百九十八話 笠司、秋分(一)
月波さんの小説がラストスパートに入っている。
立派に成長しアラサーになった主人公が十五年ぶりに故郷に帰り、自分が旅立つ直前に種付けされた妹に道案内されるとか、エモ過ぎでしょ。しかも廃村一歩手前だった故郷が息を吹き返してるのは、たぶん主人公たちが近くに興した新しい街のおかげ。もう完全に伏線回収祭りだ。更新も、昨日今日は二話ずつだし。こりゃ、今週末に終わらせるつもりっぽいな。
僕も負けてられない。
Ⅹが開かれたブラウザの上にテキストエディターを展開し、自分の小説の続きを打ち始めた。ラストスパートは月波さんだけの専売特許じゃない。僕にしたってそれは同じで、さきほど投稿した最新話では時間を一気に六年進めてる。十六歳になったサトルのエピソードは、想定だと十回前後。だから今月いっぱいの投稿で完結できるはず。月波さんのみたいな成長ファンタジーとは違うけど、僕なりのエモは表現できる、と思う。読むひとほとんどいないから、実際のところはわからんけど。
というか僕の小説の読者って、もしかして月波さんしかいないかも。あとカジ先生。好きで書いてるだけとは言っても、やっぱり読者は欲しいよね。
ノートPCに固定されていた視線を天井に上げる。首筋が音を立てた。顔をしかめて頭を回す。ついでに肩も。
いかん。身体ががちがちだ。画面の時間表示は十一時を過ぎてる。帰宅して弁当食べてすぐからだから、もう三時間以上同じ格好で座ってるって計算。そりゃ、身体も固くなるはずだ。
座椅子から立ち上がり、背中を伸ばした。ぎぎぎぎって音がしそうだ。せっかくなので、腹筋と腕立てを三セット。うーん。過ごしやすくなってきたのをいいことに、三連休をごろごろ過ごしてたツケが回ってきてる。走る距離を増やすか、公園でのサーキットを見直すかした方が良いのかもしれない。
腕立て伏せからプランクに移って三十秒。この時間は結構長い。僕は先日のカジ先生の話を思い出していた。年末のコミケに自分の本を頒布してみないかという誘い。想像してみる。
緑色のラシャ布を敷いた長机の片側半分が僕らの小間。数冊積まれたカジ先生の薄い本の横に並んで、僕の冊子が置いてある。表紙は真っ白。何ページかもわからない。でも中にはびっしり活字が詰まっているのはわかってる。前を横切るオタクファッションが足を止め、最初はカジ先生のを、次に僕の本をぺらぺらとめくる。そしておもむろに財布を取り出すのだ。
「これ、一冊」
にやけた顔で我に返ると、継続時間は一分を過ぎていた。おっと。やり過ぎた。そのまま背中を反って、筋トレは終了。コーヒーを淹れて執筆を再開するか、はたまた明日に備えて就寝するか。
まだ週中だし、今週末は定例の催事立ち合いがあるので、今日のところは後者を選ぶ。連載のプロットなら終幕までがすでにできてるし、次作のネタは寝ながら考えればいい。明日早めに起きれたら、ジョギングを少し前倒しして、会社で推敲して一話投稿しよう。
*
少し前から始まった舞台設営やらPA設置やらの作業が軌道に乗ったのを確認した金曜日夜十時半過ぎ、手が空いた僕は催事スペースの端にしゃがんで、今日の分の連載小説を投稿するためにスマホをいじりはじめていた。なにを書くかは頭の中に出来上がっていたので、あとはそれをどう百四十字に収めるかだけの話。だからそれほど時間はかからない。十分そこそこで推敲まで済ませると、躊躇なく送信ボタンを押した。と、まるで測ったようなタイミングでぶるぶると震えだしたスマホ。
「やっほーリュウジ。明日の私のステージはもう組みあがった?」
投稿ミスのシステムエラーかと思った振動は、えりかさんからのLINE通話だった。
「まだですよ。たぶんもう小一時間で終わるでしょうけど」
「へえ、今日中に終わりそうじゃない。早いじゃん。てことは今夜はリュウジ、お家帰っちゃうの?」
「予定通りに終われば。つか、なんか用ッスか」
あいかわらず距離感がバグってるえりかさんの口調に巻き込まれないよう、意識して淡々と応える僕。でもえりかさんは、そんな僕の予防線など地面に描いた石灰の白線のように軽々と無視して、こちらの領域にずかずかと入ってくる。
「渋ちんのサンタさんは宿泊手当とか出してくれないもんね。そこの現場、私んとこから歩いていけるんだよ。朝とか超ラク。いま渋谷だけどこれから帰るから、リュウジもそれ終わったらうちおいで」
へ? ちょっと意味わかんないんですけど。
僕は頭の中の疑問符をそのまま言葉にして返した。
「わかんなくないでしょ。歌って踊れるスーパーMCえりかちゃんが一緒に部屋飲みして、明日は同伴出勤しよって言ってるだけだよぉ」
「いや、でもそれは」
「だーかーらー、リュウジの苦手なちょめちょめは成り行き任せで置いといて、とりあえず一緒に仲良く飲もっていうハナシ。ね。いいよね」
えりかさんは僕の反論も待たず、迎えに行くから終わったら連絡ちょ、とだけ告げて通話を切った。
いったいなんなんだよ、えりかさんってひとは。
そして僕は、いったいどうすればいいのだ?




