三十話 笠司、立春(七)
朗報は杜陸に戻った金曜日の午後に届いた。電話口の中込さんは、四月三日、朝九時前に俺を起こしに来るように、と言って通話を切った。
サークルのLINEグループに報告したらあちこちから祝辞が届き、土曜の夜にカジ先生の部屋で宴会という運びになる。どうやらみんな心配くらいはしてくれてたようだ。
前日の雪を掻き分けて、遅めの午後に舘向のカジ先生宅に赴くと、すでに長田と正親が来ていた。辻は買い出しに行ってるらしい。
玄関口まで出てきたカジ先生がおざなりのおめでとうを言いながら手を出してきたから、僕もおざなりの謝辞を返して持ってきた紙包みを渡す。県境越え御禁制品の中身を確認した先生は、相好を崩して僕を迎え入れた。この街の初等教育は本当に大丈夫なのか?
夕方から始まった祝賀会は十二時前まで続いた。最後まで飲み続けていた辻も炬燵の向こうに蹲り、日付が変わる前に寝息を立て始めた。十時前にいったんダウンした僕だったが、ひとやすみしたあとはノンアルにシフトしていたのが功を奏し、最後の生き残りとなった午前零時もアタマは比較的しっかりしていた。
就職祝いにかこつけた単なる飲み会ではあったが、それでもこうして祝ってもらえるのは有難いことだ。炬燵周りで骸になっている長田、辻、正親に、奥のベッドに転がっているカジ先生に、僕は軽く頭を下げた。
やかんの麦茶をグラスに注ぎ、それをちびちびと飲みながら僕はスマートフォンを開いた。ツイッターのタイムラインにはあちこちの宴や食べ物の画像、連載小説の更新報告などが流れている。と、数人のアカウントで同じ画像が流れているのに気づいた。出来のあまり良くない萌えキャラを立体化したような立像の画像。円盤のように広がった銀色のスカートからパンツが丸見えになっている仁王立ちのロンゲ少女。かなりの大きさと思われるその少女像を撮った、微妙に角度の違う画像が複数の投稿で同時に流れていたのだ。谷下希さん、清水香凜さん、月波さん。TLを進めると、焼肉を焼く七輪も同じもの。ってことはオフ会匂わせか? もう一度遡ると、月波さんの昼の投稿で新幹線の画像とともに新神戸到着の投稿があった。へえ。月波さん、今日は神戸でオフ会か。ひとまず一連の投稿にいいねをつけまくる。
途中で読むのを中断していた月波さんの連作小説を読んでいたら、突然DMが届いた。驚くべきことに、当の月波さんから。
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月波 @tsukiandnami
就職おめでとうございます。大きな心配事が栗やになりましたね。おめでとー
午前12:21 · 2023年2月12日
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栗や? ああ、「クリヤ」か。そういや面接の後にツイートしてたっけ。それ、観てくれたのかな。見ず知らずの人からでも祝福は嬉しいね。
僕は返事を打った。
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笠地蔵六 @kasajizorock
こんばんは&ありがとうございます。おかげさまで新年度からの仕事先が確定しました。ホントひと安心です。
月波さん、今は神戸ですか? 楽しそうなオフ会画像、拝見しましたよ。いいなあ。うらやましい。そのうち僕もどこか行って羨ましがらせなくちゃw
午前12:38 · 2023年2月12日
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ホント。東京に行ったらリアルを充実させないと。弟だけをいい気にさせてたまるか。頭の中で、谷中の部屋で明け方目覚めたときに見た、シングルベッドで抱き合って眠るさわさんとリョウジのシルエットが浮かんだ。
僕はかぶりを振って、月波さんのお酒画像の感想をDMに追加する。
ほぼ同時に彼女からも返信が届いた。
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月波 @tsukiandnami
変身ありがとうございます。オフ会たのしいです。みなさんやさしいしたのしいし。明日も神戸回りますよ
午前12:42 · 2023年2月12日
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なんかろれつが回ってない感じ。月波さんもいい感じに酔っぱらってるんだな。彼女はたぶん神戸市内のどこかのホテル、僕は杜陸の先輩の部屋。一千キロ以上離れたところで別々に酔っぱらっている。だけど、蜘蛛の糸みたいな細い回線一本で、こうして時間を共有している。その繋がりに、僕は小さくない歓びを感じていた。そして同時に、この人ともいずれ逢うことだってあるかもしれない。そんな夢想さえ描いてしまった。
月波さんから、お酒画像の感想に対する返事が届いた。前にやり取りしたときに感じた知性の大半を失ったような、気分良さげな酔っ払いの返事。それを読んで、僕はさらに嬉しくなった。前よりも月波さんが近く感じられたのだ。
少しだけ丁寧に返事を認める。
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笠地蔵六 @kasajizorock
月波さん、今夜はいいお酒だったみたい。僕もさっきまで、仲間内が祝ってくれた楽しい飲み会をやってました。お互い良い週末ですね。調べたら、明日の神戸は快晴のようです。みなさんでの神戸観光を楽しんできてください
午前12:49· 2023年2月12日
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スマートフォンの画面を見ながら、僕は鷹宮皐月のことを考えていた。すでに予約をセットし終えている明日の最終回に記した、僕と彼女が交差した最後の映像。四年前のあのホームから、僕は一歩も前に進めていない。彼女の社会人としておそらくは様々な経験を積んだであろう四年間と、東北の片隅でモラトリアムの日々を無為に過ごした僕の四年間。でも、それももう終わる。
春から、僕は新しい僕になる。新しい道を、新しい目標に向かって走り出さなきゃいけない。そしてそのとっかかりは昨日約束された。気づけば、僕は笑っていた。そう。世界は前に向かって拓けているんだ。
反応が返ってこないスマートフォンを眺め、僕は月波さんの寝落ちを確信する。
「おやすみなさい。良い夢を」とだけ打って、僕もスマートフォンの画面を閉じた。
翌朝、台所で顔を洗っていたら、やかんに火をかけるカジ先生が横に立っていた。
「あのオナニー、今日で最終回だよな」
歯ブラシを咥えたまま僕は頷く。白く明るい外を映した摺りガラスの虚空を見つめて、カジ先生は言葉を続けた。
「就職も決まって、四月からはお前さん念願の社会人デビューだ。やっと同じステージに立てたんだろ。そろそろいいんじゃないのか。件の彼女にスタートラインに着いたことを知らせるのも」




