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ボクの名は  作者: 深海くじら
霜月

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二百三十八話 笠司、小雪(一)

 ダンサーのオーディションとディレクターとの構成の打ち合わせが金曜になったので、十一月二十二日の水曜日は有休消化も兼ねて休むことにした。翌日の勤労感謝の日と繋げての連休。週中でこんな風に休めると、疲れも残らないから快適だ。まあそれも、連休にハードな遊びを入れたりしてないからだけど。


 折角の休みなので、火曜の夜から文芸活動に勤しむ。

 月波さんとの『うれしぐすくぬー』は昨日から日本橋大ペアのパートに入ってる。大沖縄展で展示している彼らのマブイルリの状況や、現代に伝わる沖縄神伝説を説明するには、どうしたって具志堅教授の台詞が必要だから。

 ちなみに日本橋大考古学教授、具志堅耀子の命名と外見設定は僕が決めた。モデルはもちろん、タレントとしても有名だったボクシングの元世界チャンピオン、沖縄の星カンムリワシ。

 調べたら、あのひとの出身も石垣島らしい。こんなにぴったりなモデルはいないだろう。ただ、アフロを紫に染めたのは月波さんの発案だ。おかげで独特のお洒落感が醸し出された。やっぱり女性の視点はひと味違う。

 共有している文献から伝承部分を抜き書きし、今夜の分はちゃちゃっと仕上げた。コーヒーを淹れてひと休み。

 部屋の中にいても肌寒くなってきたので、ハンガーラックのフリースを外す。空になったハンガーの隣に架かっていたのは、濃い茶色をしたコーチジャケットだった。波照間さんとの写真の中で着ていた上着。フリースに袖を通しながらも、頭の中は秋の初めのあの数日に飛んでいた。


 波照間さん、どうしてるかなあ。


 ビッグサイトの休憩所や夜の環八を狛江まで送ってったことが、遠い昔の出来事のようだ。品川駅の本屋で偶然会って、そのまま羽田まで一緒に行ったりもしたっけ。もう、逢うこともないんだろうなあ。

 彼女のインタビュー記事が載った月刊誌は、来月発行だと聞いている。全国規模のビジネス誌の特集でピンでのインタビューとか、もう雲の上のひとじゃん。

 波照間さんが有名になったら、このひとと一緒に仕事して、ツーショット撮ったりもしたんだぜ、って自慢しよう。


 コーヒーはいつの間にか冷めていた。

 いかんいかんと頭を振って、僕はデスクトップのフォルダを開いた。『辺境の声と文字』のワードファイル。

 雑念を振り払い、僕は新作の執筆に集中する。カジ先生がいつも使ってるという印刷所の締め切りは十二月二十日あたり。


「でもレイアウトなんかにも時間を取られるから、小説原稿の方はその週のアタマの月曜日には欲しいね。その時期はけっこう忙しいんだよ。俺の方のも追い込みだし、他にもクラスのクリスマス会の準備とか通信簿とか、いろいろあるから」


 学校の学期末仕事が二の次三の次ってのは先生らしい。が、いずれにしろ来月の半ばには脱稿してなきゃマズイってことだ。残り丸々四週間。やはりこの連休中に導入部くらいは完成しとかなきゃ、あとがヤバくなるな。


 01と名付けられたファイルとプロットのふたつのアイコンをクリックする。即座に開くふたつの窓。重なった書類のズラスラと並んだ文字列の両方ともをざーっと読み返した僕は、01の方に取り掛かる。物語の冒頭だ。

 最初の十数行で、はやくも修正が必要な箇所を見つけてしまった。


 主人公(カイル)、この程度の動機で世捨て人になるか?


 コミュニケーション障害による対人関係の不調に疲れて、というのが今のところの理由だが、これではあまりにも弱すぎる。これまで積み重ねてきた研究や実績の一切合切を全部ぶん投げて、名実ともに独りになれる星に行っちまおうっていうんだから、もっとずっと強烈な……。


 ひさしぶりにあのシーンが脳裏に浮んだ。

 ゆっくりと揺れる観覧車の夕暮れ色に染まった顔の輪郭。なにも考えることのできなかった桜木町駅までの遊歩道。ふっと奈落がよぎった駅のホーム。

 胸に拳を当てて息を止める。


 もう大丈夫、もう大丈夫。


 ゆっくりと目を閉じて、深呼吸。カウント五つで目を開けた。


 そうだ。カイルは振られるんだ。もっとも信頼していた女性(ひと)に、完膚なきまでに。そして決めるのだ、たった独りの星の旅を。一寸の躊躇もなく。

 大丈夫。これはイメージだ。小説を書くための、記憶と経験の切り崩し。僕自身、今年の初めにツイッターでやってたことじゃないか。アレと同じ。そしていまは、あのころよりもずっとスマートに昇華できるはず。


 冷めたくなったままのコーヒーをひと息で飲みきって、僕はぶらぶらと指を振った。


 さあ。書き始めるぞ。

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