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ボクの名は  作者: 深海くじら
如月

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二十八話 笠司、立春(六)

「どう? 仲良くやってる?」


 能天気な台詞とともに(リョウジ)が帰って来たのは、僕の風呂上がりからさらに小一時間あとだった。

 にこにこしながら僕と鍋を囲んでいたさわさんは、上着を掛けるリョウジにグラスを差し出してちょっと膨れた。


「おっそーい!」





 狭いワンルームのキッチン側三分の一を脱衣場として占有することになるので、気持ちが良いからといって長湯するワケにもいかない。しかもカーテンの向こうにいるのはハタチの女の子ひとり。弟の彼女だからといって、ハイそうですかと安心していい筈がない。

 早々に風呂から上がった僕はいつもの倍のスピードで身体を拭き、さわさんが用意してくれたジャージを急いで身に着けた。気配を察してか、カーテン越しに声が掛けられる。


「上がりましたか? 着替えが終わったらカーテン開けてくださいね。こっちは準備できてますから」


 なんなの? 僕、弟夫婦の家庭にお邪魔してるの? あ、まあそういうことっちゃあそういうことか。うーん、彼我の差が大き過ぎる。(リョウジ)は家庭持ちで、双子の僕は彼女無しの童貞か。今更だけど、如何ともし難いな。


 カーテンを開けると、さわさんがてきぱきと鍋の用意をしていた。ポータブルコンロに火を入れ、追加用の豆腐や野菜を手元に置き、各自用に箸と呑水(とんすい)を置く。


「ほら、お兄さんも突っ立ってないで、こっちに座ってください。リョウちゃんもうじきって言ってたけど、当てにならないから先はじめちゃいましょ」


 そう言って座椅子を置いた上手(かみて)を僕に薦めた。



「それにしてもお兄さん、クリソツってワケじゃないんですね。子どもの頃の写真は見せてもらったことあったからもっと似てるかと思ってたら、そんなでもなくて意外です」


 半分ほど飲んだ乾杯のグラスに瓶ビールを注いでくれているさわさんは、そんな風に僕を評した。彼女の喋りはほとんど止まるところがない。今のところ僕とさわさんのボール占有率は1:9くらいだ。僕の台詞はほぼ合槌のみ。この密度差、誰かに似ていると思ったら原町田(ゆかりん)だった。ゼミで約三年間一緒だったあの娘はとにかく(かしま)しかったのだが、目の前のさわさんからも同様の圧を感じる。とは言え、やたら理屈で押してくるゆかりんに比べれば、自分の話が多めのさわさんはまだ圧迫感が少ない気がする。


「ほら、お兄さん、お箸が止まってますよ。お肉もお野菜もいっぱい用意してるから、帰ってこない人のことなんか気にしないで、じゃんじゃん食べてくださいね」



 野澤さわ。乙女座の二十歳(はたち)。看護師を目指して三年制の看護専門学校に通ってる二年生。千葉は銚子の出身で、中高ずっとバレーをやっていた。容姿は十人並みだけど、元気と明るさだけならけっこういい線までいってるはず。リョウジとの出会いは一昨年(おとどし)の秋。インターン先の病院に共同研究で出入りしていたリョウジから声を掛けられ、請われるままに卒論の手伝いをしていたらいつの間にかお持ち帰りされていた。自宅から片道三時間の通学がキツかったこともあり、自転車で通えるリョウジのワンルームに転がり込んで今に至る。


