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ボクの名は  作者: 深海くじら
霜月

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305/305

01.docx――「辺境の声と文字」笠地蔵六 C103頒布予定

 エリジウム9は、見るものすべてがセピア色だった。

 鈍い黄緑色に淀んだ空を、粘性を帯びた繊維のような雲がゆっくりと流れる。たまさかに激しく降り注ぐ雨は黄金に輝く雫を弾き、深緑や茶褐色に折り重なる植物層から四方に伸びた青藍の葉を揺らす。

 フッ素を主成分とするこの星の生態圏(ライブスフィア)は、地球のそれとは似ても似つかない。

 分析棟を兼ねる往還船の分厚い強化ポリマーガラスが嵌め込まれた窓越しに見える景色は、地球の森とは全く異なる、それでいて豊かな植生で埋め尽くされていた。ねじれた幹に、複雑に絡み合った網のような枝。極めて遅い速度でそれらに這い回る地衣類のような移動植物。それらはフッ素化合物を取り込み、代謝することで生命活動を維持している。地球の生物にとっては猛毒となる環境だが、ここでは豊穣の証なのだ。

 そんな異質な世界に、カイル・ノキアはたった一人で降り立った。


 彼が拠点とするのは、重心に往還船を乗せた着陸船の基底部を中心に、ポリマーコーティングを施した大きさの違うミニドームを四棟繋げた研究施設。広めのワンルームマンションサイズに惑星環境を分析するための実験設備や端末が詰まった実験棟と、もう少し小型で機能的な居住スペース、それに代謝施設と食料生産が一体になった一番広い生産棟。生産棟と実験棟とに両翼を隣接させた開閉式のドームには簡単な器具や部品が造れる3Dプリンターと有人ドローンが詰め込まれている。



 カイルは、この星への単独調査を自ら志願した。理由は単純で、地球に居場所がなくなったからだ。

 科学者としての能力こそ高く評価されてはいたが、生来のコミュニケーション障害が彼の社会生活を歪めていた。テキストや数式では饒舌なのに、対面すると正体を失ってしまう。言葉ひとつ選ぶのもおぼつかず、相手の感情の機微を読むことが苦手で、結果として周囲からは孤立しがちだった。面と向かって友人と呼べる人間など一人もいない。

 その中で唯一、研究室の助手だった女性だけが、彼の不器用さを理解して根気強く接してくれていた。彼女の存在は、カイルにとって唯一の灯火だった。だが、勇気を掻き集めて断行した求婚は、憐憫を帯びた表情とともに告げられた彼女の言葉で打ち砕かれた。


「勘違いしないで、カイル。あなたの手伝いをしてたのは、あなたが研究者としてなら成功するかもって期待してたから。でも、そういう対象としては見られるんなら、もうここには居られないかな」


 その答えを聞いた瞬間、カイルの中で何かが決定的に壊れた。

 地球での生活、人間関係、そのすべてが色褪せ、意味を失ったように感じられた。逃げ出したかった。たった独りで、誰とも関わらずに済む場所へ。

 エリジウム9調査隊員募集の告知を目にしたのは、ちょうどそんなときだった。

 過酷な環境、長期にわたる単独任務。誰もが尻込みするその条件が、カイルにはむしろ魅力的に映った。迷わず手を挙げ、彼は辺境へと旅立ったのだ。


 任務は最初から淡々と進んだ。

 AIやドローンと協力し合って研究施設を整備して、施設の周囲に各種のセンサーを設置する。大気の組成分析分析から始まって、土壌サンプル採取、生態系の観察、さらに遠征して据え置き型の双方向センサーを設置。

 指示も無い、連絡も無い、気まぐれの様子伺いも無い。マニュアル化された手順をこなす日々の誰とも話す必要のない孤独は、予想通りカイルの心を奇妙に落ち着かせた。

 分厚い宇宙服に身を包み、施設の周辺を探索する。フッ素の風がヘルメットを叩く音だけが、彼の耳に届く唯一の(サウンド)だった。


 異変に気づいたのは、必要なセンサー群を設置し終えて三週間ほど経ったある日のこと。施設の北側、比較的開けた場所に等間隔で設置している集音マイクの記録を波形で確認しているときだった。風音の通底音と葉擦れのみだったはずの波形に別の特定周波数帯の線が現われたのだ。しかもパターンを伴って。

 時間は明け方。六百から三万ヘルツのパターンを繰り返すその音源は、音を発しながら施設の北側付近を移動していることもわかった。

 カイルは興奮した。到着からふた月近くの間、こんなにもアクティブに移動する生物は見たことがなかったのだ。

 カイルは集音マイクを増やした。それと同時に集音された辺りを狙う広帯域カメラも追加した。どんなものが現われるのかわからないので、新たに設置した機器はどれも訪問者の邪魔にならないよう目立たない場所に配置した。

 その日は居住棟には戻らず、分析棟でリアルタイムの波形グラフとライブカメラの映像画面の前で夜を明かした。むろん、光が漏れないように窓の内蓋は閉じている。

 が、その日の夜明けは不発だった。

 二晩続けて空振りだったカイルは、三日目には体力の限界を感じて居住棟に戻り、ぐっすりと休んだ。それが功を奏したのか、翌朝確かめた波形グラフには、前回とほぼ同じパターンが現われていた。追加したマイクのおかげで、移動の線形も確認できた。だが、映像の方は不発だった。なにも映っていないのだ。


「……なんだ、これは? どういうことだ?」



 三日ごとに音を残していく姿無き訪問者は、その移動線形にも特筆すべき発見があった。複数の集音位置から描き出された発信源の移動経路は実に滑らかだった。直線移動はひとつもなく、どの一点を見ても鋭角さのない滑らかな曲線を描いている。

 しかし船のAIはそれ以上のことを発見していた。


――発信源の移動線形には、およそ一分五十一秒を一周期とする複雑な幾何学線のリピートが組み込まれています


 訪問者は、観測四回目にしてはじめて発信周波数のパターンを変えてきた。その回の前に、カイルは一本だけ目立つマイクを置いたのだ。

 一定レベル以上の特定周波数を捉えると一瞬だけ光る設定を施したそのマイクに近づいたとき、波形は一気に十万ヘルツまで上がった。

 カイルはAIに地球の動物の発声パターンとの比較を依頼する。結果はすぐに表示された。


――未知の事象に遭遇した際の驚きの発声


 周波数パターンと移動線形のリピートで想像されてはいたが、という心の声は口ごもることもなく、驚きとともに声となって彼の口からこぼれ出た。


「移動するこの発信源は、おそらく知性がある」

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