百七十八話 笠司、白露(三)
スマートフォンの画面に新しく表示されたポストを見て、僕は嬉しい気持ちになる。
月波@tsukiandnami
ぜひ!
―――――午後9:17 · 2023年9月2日
まだ会ったことのない、顔も知らない創作仲間に僕は共感を感じている。住んでるところも性別も違う、年齢だってわからない。そんなあやふやなひとだけど、形作ったバックボーンに似ているものを感じ、同じものを見て心を動かす仮想世界の友人。このひとと一緒に映画を観たり知らないものに触れたりするのは、きっと楽しいに違いない。なんなら、おわらを見に富山まで行ったっていい。同じ立ち位置で同じものを見て互いの感想を披露しあう。違った見方を取り入れ合えば、それぞれがさらに豊かになることだろう。
御嶽さんは少し違った。そもそもそんなふうに考えるほど話をしたことなど無かった。皐月さんとは……その感覚に近かったけど、それでも僕のコンプレックスが邪魔をしていた。彼女たちとは違う、まったくの並行で育てていける関係。
月波さんと、会ってみたいな。
氷の無くなったロックグラスにジムビームを注いだところで我に返った。
いやいやいやいや。この気持ちはちょっと行き過ぎでしょ。会ったことないんだよ。声も知らなきゃ顔も知らない。半年そこそこSNSでやりとりしただけの、知り合いというのもおこがましい赤の他人だよ。そんな相手のことを御嶽さんや皐月さんと同列にしてこんなふうに語ろうなんて、酔っ払うにもほどがある。一発で詐欺に引っかかるパターンだよね。
ていうか、「こんなふう」ってどんなふうのこと?
僕は自分の考えが理解できなくなっていた。自分自身がなにを求めてるのかがわからない。今までの既知の僕が、知らないうちに新しいモードに切り替わっている感覚。少し前ならなんとも思わなかった状況にいまは違和感を覚え、まんまるだと信じ込んでいた自分が実はピースを一枚切り分けられた八分の七のホールピザだったってことに気づいてしまった、みたいな。
一般教養の心理学の授業で老教授が紹介していた絵本『ぼくを探して』を思い出した。デフォルメされた横顔のように口の部分を三角に開けた黄色い円盤が、そこにきっちりと収まる鋭角の扇を探して旅をする話。原題は『MISSING PIACE』だったはず。
僕はもしかしたら、深く空いた自分の傷にも気づかずに平気な顔をして転がっていた不完全な円盤だったのだろうか。そして、ようやく落ち着いてか、はたまたなにかキッカケがあったのか、とにかく自分に欠けた空白があることに今はじめて気がついた。そういうことなのか?
日葵とつきあいたいと訴えて七転八倒していたハヤトの気持ちがようやく腑に落ちた。そんな気がする。そういえばあいつらはどうなったんだろう。しばらく連絡を取ってないからさっぱり消息が分からない。
まあ、知らせが無いのは良い知らせという言葉もあるから、向こうからなんにも言ってこないってことはたぶんうまくいってるのの裏返しなんだろうな。
とっちらかった思考をひとつにまとめるのを諦めた僕は、ほとんどストレートに近いウイスキーをひとくち飲んでからスマホを掴んでメルカリを開く。
「お薦めされた『月影ベイベ』でも探すとすっか」
*
雲が増えてきた空を眺めながらいつものコースを走っているうちに重要なことを思いだした。明後日のビッグサイトに来ていく服が無いかも!
家に戻り下着姿になって汗をぬぐいながら衣装ボックスを開いてみた。が、ぶら下がっているのは作業着みたいなのばかりで、まともと言える服は入社時に買って放置してある吊るしのスーツのほかには無かった。
これはマズイ。小竹さんに注文されたのは、さほど親しくないけれど重要なひとと会う時の外出着。スーツが駄目ってわけじゃないだろうけど、少なくともこんなリクルート全開スーツじゃアウトでしょ。お金は、まあぜんぜん無いってわけじゃない。でも自分のセンスは信用できない。しばし思案してからスマホを取り出して時間を見る。七時五十分。まだ早いが、背に腹は代えられない。困ったときの双子頼みだ。
呼び出し三回で龍児は出た。随分と早いな。
「おはようリュウちゃん。こんな朝早くにどうしたの?」
「すまん。まだ寝てたよな」
「起きてたよ。いま、さわといっしょに朝ごはん食べてるとこ。凄いんだぜバイキングがさ。朝から海鮮三昧で、イクラとかも載せ放題。さわなんか、蟹とホタテも載せて三色丼にしてるし。あとで画像送ったげるよ。で、なに?」
想定外のハイテンションに気圧された僕は、とりあえず状況を尋ねる。
「おまえさ、いま何処にいんの?」
「え、札幌だよ。明日っからの学会で、せっかくだからさわも連れて昨日から前乗りしてんの。リュウちゃんには言ってなかったっけ」
聞いてないよ、そんなの。てかリョウジの予定とか知らねぇし。
「学会っていつまで? こっちに帰ってくるのは?」
「六日まで。だから帰るのは水曜の夜かな。僕はもうちょい札幌楽しんでもいいんだけど、さわの学校をあんま長く休ませるわけにもいかないしね」
水曜。服が必要なのは火曜日だ。万事休す。
「で、なに? なんか用事?」
思惑が破綻した以上、要らない心配で龍児を煩わせるのは愚策だ。
「や、とくに用は無い。元気そうな声で安心した」
「なにそれ。親父か」
「とにかくフツーにやれてんならそれでいいよ。じゃ、またな」
「なんか釈然としないけどまあいいや。あ、そうだ。今度の週末うちにおいでよ。蟹パやろうよ、蟹パ」
ああわかった、さんきゅーと返して早々に電話を切った。相変わらずリア充全開だな、あいつらは。
問題は明後日着ていく服だ。龍児というカードが使えないとなると、やはり街に出てかないといけない。が、僕には服を選ぶスキルが無い。
仕切り直しに茶漬けで腹ごしらえした僕は、九時を待って再びスマホの電話アプリをタップした。
「ただいま留守にしております。御用がある方は……」
伝言を残さずに留守電を切った。とことんツイてない。
と、ベッドに放り投げたスマホがLINE通話の着信音を鳴らし始めた。速攻で飛びつきアプリを開く。
「悪い悪い。ちょうど顔洗ってた。で、なんか用?」
通話の主は十文字隼人。たったいま僕が電話した相手。
「ハヤト、今日ヒマ?」
ハヤトは、うーんと言葉を濁した。
「このあとちょっと渋谷に行くんだよね、秋物の服買いに。日葵さんと」
ガッチャ!
この際、最後のひとことは無視する。
「それさ、僕も一緒に行っちゃマズイかな」
「えー?!」
「僕もちょっと服買いたくて。ハヤトたちの邪魔はしないから、服買う間だけ」
しばらく間を開けたハヤトは、多少不満げではあったが承認してくれた。
「まあ、いいよ。リュウジとはブルーレイ返したとき以来だしね。アンコン誘ったときも来なかったから」
アンコン。アンサンブル・コンテスト。先月公開したばかりの『響け!ユーフォニアム』の最新映画だ。そういえば初日にふたりから誘われたのを蹴って、僕はひとりで観てきたんだっけ。
「じゃ、十時に東横線のヒカリエ出口で」
アプリを閉じた僕は大きく吐息をつく。
これでなんとかなる。ハヤトだけじゃなく日葵のアドバイスまで当てにできるんなら、こりゃ百人力だ。




