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ボクの名は  作者: 深海くじら
霜月

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令和六年正月

 自分の寝返りのきしみ音で、瑞稀(みずき)は目を醒ました。


―――ここ、どこ?


 目を瞑ったままで顔を覆っている掛け布団をずらすと、まぶたの裏が朱くなった。


―――朝?


 鼻に掛かる布団は少し汗臭く、自分とは違う知らない匂いが混じっている。寝起きでぼやけた意識の中で、瑞稀は前夜の記憶をまさぐった。


―――ゆうべは大井町の居酒屋で、五人で打ち上げした。駅でヒマリちゃんたちを見送ったあとはジプシーみたいに荷物引きずって夜の道歩いて、知らない商店街の裏の階段を上って・・・・・・。


 加速した覚醒とともに記憶の一部を蘇らせた瑞稀は、ぱかっと目を開いた。厚めのカーテンが外の光を映している。


―――そうだ! ここは皆川笠司(みながわ)さんの部屋だった!


 おぼろげに残っている前夜の恥態をコマ落としのように再生して、瑞稀は身もだえる。それからゆっくりと、音を立てないように身体を返して部屋の方に目を向けた。

 狭いベッドの隣には誰もいなかったし何もなかった。焦点を奥に替えた視線の先には炬燵の四角いテーブル。上にはグラスがふたつと食べ散らかした包装紙が残っている。それと一升瓶も。

 炬燵布団が動いた。瑞稀は身を強張らせる。

 向こう側で起き上がった男の眠たげな目と瑞稀の視線が絡んだ。


「月波さん、起きてたんだ。あけましておめでとう」


 新年の挨拶をしてくる男の端正な白い顔に、ひと房の前髪が落ちてきた。緊張のレベルを落とした瑞稀が言葉を返す。


「あ、あけましておめでとうございます。あの、今って何時ですか?」


 テーブルの上のリモコンを無言で持ち上げる男。ベッドの足側の壁に背を付けたTVが、どこか田舎町の新年の風景を映し出した。画面右肩の時間表示は「9:29」。

 音を絞った知らないお爺さんのインタビュー映像が流れる中、布団から顔だけ出した瑞稀は状況を把握するのに必死だった。


「先生、皆川さん・・・・・・は?」


「リュウジなら、走ってくるって出て行った。三十分くらい経つから、もうじき帰ってくるんじゃないかな」


 フラットにしていた座椅子の背中を戻し、きちんと座り直した鍛冶ヶ谷(かじがや)が、営業用ではない笑顔で話しかけてきた。


昨夜(ゆうべ)は月波さん、いっぱい飲んだよね。大丈夫? 二日酔いになってない?」


 瑞稀の顔が一瞬で朱く染まった。急いで布団をかぶり目だけを覗かせた瑞稀が、くぐもった声で応える。


「二日酔いは、たぶん大丈夫です。私、昨夜のことはあんまりよく憶えてないんですが、なんかおかしなこととか言ってませんでしたか?」


「いやいや。とくに目立った粗相はなかったよ。綺麗に飲んで綺麗に酔っ払って、綺麗に寝落ちした。そんな感じ」


―――うわああ。やっぱり寝落ちしちゃったんだ。


「でも寝落ちする気は満々だったよね。しわになると嫌だからって、途中でリュウジのジャージに着替えてたし」


 玉突きのように浮かび上がってくる記憶の断片に翻弄されて、ジャージ姿の瑞稀は布団から出られなくなっていた。


          *


 ビッグサイトを撤収した五人は連れ立ってりんかい線に乗り、大井町駅まで移動した。大晦日の夜も開いている居酒屋を探し出し、ビールで乾杯したのが午後六時。みんなとにかくおなかが減っていたので、焼きそばやら唐揚げやらと腹に溜りそうなものを黙々と摂取し、落ち着いたところで歓談が始まった。最初は自己紹介から。

 話題の中心はもちろん、瑞稀と笠司だった。二月の匿名コンをキッカケにした出逢いからはじまって、数時間前の邂逅でようやく収斂にまで漕ぎつけた二組のカップルの話は、一夜の肴にするにはボリュームがあり過ぎた。


