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ボクの名は  作者: 深海くじら
葉月

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百六十八話 笠司、処暑(三)

 ゆかりんが激賞していた横尾先生の容姿は、たしかに特別だった。

 わざわざ紹介されるまでもない。流れる手荷物に群がるさまざまな人種の中で見つけたそのひとは、ガラス越しにでもすぐわかった。あきらかに抜きん出ていたから。まるでスポットの当たった女優みたいに。

 小麦色の肌は腕も顔も同じ色で、まるで化粧っ気は感じられない。にもかかわらず、ひとり輪郭で縁取られたかのように他から浮き上がって見える。一般的な意味での美醜を超えた、生き物としての美しさ、というか。完璧な容姿に強烈な精気が封じ込まれている。そんな感じ。ゆかりんの言ったとおり、波照間さんクラスでは歯が立たない。記憶を(さら)っても、横に並べるのはシンママの涼子さんくらいだろう。超絶美人のふたりを擁したチームで、いったい彼らはなにを達成したのだろうか?


 スペシャルな横尾先生と田中さんが並んで話してるときの空気感はとても自然なものだった。距離も肩書きも年齢差も不均衡な容姿にさえも影響されず、いかなるコンプレックスもプレッシャーも見当たらない。隅々までお互いをわかりあった完全なカップル。


 そんな大層なものじゃないのよ、と横尾先生は言った。


「リモートでは毎日顔を合わせるけど、触れ合いたいときに横にはいないからフラストレーション溜まるし、自分がまったく関わることのできない世界でイツローがなにをしてなにを考えてるのかを気にしだすと止まらなくなるし」


「それはこっちも同じ。逢いたくてしょうがないのに物理的に遇うことができない状況を呪ったりする。そんなのはいつものこと。でも、すみれも同じように思ってるってのがわかってるからね」


「そう。それに私たちは、その気持ちをその都度言葉にして伝え合うから。どちらかが必要と感じたら、その日のうちにリモートで」


 僕にいい聞かせるようにそう話すカップルは、同じような笑顔で互いを見つめ合っていた。


「あらぁイツロー先輩、こんな人通りの多いロビーで手なんか繋いじゃって。人前でそんなことできる子じゃなかったのにねえ。すみれちゃん先生も」


 そう囃し立てるゆかりんにもふたりは動じない。


「そんなこと気にしてられる余裕なんてないよ。年に何日逢えるかってタイミングなんだぜ。いま繋がないでいつ繋ぐって」


 照れくさそうに微笑む横尾先生の繋いだ手に力が入ったのを僕は見逃さなかった。


          *


 空港のレストランでの歓談は夕方にはお開きとなった。田中さんと横尾先生は、彼女の実家の横須賀に一緒向かうということで、東京に向かう僕らとは京急蒲田のホームで別れた。品川のホテルに部屋を取っているゆかりんとシンスケさんに続きを誘われたが、ふたりの時間を邪魔するのも野暮なので、丁重にお断りして家路につく。前の二日とは打って変わって賑やかだった夏休み三日目のイベントは、こうして終わった。

 似たような年代の二組のカップルを目の当たりにした僕は、ひとりだけの部屋で缶ビールを片手に反芻する。彼らにあって、自分に足りないものはなんなのか。

 かたや同じ街、同じ屋根の下で数年間暮らし、言い合いをしながらも肝心なところで彼氏の方がすぅっと降りて自然な均衡を保つ年季の入った夫婦のようなふたり。かたや、はじめの半年間で集中的に育てた関係をままならない距離で隔たれた状況に移し、それでも壊すことなく継続させ、むしろ今まで以上に強固に繋がっているふたり。


「私たちは、その気持ちをその都度言葉にして伝え合うから。どちらかが必要と感じたら、その日のうちに」


 横尾先生がなにげなく口にしたその台詞はきっととても重要なことなんだろう、と僕は思った。言葉にしなくちゃ伝わらない。いや、もっと能動的に、言葉にして伝えることで理解し合う。

 今までの僕は、僕たちは、その大事なことをちゃんとこなせていただろうか。

 頭に浮かんでくる皐月さんと御嶽さんのうしろに、なぜか波照間さんの顔もついてきた。そういえば今日の彼女との別れ際はなにか誤解されたような感じで終わってしまった。せっかくいい感じでお話しできていたのに。


 そこまで考えて、僕はようやく気がついた。

 田中イツローと横尾すみれって、僕と波照間さんが展示会用につくりあげたペルソナのふたり、田中一郎・すみれ夫妻のそのまんまじゃん。

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