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ボクの名は  作者: 深海くじら
葉月

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百六十六話 笠司、処暑(二)

「準備の方はまかせてください。僕がしっかり統括しますから」


 波照間さんは波照間さんにしかできないことでがっつり活躍してください。

 そう続けようとしていたのだが、僕の名を呼ぶ大声の勢いで言葉が止まってしまった。この時間、この場所に居る僕をピンポイントで名指しする必然性。そんなやつはひとりしかいない。

 ゆかりんだ。

 ホームから上がってきた彼女は、目敏く僕を見つけたらしい。えらい勢いで走ってきたゆかりんは、僕の目の前で立ち止まるとにかっと笑った。


「出会いのひろばで待ち合わせって言ったのに、わざわざこっちまで迎えに来てくれちゃったのね。そんなにあたしに会うのが楽しみだった?」


 いや別に、おまえを迎えにここにきてるワケじゃ無いんだけど。

 憮然としてるのが顔に出たのだろうか。怪訝そうな表情になったゆかりんは、そこではじめて気づいたかのように波照間さんに顔を向けた。


「もしかして、リュウジくんの新しい彼女さん?」


 状況に追いついていないであろう波照間さんは、完全に固まっている。とにかく事態を収拾しないと。まずはストップ・ザ・ゆかりんから。


「失礼なことを言うな。あと、新しいとかって根も葉もないことも。このひとは仕事上の知り合い、というか大切なお客様だ。さっき空港のロビーで偶然会った」


 ゆかりんが二の句を発する前にと間を開けず、今度は波照間さんに向き直る。


「この無遠慮でやかましいのは原町田由香里っていって、残念ながら大学の同期です。今日ここに僕を呼びつけた張本人でもあります。こいつの失礼な物言いは僕が代わって謝ります。マジですみません。ていうか、ゆかりん。おまえさんの手綱を押さえてくれるはずの彼氏さんはいったいどこでなにしてんだよ!」


 途中から鉾先を変えた僕の台詞に、涼しい顔のゆかりんは親指で後ろを差して応える。僕と波照間さんの視線の先に、ふたり分の荷物を引きずって近づいてくる成人男性がいた。


「こんにちは。はじめまして。皆川笠司くんの同期で銀行員をやってる原町田由香里です。うしろからついて来てるのは、あたしのフィアンセの島内伸介」


 自分に向けられた自己紹介で我に返ったのか、波照間さんはシンスケさんに向いていた顔を戻し、ゆかりんに向き直った。


「えっと、波照間瑞稀といいます。皆川さんとは同じプロジェクトでお仕事をしてるんですが、今日はホント偶然に空港ロビーでばったり出会って。いまは、東京に不慣れな私を駅まで送ってくれてたところです」


 途中からペースを取り戻したようによどみなく応えた波照間さんは、再び僕の方に顔を向けた。浮かべる笑顔がなんか営業のそれっぽい。


「皆川さん、今日は本当にありがとう。おかげで緊張が随分とほぐれました。おともだちもいらっしゃったようですし、わたしはこれで失礼します。それでは来月、ビッグサイトでお逢いしましょう」


 それだけ告げた波照間さんは踵を返し、スーツケースを引き連れて歩き出した。すれ違うシンスケさんと軽い会釈を交わした後ろ姿は、そのまま振り返りもせずにホームに下るエスカレーターに消えていった。


          *


「さっきはごめんね。思いっきり邪魔しちゃったみたいで」


 三階のコーヒーショップでミックスサンドを齧る僕の目の前で、ゆかりんが口先だけの謝罪をしてきた。こいつのマイペースは今にはじまったことじゃない。(おこ)り甲斐もないので、僕は無言でやり過ごす。