「で、これからはどうするんですか、おふたりは」


 忌憚のないヒマリの台詞に、瑞稀と笠司はうつむき加減の顔を見合わせる。ドンッとジョッキを叩きつけた鍛冶ヶ谷が顔を顰めて叫んだ。


「もぉおまえら、付き合っちゃえよ!」


 らしくない激昂に驚く三人を尻目に、ヒマリはひとり目を輝かせた。


「お、ザインの名台詞ですね。シチュエーションもばっちりです。さすが先生、わかってらっしゃる」


「それがわかるヒマリちゃんもなかなか。ちゃんと勉強してきててエラいぞ」


 瑞稀とハヤトがキョトンとする中、笠司は元ネタに思い当たったという表情をしていた。まったくオタクどもは、とでも言いたげなうんざりした顔。


「それはそれとして」


 真顔に戻った鍛冶ヶ谷が、身を乗り出して笠司に詰めてきた。


「ここまで状況が整っておいて、今更おともだちから、とか言い出すつもりはないよな」


 そうだそうだとハヤトが無責任に囃し立て、ヒマリも興味津々な目つきで見つめてくる中、笠司と瑞稀は互いの顔を盗み見た。絡んだ視線をすぐに切って目を伏せた瑞稀が、頬を赤らめながら何か言おうと顔を上げたとき、笠司が遮った。


「そういうのはこんなとこで話すことじゃないでしょ。それよりもっと別の話にしようよ。ほら、先生と僕以外はコミケはじめてだったワケだし。そうだ。ハヤト、戻ってきたときなんかいっぱい持ってたけど、あれはどこのなんだったの?」


 一瞬しらけた場となったが、ふんぎりのつかない笠司を見てとったのか、ハヤトは無茶振りに乗って戦利品の説明をはじめた。

 発話を封じられて消化不良の瑞稀は、隣に座る笠司を睨んだ。が、当の笠司はそれに気づくことなく新たな話題に耳を傾けていた。


          *


「月波さん、あのときムッとしてたでしょ」


 顔を洗って炬燵に戻ってきた瑞稀にインスタントコーヒーを渡す鍛冶ヶ谷が、薄く笑いながらそう言った。


「清水の舞台から飛び降りる覚悟で博多から飛んできたのに、この男、肝心なとこでハシゴ外しやがって、って」


「いや、そこまでってワケじゃないんですけど・・・・・・」


 受け取ったマグカップを両手で持ったままの瑞稀が語尾を曇らせる。

 座椅子に背を預けて天井を仰いだ鍛冶ヶ谷は、目線を合わせずに口を開いた。


「あいつ、臆病になってるだけだから」


 顔を上げた瑞稀に目を合わせ、鍛冶ヶ谷は続ける。


「月波さんのことも波照間さんのことも、ヤツからは聞いてた。どっちの繋がりも大切で今の状態を保っていたいってね。だからあんな小説まで書いちゃって。ツイッターでの最初の話もそうだったけど、ヤツは自家中毒をテーマにする癖がある。要するに、自信が無いんだ」


 ずずっと音を立ててコーヒーを啜ったあとも、鍛冶ヶ谷は言葉を続ける。


「あまりにもベタ過ぎでフィクションでも裸足で逃げ出す展開に面食らって、やっこさん、どう踏み出せばいいのかを悩んでるとこなんだ。と俺は思う」


 マグカップから伝わるぬくもりを掌で受け止めながら、瑞稀はただ黙って聞いていた


「でもね月波さん。そう心配したりイラついたりする必要は、おそらく無いよ。ほぼ間違いないんだけど、新年の朝に二日酔いを押してまでして走りに行ったのは、たぶんそういうこと」


