三十一話 瑞稀、雨水(一)
密度の濃かった週末が明けた月曜は、なにをするにもまったく調子が上がりません。おまけに神戸の坂道を随分とたくさん歩きましたから、筋肉痛も始まってます。明日にはさらに痛くなるんじゃないでしょうか。
以上、今週の予報です。
いつもと同じ週明けのはずなのに、ぜんぜんやる気が起こらない。やらなきゃいけないことも妙に溜まってる気がするし。嘆いていてもしょうがないのでとりあえず手は動かすのですが、ルーティンをこなす間、頭の中を占めているのは主にふたつ。
ひとつは今日から始まる予定の新しい連作小説です。自己評価ではありますが、前の『白い部屋』が思ってた以上にちゃんと書けたこともあって、次もきちんと物語にしたい、なんて考えたりしまして。今度のは童話をイメージしたファンタジーにするつもり。果たしてうまく行くことやら。
もうひとつは栄さんのこと。昨日の帰りの新幹線で聞かされたのが気になって、なかなか頭から離れないのです。
ホント、仕事に集中しなきゃいけないのに。
午後二時ののぞみに乗る谷下さんさのさんを、清水さんと私は改札口で見送りました。清水さんは三時半の東京行き、私の取れているのは三時過ぎののぞみ博多行きなので、お土産を買ったあとは改札前のカフェでご当地のクラフトコーラを飲みながら時間を潰しました。
ツイッターのタイムラインには、西に向かう新幹線の車内からの画像が送られています。さのさんの撮る窓外の風景、谷下さんの撮る残念な画像。リアルなおふたりのキャラを思い浮かべ、清水さんも私も笑ってしまいます。こちらも負けじとクラフトコーラの写真を送りました。
来週にはドイツ出張が控えているから連載を書き溜めしないといけないと言う清水の話に頷きながら、意識の片隅ではずっと、未だ連絡の来ない栄さんのことを考えています。なにかあったのかな?
グラスの汗が足元のコースターをじっとりと濡らす頃、テーブルに置いたスマートフォンが震えました。LINE通話です。時間を見ると三時過ぎ。新幹線の到着まであと十分少々のはず。私は急いで耳に当てます。
「ごめん瑞稀。今、車でそっち、新神戸に向かってる。もうちょいで着くと」
「栄さん、いまどこ?」
「車ン中やからいっちょんわからん」
電話の向こうで少し離れた声が、あと二分くらい、と告げている。
「お土産買う時間無い。悪いけど、改札前で待っとって」
「わかりました。栄さんも、階段とかで転ばないよう気をつけて」
らじゃ、と言って栄さんは通話を切った。
やっと繋がった。元気そうな声を聴けて安心した私は、薄くなった最後のコーラをストローで吸い上げました。
「よかった。間に合うみたいで」
清水さんの言葉に、私も微笑みで返します。
「僕はもう少しだけここにいます。だから今回はここでお別れ。月波さんは、もう行った方がいい」
私も頷き、自分の分のお金を置いて立ち上がりました。
「本当に楽しかった。僕もいろいろとオフ会は出たけれど、今回の出来は最高でしたね。教科書に乗せてもいいくらい」
「ホント。みなさんのバランス感覚がとってもよくって」
「月波さんも一緒ですよ」
もう一度笑いかけてから、私は荷物を肩に掛けます。
「それじゃ、また。ドイツのお話、楽しみにしてますよ」
このメンバーでまたオフ会やりましょうという言葉に送られて、私は席を立ちました。
「ほんのこつすまんかった。毎度ぎりぎりで」
「ホントですよ。最後なんかハラハラしちゃいました。夜だって、連絡も無しに外泊だし。栄さん、フリョーです」
私は笑顔で口を尖らせます。
「や、翔子にな、せっかく遠路はるばる来たんだから有馬行こって誘われてな」
「え? 栄さん、温泉行ってたんですか?」
「そうなん。俗世の垢、すっかり流したと」
「いいなあ温泉」
頬を膨らませる私に、ビール片手の栄さんが笑います。
「瑞稀やって楽しかったやろ、オフ会」
ここぞとばかりに、私はスマートフォンの画像フォルダを開いて撮りまくった食事や風景を披露しました。
「人は写っとらんの? 若い男の子も来とったんやろ」
「栄さんわかってない! この世界は顔写真は御法度なんですよ。みんなペンネームだけで、何歳かもどこから来たかも言わないし聞かない。顔写真なんて、もうもってのほかです!」
男の子写っとらんとつまらんなぁなどとぶう垂れながら、栄さんはスマートフォンの画像を指で送ります。
「てことは、瑞稀もそっちでは月波さんてか」
「そうです。初めは恥ずかしかったけど、慣れたらもうバッチリです。フツーに使える名前にしといてよかったぁ」
私にスマートフォンを返した栄さんは、悪い笑顔で言ってきました。
「話すっときもアレか、ボクボク言いよったんね」
「いや、それは……普通に私で」
「なぁんね。そいは片手落ちやろ」
岡山を過ぎた辺りで、栄さんはようやっと自分の話を始めました。




