからに場違いな店内に圧倒されていた私を手招きする灰田課長は、社内でお見掛けするときよりずっとにこやかでした。

 私が着座すると、すぐに料理が運ばれてきました。


「忙しいだろうから先に注文しておいたよ。焼き方、ミディアムレアでも大丈夫だよね」


 気圧(けお)されてしまった私は言葉も無く頷くだけ。完全に術中に嵌っていました。


 それはもう美味しいカットステーキを食べてる間も、灰田課長の広告代理店時代のエピソードなど軽妙な話術に翻弄されて、私はただ芸の無い合槌を打つのが精一杯。ひと段落し、デザートとコーヒーが供されたころになって、ようやく自分の足下を取り戻したのです。



「波照間さんのことは、先日はじめて山科さんから聞きました。小説を書いておられるんですね」


 うわっ。そっちですか。

 私は顔から火が飛び出そうでした。


「悪いとは思ったんですが、あの小説『白い部屋』、山科さんに頼んで、彼女のスマートフォンで読ませていただきました」


 アイスクリームの味なんてどっかにいってしまって、もう俯くしかない私に向かって灰田課長はこう言ってくれました。面白かった、って。


「文章も構成も、あ、もちろんストーリーもよくできていて、一気に読みました。最後の締めも綺麗に決まっていましたし、本当に完成度が高かった。あれ、初めて書かれたそうですよね?」


 私は、はいと蚊の鳴くような声で返事をしながら、考えます。

 あれ、大丈夫ですよね、会社的に。もしかしてコンプライアンス違反だったりして。

 ほんのりと黄味がかったバニラクリームが溶け始めているのが目に入りましたが、手を動かすなんてとてもできない。そんなふうに固まってしまった私に気づいたのか、灰田課長はアイスを薦めてくれました。スイッチを入れてもらった私は、のろのろとスプーンですくいます。

 味のわからなくなったアイスクリームを黙って食べる私から目を逸らし、灰田課長は独り言のような調子で再開しました。


「うちが再来年に創業百年を迎えるのは知ってると思う」


 小さく頷く私を無視するように、灰田さんは間を置かず続けます。


「百周年には社の内外に向けてのさまざまなイベントが計画されている。その中で僕は、新年度から広報・社史編纂室の室長を仰せつかるよう内示を受けました。所属は総務部のままですが、いってみればプロジェクト担当、遊軍ですね。前職でPRとかをやっていたので目を付けられたのでしょう。そこで僕は、差し当たって夏前を目途に社内広報に特化したインナーのサイトをつくることを提案し、予算をいただくことができました。合わせて多少の人事権も」


 そこまで言って、思い出したかのようにアイスに手を伸ばした灰田課長は、大きくよそって口に入れました。ここのアイスはやっぱり美味しいね、と呟きコーヒーに口を付けた灰田さんは、音を立てないようそっとカップを置いてから私の目を見つめてきました。


「波照間さん。四月から僕のチームで、一緒に広報の仕事をしてもらえないだろうか」

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