 生徒に言い聞かせるような顔で、鍛冶ヶ谷は笑った。


「だからさ、もうちょっとだけ、見限らずに待ってやってよ」


「見限るだなんて、そんな・・・・・・」


 瑞稀が身をすくめてそう返したのと同時に、玄関のドアが開いた。


          *


 前夜歩いた道を逆に辿り、三人は連れだって大井町の駅までやってきた。鍛冶ヶ谷は京浜東北線の上りに、瑞稀はりんかい線の大宮行きにそれぞれ乗っていく。

 破魔矢を抱えた初詣帰りのカップルとすれ違った。借り物感たっぷりの羽織袴と大股で歩き去る振り袖に苦笑する鍛冶ヶ谷が、それじゃ、と言って先に足を踏み出した。

 改札を抜けた鍛冶ヶ谷は一度振り返ると、見送るふたりにひと声だけ掛けてきた。


「あくまでも俺の見立てだけど、おまえさんたちはきっと上手くいく」


 エスカレーターを下っていく後ろ姿を見送ってから、笠司が引くスーツケースを受け取ろうと瑞稀が手を差し出した。


「持ってきてくれてありがとうね」


 だが、笠司は荷物から手を放さず、かわりに口を開く。


「新宿までは送らせて」


          *


 新宿駅前の地下にある喫茶店は、丸テーブルの席がひとつだけ空いていた。


「お正月なのに、こんなに人が出てるのね」


「僕もはじめてだよ。正月に新宿とかって」


 目の前に置いたホットコーヒーに手を付けず、笠司は居住まいを正す。瑞稀も釣られて背筋を伸ばした。


「昨日はちゃんと言えなかったから改めてなんだけど、来てくれてありがとう」


「こちらこそ、いきなり泊めてもらって、ベッドまで貸してもらっちゃって」


 気にしなくていいと首を振った笠司は、真顔になって瑞稀の瞳を見つめる。それから、ゆっくりと話し始めた。


「波照間さん、子どもは何人くらい欲しいって思います?」


 藪から棒の質問に、瑞稀は目を丸くした。まさかいきなりそんな質問が来るとは思わなかった。そんな顔。


「いや、すいません。場違いみたいな事聞いて」


 あわてて手を振った笠司は、取りなすように言葉を続けた。


「今朝、走ってていろいろ考えたんです。一年前、親父に言われた言葉とか」


「お父様、去年なんておっしゃったの?」


 瑞稀の返しに、笠司は少し恥ずかしそうにひとことで答えた。


「求めることを諦めるな」


 ほんのりと頬を染めてうなずく瑞稀を目の当たりにして、笠司の身体がこころもち前のめりになる。


「僕たちはこの一年でいろんなやりとりをしました。月波さんとは本やマンガの話をしたり、一緒に創作したり。波照間さんとは協力して仕事をしたり、車の中でお話ししたり。でも、ネットでの対話とリアルでのそれをこれまではぜんぜん繋げて考えてなかったから、まだ上手く統合できてないっていうのが正直な現在地なんです」


 はやる気持ちを抑えるように重心を戻した笠司は、話すスピードを少し下げた。


「なんていうか、さっきのような交際前のジャブの応酬? みたいなの、ぜんぜんやってこなくって」


―――さっきのってジャブだったの?


 そうあきれた瑞稀だったが、口には出さず黙って聞いていた。


「すいません。いろいろテンパってます。どう言えば上手く伝えられるのか・・・・・・」


 いったん語りを止めた笠司は、ひとくちコーヒーを飲み、軽くむせた。飲み下す喉を見つめる瑞稀は、そんな笠司のことを可愛い、と感じていた。


―――違うな。そんな単純なのじゃなくて、もっと別の。そうだ。愛おしい、だ。


「昨日の月波さんが言ってくれた言葉。これからもずっとよろしく。あれに力をもらいました。だから僕からも言わせてください」


 瑞稀は次の言葉を待つ。身動ぎもせず。

 大きく息を吸い込んだ笠司が、力の籠もった目で言葉を発した。


「月波さん、そして波照間瑞稀さん。僕と並んで、同じ未来を見続けてくれませんか」


 隣の席の年若い少女たちが聞き耳を立てているのに気づいていた瑞稀だったが、恥ずかしさよりもうれしさが(まさ)っていた。


―――ひと晩待たされたんだから、少しくらいはいいよね。


 そう思った瑞稀は、固まっている笠司を放置する。コーヒーで間を持たせてから、おもむろに言葉を返した。


「環境は当分変わらないから、いつも逢えたりはしないのよ」


「織り込み済みです」


「それに私、かなりめんどくさいよ。納得しないと先に進めないし」


「それも、なんとなくは」


―――そういう認識なの?!


 自分で言っておいて少なからず気分を害す瑞稀。勝手なものである。


「ホントにいいのね?」


 ぶんぶんと首を縦に振る笠司を見ながら、瑞稀は満たされた気持ちになっていた。答えなんて、初めから出ているのだ。福岡を発ったときから。


「それじゃあねえ、とりあえずふたつ、約束してもらいたいことがあるんだけど」


 身構える笠司に微笑みかけて、瑞稀は未来の予定を提案する。


「ひとつめは明後日の予定。羽田発は十八時だから、それまでの時間、一緒にいられるプランを立てて」


「わかった。今日中に考えてLINEする」


 よろしくね、と目でうなずいた瑞稀は、二の矢のために腕組みをして見せた。笠司の瞳に緊張の色が戻った。

 瑞稀はゆっくりと話し始める。ふたつめはねぇ。


「今年の夏は、ふたりで波照間島に行くの。ムシャーマを見に」


 よろこんで、と即答した笠司は、今年初めて破顔した。

 きゃあ、とはしゃぐ少女たちの歓声が、隣の席から店内に広がった。


 <了>

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