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ボクの名は  作者: 深海くじら
長月

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百八十四話 笠司、白露(六)

 どこからどうみても困り果てていた波照間さんを見て、思わず根拠の無い元気づけの台詞を吐いてしまった。でもまさか頼まれる内容が灰田さんの身代わりで、商談に来られたはしくらのお客さん相手にオルタペストリーを売り込む役だとは考えもしていなかった。

 波照間さん曰く、いまの日本中でオルタペストリーのことをちゃんと説明できるひとは、自分と灰田さんの他には福岡に帰ってしまったデザイナーの星野さんと僕しかいないらしい。急な、でもどうしても外せない用事で灰田さんが不在となった今日いちにち、自分のことをサポートして欲しい、と。

 僕の声に顔を上げ、はっきりと安堵してた波照間さんの表情を見てしまったものとしては、今更できませんなんてつれない返事を返せるわけがない。それがたとえ、エムディスプレイ(うち)の本来の業務からかけ離れたものだったとしても。


「実際の商談のタイミングには私が加わります。ただ各社三十分の面談時間でブッキングが重なってしまっている二社との前半十五分を、オルタの説明で保たせてもらう。それをお願いしたいんです」


 必死の面持ちで僕を見つめてくる波照間さんの目を見ながら考えた。このひと、僕が無理ですって答えたらどうするつもりなんだろうって。この曇りひとつない真っ直ぐな瞳は、僕が断ることなんてこれぽっちも考えてないんだろうな。全幅の信頼っていうやつ? いったい僕のどこにそんな根拠が・・・・・・。


「わかりました。充分に、とは言えませんが、お客さんとの面談の最初の掴みからオルタペストリーの概要説明までだけなら、部外者の僕でもなんとかなると思います。面談二回の前半十五分、担当させてもらいますよ」


 大きく息を吐き全身の緊張を緩めた波照間さんを見て、僕は思ったことを尋ねた。


「僕が対応できないって答える可能性は考えなかったんですか?」


 肩の力の抜けた顔でこちらを見上げた波照間さんは、仕事でのとはどこか違う、無防備な笑顔を見せた。


「どうしてでしょう。なんとなくなんですけど、皆川さんならきっと快諾してくれるだろうって思い込んでました。ホント、断られるなんて想像もしてなかった。へんですよね。めちゃくちゃ厚かましいお願いしてるのに」


 ホントですよ、と僕も笑い返した。

 この貌が見られただけで、今朝いちばんでここに来た甲斐があったってもんだ。


          *


 ふたつめの面談を終えて束の間予約が途切れた午後二時過ぎ、ブースから少し離れた休憩所の一角で波照間さんと僕は向い合って座っていた。ダブルブッキングの商談予約は二件とも解消したので、僕の役目はひと段落。あとは五時までを無難に過ごせば会期はすべて終了だ。僕は撤去作業に専念するし、波照間さんは羽田に向かう。

 このひとと過ごせる時間は、あと三時間、か。

 うわの空の僕の前に、波照間さんがサンドイッチのパックを置いてくれた。


「おなか、空きましたよね。昼食抜きにさせちゃってごめんなさい。足りないかもしれないけど、サポートのスタッフが買ってきてくれてたこんなのでよろしければ」


 向かい合ってランチを摂るこの状況は、なぜか緊張してしまう。ついさっき、席を並べてお客さんと向き合っていたときにはそんなふうに感じていなかったのに、こうして個人に戻ってくつろぐと急にぎこちなくなってしまうのだ。

 細い指先が卵サンドの頂点をつまみ、ゆっくりと持ち上げる。直角二等辺三角形の鋭角を小さく開いた口が迎えうつ。隙間に覗く白い八重歯。獲物を見つめる伏し目がちの視線に誘導され、白い三角が波照間さんの口に吸い込まれていく。

 ものを入れ咀嚼する女性の口許って、どうしてこんなにそそられるんだろう。

 五月の三渓園の風景が一瞬だけ浮かんだ。意識を自分のサンドイッチに無理矢理集中させる。挟み込まれたレタスの葉は、少しだけ乾いていた。



「皆川さんって説明上手ですよね。私なんかのよりずっと、お客様に伝わってる感じがあって」


「んなこたぁないッスよ。僕なんか、波照間さんが打ち合わせのときに話してたことしかわかってないから」


 お世辞でもうれしい。

 実際のところは、最初のお客さんなんて緊張でなにから話し始めたのかさえ憶えてない。それに比べ、話を引き取ったあとの波照間さんの対応は見事だった。二件目のなんて試作品の見積もりまで話が進んでいたし。さすがチーフ。


「波照間さんの方がぜんぜん凄いですよ。こんなしっかりした展示会をひとりで切り盛りしてて。灰田さんも安心して任されたんでしょうね」


 そんなこと・・・・・・と小声で言いかけた波照間さんは、急にスイッチが切り替わったかのように虚空を見上げて自分の世界に入っていた。なにか心配事でもあるんだろうか。はっとした様子でスマホを取り出し画面を確かめ、それから小さな溜息をついている。

 僕はおそるおそる尋ねてみた。


「なにか、あったんですか」


 プライベートの貌の波照間さんが僕に向いた。はじめて気づいた、みたいな表情で。


「あ。いえ、ちょっと(わたくし)ごとで」

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