百八十六話 笠司、白露(七)
解体作業の指示を済ませたところで笘篠さんが声を掛けてきた。
「おつかれちゃん。どうする? このあと打ち上げでもする?」
あいかわらずの人懐っこい笑顔で覗き込んでくるえりかさんに、僕は首を振った。
「時間かかりそうだからよしときましょう。今日のはPA片づければ済むってもんじゃないですから。お待たせしちゃうのは心苦しいし」
そっか、と顔を伏せるえりかさん。
なんですか、その思わせぶりな態度は。
「そうね。さすがの私も三日連続はちょい堪えたし。今日は帰って、風呂入って酒飲んで寝るとしますか」
わざとらしいおっさん口調でそう返すえりかさんは、にやにやしながらつけ加えてきた。
「リュウジくん、ホントはさびしいんでしょ。波照間さんがさっさと帰っちゃって」
「な!」
なんてことを。僕はぜんぜんさびしいなんて思ってないんですからっ!
そう言い返したかったが、言葉にはできなかった。
*
四時過ぎに現れた灰田室長とともに荷物をまとめ、会期終了の午後五時から三十分と経たず波照間さんは会場をあとにした。僕が渡した額装を大事そうにバッグに仕舞った彼女は、にっこり笑って右手を出してきた。もみじのようなその手を、僕も右手で握り返す。
「この三か月間、本当にお世話になりました。みなさんのおかげで、私たちのオルタペストリーの初めての展示会は大成功でした。心から感謝しています。とくに今日は、皆川さんのおかげで無事に一日を終らせることができました。お礼の言いようがないくらいです。中込部長と小竹さんにもよろしくお伝えください」
「こちらこそ、今回のはめちゃくちゃ勉強になりました。波照間さんとのペルソナづくりとかも」
「私もです。あれは楽しかった。すっごく」
握る手に力を加えた波照間さんは、何度も頷きながらそう言ってくれた。
*
祭りの後のうら寂しさを撤去作業の喧噪で誤魔化す大展示場の一角、段ボールや機材を満載にした台車をマシンのごとく押し続ける僕は、頭の中で想いを巡らせていた。
波照間さんの親友と上司はどうなったのだろう。そもそも、上司というのは灰田さんのことじゃなかったのかな。その当人が戻ってきたってことは、元サヤに戻す目論見が叶わなかったってことなんだろうか。
休憩所で電話を受けたあとの波照間さんは、僕には見向きもせずにスマホでなにかを打ち込んでいた。開いていたのはたぶんLINE。声を掛けられず見守っていたら、はしくらのサポートスタッフが僕らを呼びに来た。自分たちでは説明しきれないお客様がいらっしゃった、と。迎えの声が耳にも届かずスマホに集中し続けている彼女を一瞥してから、僕はスタッフとともにブースに戻った。
おそらく電話は上司からで、そのあとLINEで応酬していたのは親友のひとなのだろう。あまり良い知らせではない、少なくとも波照間さんが望み描いていたものとは違う結果だったのではないか。
だが、ブースに戻ってきた彼女にそれ以上のことを尋ねる機会は無かった。
しょうがない。
僕は完全に部外者で、波照間さんの友人ですらない。強いて例えるなら、彼女がたまたま立ち寄った街角の露店で、黒い布を張った小さな机にタロットカードか水晶玉を載せた怪しげな占い師みたいな存在なのだから。
愚痴や心配事を吐き出すためにサンドイッチひと包みで買われた辻占い、か。
小雨が降る駐車場で台車の荷物を軽ワゴンのラゲッジに移しながら、自嘲気味に僕は嘲笑った。
*
原状復帰までの作業をすべて終え、ひとりで関係者用駐車場に戻ってきたのは午後九時に近かった。
腹減った。会社に車を置いたら十時になるかな。一十三がまだ開いててくれると助かるんだけど。
社用車の軽ワゴンに乗り込みエンジンを掛けたところで、ポケットが震えているのに気がついた。そういえば展示の邪魔になるとマズいと思って着信音をオフにしていたんだった。
あわててスマホを取り出したが、着信はすでに途切れていた。履歴を開くと不在着信が二件。二十時十分と二十時五十四分。発信元は・・・・・・
「波照間さん?!」
え? なんで? 福岡行き最終は羽田発二十時じゃなかったの?
エンジンを切って折り返しをかける。呼び出し音二回で繋がった相手は、こちらが言葉を発する前に声になって返ってきた。
「よかったあ。繋がった」
紛うこと無い波照間さんだった。
「どうしたんですか? 福岡に帰るんじゃなかったんですか?」
「説明はあとでします。とりあえず皆川さん、そちらの作業はもうお済みでしょうか」
なに? 最終チェックの電話なの? でもそんなふうじゃない。もっとフランクって言うか、切迫してるっていうか。
てか「あとで」って、あとがあるの?
「ああ、それならさっき終りました。今まさに、ビッグサイトの駐車場を出ようとしてたところです」
僕の返答に電話口が押し黙った。遠くに到着便を伝えるアナウンスが聞こえる。
しばしの沈黙の後、耳につけたスマホから弱々しい声が漏れてきた。
「・・・・・・あの、皆川さん。たいへん申し訳ないんですが、ここまで迎えに来てもらえたりはしませんでしょうか」