「それにしても落ち着いた雰囲気のひとだったね、波照間さん。オトナって感じ。もしかしてリュウジくん、狙ってたりしてた?」


「狙うもなにも、会ったのは今日が初めてだったんだから」


 懲りない調子のゆかりんにそう言い返した僕は、斜向いを一瞥する。肩をすくめて苦笑いするシンスケさん。


「えー、いいじゃん。頑張っちゃえば。すみれちゃん先生には負けるけど、彼女けっこう美人だったし」


「ごめんな皆川くん。ゆかり、東京に着いてからこっち、ずっとこんな調子で。杜陸(もりおか)の規模しか知らないからなんか興奮しちゃってんだよ」


 そう取りなしたシンスケさんは、急に視線を外して片手を高く上げた。釣られて僕も彼の目先に顔を向ける。店の入り口でサングラスの男性が軽く手を振り返していた。


「イツロー先輩だぁ!」


 声を上げたゆかりんが、立ち上がって両手を振り回した。



「涼子は来てないんだ」


 そう言いながら僕の隣に腰を下ろした男性は、サングラスを外して胸ポケットに仕舞った。素顔は普通の日本人だったけど、所作のあちこちに欧米人の匂いがする。三つ、いや四つくらい年上かな。


「ファイン先輩はトーちゃんが熱出しちゃったから今回は断腸の思いでパスするって。めちゃくちゃ残念そうでした。合流したらビデオ通話してって頼まれましたよ」


 僕には意味不明の状況説明で男性の質問に応えたゆかりんは、急にこちらに視線を振ってきた。


「リュウジくん、紹介するよ。このひとが前に話してた横浜出身の先輩。田中逸郞さん。あたしたちのいっこ上で商社に勤めてる」


 いっこ上? てことは下手したら同い年かよ。

 僕は彼我の差に愕然とした。ゆかりんは以前、僕に雰囲気が似てるって言ってたけど、ぜんぜん格が違うじゃん。


「学年はひとつだけど、浪人したから歳はゆかりんの二歳上。きみとははじめてだよね。俺は田中逸郞っていいます。シンスケと同期で、このふたりとはサークルが一緒。まあふたりは会長やってたけど、俺は万年ヒラ」


 田中さんはそう言って微笑んだ。

 如才のない自己紹介に気圧され気味の僕は、自分の名をぼそぼそと答えるのがやっとだった。


「イツロー先輩は、いまはシンガポール勤務なんだよ。今回はすみれちゃん先生が里帰りするからっていうんで戻ってきてるんですよねぇ」


 苦笑いする田中さん。なんか情報が多過ぎて頭が追いつかない。

 ゆかりんとシンスケさんが婚約者ってことはわかってる。話に出てきたファイン先輩とトーちゃんは、おそらく冬の中央食堂で一度だけ会った超美人のシングルマザー(シンママ)とその息子のことだろう。そういえばあの人は自己紹介で涼子って言ってた気がする。シンガポールで商社勤めの田中さんは、シンスケさんや涼子さんと同期。四人とも同じサークル、ってことはあのなんとか会とかいったゲームのサークルか。で、そのうちの三人がわざわざ遠方から出張ってまでして迎える『すみれちゃん先生』っていうのは何者?


「あ、そろそろ飛行機が着く頃かも。イツロー先輩、まだ注文してないですよね。もったいないから、ロビーの方に移動しちゃいません?」



 国際便到着ロビーまでの道すがら受けたゆかりんによるレクチャーで概要は掴めた。このあとサンフランシスコからの直行便で到着するすみれちゃん先生こと横尾先生は、僕らが入学した二〇一九年の一年間だけ駅弁大学で発達心理学を教えていた准教授で、翌年からはスタンフォード大学で教鞭をとっている才媛なんだそうな。

 横尾准教授が杜陸にいた年の秋、彼ら五人はとあるプロジェクトでチームを組むことになり、見事ミッションを成功まで導いたらしい。だから五人は、いわば『盟友』といったところか。


「それだけじゃなくて、すみれちゃん先生とイツロー先輩は、そのときからずっと超々遠距離恋愛を続けてる恋人同士なんだよ。すごくない?」

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