三十四話 笠司、雨水(二)
毎日が怒涛のように過ぎていく。二月の第三週、僕は馬車馬のように働いていた。
火曜深夜の宮古での仕事に始まって、水曜午後は週末の市内の現場をロケハン、木曜は朝から音楽イベントの設営撤去と運営、金曜は夕方から週末イベントの現場づくり。月末の手取り以外は楽しみも無い。
仲間内のインスタには安比や雫石など近場のスキー場から始まって、札幌の雪まつり、沖縄の海、果ては香港まで、実に様々な場所の風景が躍っている。どの画像も充実してて楽しそうだ。あの辻でさえ、今週末はコミティア詣でに参戦するという。まったく、どいつもこいつも。
イベント会場の片隅で閉幕を待ちながらスマートフォンをいじってる僕の背中を誰かが叩いた。振り返ると缶コーヒーを持った菅原さん。甘いのはあんまり好きじゃないと知ってるくせに、この人が差し入れるのはいつも甘ったるいコーヒーばかり。でも今更文句を言うことも無く有難く受け取る。最後の底力は糖分で決まる、と返されるのもわかってるし。
「中が掃けるまであと三十分だそうだ」
見れば、ステージではMCが最後の挨拶をしている。まだ早いと思いつつも、僕も伸びをして肩を回す。と、菅原さんが隣に座ってきた。
「ところでリュウちゃんよ。この前のアレはどうしたのよ」
面倒くさい話題を振ってくる。そろそろ四十も近いというのに、このひとは噂話が大好物だ。人のことより自分の連れ合い呼び戻すこと考えろよ。
「ああ見えてしのぶちゃん、眼鏡取るとけっこう可愛いぞ。陰キャだけど」
御嶽さんの話だ。火曜の出張からこっち、うるさいうるさい。知ってますよ、彼女が可愛いのは。てか、別に眼鏡かけたままでも別に悪くないし。まあ、ほとんど笑わないけど。
「しのぶちゃん、まだ二十二だし、お前さんとほぼ一緒だろ」
「え? 御嶽さん、僕より若いんですか?! 絶対年上だと思ってた」
「お前、それしのぶちゃんに言うなよ。彼女怒らせると事務所の空気マジ凍るんだから」
後半の軽口はどうでもいいが、彼女の年齢には本当に驚いた。あの落ち着きはどう考えても三つ四つ上だ、と決めつけていたから。てことは、初めて会ったときは彼女、まだ十代だったんだ。
「にしてもアレだ。しのぶちゃんがバレンタインでチョコあげるのなんて、四年間見てて初めてだよ。あのチョコはリュウよ、重いぞぉ」
どう重いんですか、と聞こうと思ったところで作業開始のブザーが鳴った。
*
意外に早く、日付が日曜に変わる前に作業が終わった。ちょうどいい疲労感。明日はひさしぶりの全休だ。
菅原さんの運転で西下台のアパートまで送ってもらうタイミングで、さっきの話の続きを尋ねてみた。
「それ聞いちゃう? リュウんち送る時間じゃぜんぜん足りないよ」
「そんなに深い話になっちゃうんスか?」
運転席の菅原さんは、こっちを向いて意味あり気に笑った。
*
菅原さんはうちの酒を飲み尽くし、昼前に起きて帰っていった。アラフォーのくせにこんな学生みたいなことやってるから奥さんに実家帰られちゃうんだよ、などとは口が裂けても言わないが。
さすがに専務だけあって、菅原さんは社員の事情にも詳しかった。まあ社員といっても、今はもう御嶽さんしか残ってないけど。
ひと晩かけてつらつらと聞いた彼の弁による御嶽さんの経歴は、概ねこんな感じだった。
御嶽信乃。二十世紀最後の年の七月末に宮守村で生まれた御年二十二歳。社長の遠縁で五年前の秋に菱沼装美に入社。当時は高校中退だったが、入社後に通信で高卒資格を取得。以降、無遅刻無欠勤(有給休暇はきっちり消化)で、不愛想ながらも職場の華としてしっかり事務作業をこなしている。現在は仙北町で、四十代半ばの母親と四歳になる娘との三人暮らし。
「四歳になる娘ェッ?!」
思わずコップ酒をこぼしそうになった僕を、菅原さんの赤ら顔がにへっと嗤う。
「な。重いだろ」
そう言って、飲み干していた自分のコップに新たな杯を注いだ菅原さん。話を続ける。
「彼女、おつむの出来はいいから、県立のいい高校に受かった。生まれて初めてひとりで村から出て浮ついちゃったんだろうな。高校入ってすぐくらいに花巻の私学の若いのに惚れて、いろいろエロエロやられちゃったらしいんだ。若いっていいよね。その相手、顔と野球は抜群だったんだけど危機意識はからっきしで、彼女、一年生の終わりごろに妊娠発覚だ。男の方の実家がわりと太くて、金で解決するから堕ろせって言ってきたんだけど、彼女がつっぱねた。そうこうしてる間にも腹ン中はすくすく育つワケで、結局は、認知もしないし今後の付き合いも一切無し、代わりに慰謝料と手切れ金をそこそこ掴まされてそっちはお終いさ。男の方? そっちは今ごろどっかの大学でタマとオンナでも追っかけてるんじゃないの?」
知らんけど、と言いながら菅原さんはコップを呷った。
「でも、しのぶちゃんちはそうもいかない。せっかく入った優秀な高校は中退になるし、狭い村ン中での風当たりは尋常じゃない。でもそれだけじゃなくて、突然転がり込んできた大金に目がくらんで親父がおかしくなっちゃった。そりゃあもの凄い勢いで散財をはじめたんだそうだ。で、本気でヤバいと感じた母親が、親類の中じゃ一番頼りになりそうな菱沼さんを頼って、どうにかこうにか離婚に漕ぎつけることができた。でもそんときには娘が貰った慰謝料のほとんどは無くなってたんだっけ」
同世代の娘に降りかかった壮絶な半生に、僕は息を呑む。と同時に、愚かで身勝手な男どもに強い憤りを感じた。
「生まれたばかりの赤子を抱えた未成年と中年の女ふたり、北上川に身投げしても不思議じゃない三人連れだったけど、そこはほれ、菱沼さんがついてるからさ。母親が働ける居酒屋を仙北町に見つけてやって、その近所のアパートも安くなるよう交渉したり、娘の通信高校の援助もしてやったり、な」
捨てる神ありゃ拾う神ありってか。そう呟きながら、菅原さんは旨そうに杯を干す。単純な僕は、改めて社長を尊敬していた。
「ちょうどうちのが子育てで事務やめるって時期でもあったんで、まだ勉強中ではあったけどしのぶちゃんを後釜に据えたのが四年前。そんなこんなで、母親とツーマンセルで子育て奮闘中ってのがイマココだっけ」
話し終えた菅原さんが、湿った息を吐きながら僕ににじり寄ってきた。
「どーよリュウちゃん。このしのぶちゃんの重いおも~いチョコを受け取った感想は」