 最初の鍋を粗方掬い、ビール二本とここまでの話を片付けたところで玄関のドアが開き、ようやく部屋の主が帰ってきた。





 背後のベッドで寝息を立てるさわさんに気遣いながら、リョウジが低い声で呟いた。


「ね。いい子だろ」


 含んでいた堀の井を飲みこんで、僕は応える。


「いままでのお前の彼女にはいなかったタイプだな。自分をちゃんと持っていて、すごくいいと思うよ」


 そうなんだよと言いながら、リョウジは一升瓶にに手を伸ばしてきた。横からそれを取り上げて、僕が湯呑みに注いでやる。


「見てるだけで楽しくてさ。勝手にいろいろやるんだよ。ここに転がり込んできたときもそう。自分だけを見て、とかぜんぜん言わないのに、なんていうか、目で追っちゃう」


 僕は頷く。弟も、この娘とは長く続くかもしれない。そう予感した僕は、思い出したことを口に出してみた。


「こんな子だったなら、栗きんとん持ってかえりゃよかったのに」


 深く頷いたリョウジは、堀の井を旨そうに呷った。





 面接のあと、僕は秋葉原に寄った。高揚した気分を別の興味でクールダウンしたいと思ったのだ。


 株式会社エムディスプレイは、今風の社名とは裏腹に古臭い建物の会社だった。聞けば、元は肉屋だったビルとのことで、一階部分が天井の高い倉庫兼作業場になっている。イベント制作会社なので倉庫の中は様々なものが置いてあった。工具や金具、電灯類は作り付けの棚に整理され、着ぐるみやポール、クリスマスツリー用のもみの木なんかは段ボールに入れて、部屋の奥の方に雑然と積み重ねられている。

 種類や規模は段違いだけど、バイトしていた菱沼装美とやってることは同じに見える。案内されたオフィスでも、スーツを着てる人なんてひとりもいなかった。


「風間さんから話は聞いてる。すぐにでも来て欲しいとこだけど、準備なんかもあるだろうし、気が済むまで遊んできて貰ってからの方がこっちも無理させやすいから、四月アタマからよろしく頼むよ」


 人の良さげな風貌なのに眼だけは鋭い永野(ながの)社長は、不穏なセリフを混ぜ込みながら笑顔で僕の肩を叩いた。


 少し足の悪い永野さんが以降の案内を営業部長に任せて出掛けて行ったので、僕は中込(なかごみ)という部長さんにくっついて社内を回遊することになった。

 四階建てのビルの屋上からの眺めはかなり良かった。会社自体が住宅街にあるため周囲に高い建物も無く、おまけにやや高台に建っているから、周囲がぐるりとパノラマになっているのだ。東のほど近い高層ビル群は解像度が高く、真南すぐには通過する新幹線。西北に視線を回せば遠くに新宿方面の高層ビル群を臨み、北側には東京タワーと遠くにかすむスカイツリー。

 眺望に夢中の僕の後ろで中込さんは煙草の火をつけていた。


「皆川は吸わんでいいのか?」


 僕はやりませんから、と答えると、中込さんさほど残念そうな顔もせずに煙を吐き出す。こんなに美味そうに煙草を吸う人は初めて見た。


「俺は、平日は大抵ここに棲んでるから、俺を起こすのが朝イチの皆川の仕事になる」


 咥え煙草で顎をしゃくる中込さんの視線の先には、大きめの倉庫のようなペントハウスがあった。僕のイメージしていた「会社」とはだいぶ規格が違うようで、少なからずわくわくしてきた。





 秋葉原でカジ先生に頼まれていた薄い本を何冊か仕入れて谷中に戻った僕は、早々に着替え、杜陸(もりおか)に帰る準備をする。深夜バスは新宿発二十三時。リョウジは今日は出掛けなかったらしく、晩飯の準備を始めていた。




「そっか。決まったんだね、就職先」

「お兄さん、おめでとー!」


 リョウジ作の豚キムチを囲んで、左右から祝福を受けた。なんだか妙に嬉しいぞ。さわさんにビールを()いでもらっている僕にリョウジが尋ねてきた。


「住まいはどうすんの? 横浜からだと通いにくいのかな?」


実家(いえ)に戻るのは考えてない。今更あっちの生活時間に合わせるのはお互いに無理があるし。仕事先もわかったから、おいおい探してみることにするよ」


「私も学校の友達に聞いておきます。看護師さんだらけのハーレムアパートとか、興味ありません?」


 上手くきり返すことができずにあわあわする僕を見て、ふたりが笑った。

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