百六十三話 瑞稀、処暑(一)
通勤の車内はいつもよりも冷房の効きが強い気がします。やっぱりひとが少ない所為なのでしょうか。
多くの会社が先週末からお盆休みに入っているようで、道すがらのお店でも入り口に貼り紙をしているところが何軒かありました。出社してからもそれは同じ。総務部に居るのは一番奥に座る三木原部長とその手前の席の網代課長のおふたりだけ。挨拶だけして、パーティションで仕切られたブランド推進室のドアを開きます。
「おはよう」
ウォーターサーバーの前で背を向けた灰田さんが肩越しの声だけで迎えてくれました。正直、いきなり顔を合わせずに済んだので少しほっとします。まぁどっちにしたって、ふたりしかいない部屋なのですから見合わすのなんて時間の問題なんですけど。
無駄口を開かず席のノートパソコン立ち上げて、リマインドを確かめます。火急的な用事はひとつもなし。残ってる数本のインタビュー動画編集が今週の主な仕事ですね。メールを開くと確認依頼が二通。星野さんからの展示会配布冊子の装丁の最終稿と、タオルメーカーからの刺しゅう試作品の画像。どちらも明日中の戻しだからまったく急ぎません。横目で様子を窺うと、灰田さんもご自分のお仕事を始めてるみたい。私の話しかけるなオーラが功を奏してるのかな。
ロゴの刺しゅうが施されたまっしろなタオルの画像を上の空で眺める私は、いつしか昨日のやりとりの記憶にはまり込んでいました。
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木曜の夜に送ったLINEトークの返事が届いたのは日曜日の朝。金曜の夜から実家に戻って骨休めと沖縄旅行の準備をしていた私は、朝ごはんの途中だというのに席を外してスマホを開きました。
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今日の午後、三時くらいからあとなら空いてる。
時間と場所が決まったら連絡して。
PL以外で。
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待望の、栄さんからの返信。やっと、やっと繋がりました。私は今日の予定を頭の中で練り直します。郊外のレストランで遅めのランチをご馳走してくれるという父の申し出を前倒しの軽めのものに替えてもらって、遅くとも三時には筑紫野を出る。てことは天神に午後四時って感じかな。PL以外、パークライフ以外でゆっくりお話ができそうなところ。お酒があんまり進まないようなお店で、注目とかされなさそうな。
うん。ジョイフルとか意外にいいかも。たしか警固公園の横にあったはず。あそこなら雑多な感じだから長居して話し込んでもきっと目立たない。客層も違うから知り合いと会いそうも無いし。
私としては、記録的と言ってもいいくらい早い決断でした。そうと決まれば、返信も早めに。
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席に着いたとLINEすると、さほど待つこともなく栄さんはやってきました。ピンクのペイズリー柄をあしらった開襟シャツに裾が広めのハーフパンツ。足元はビーチサンダルです。
「なぁんかひさしぶりやね」
ウェリントンタイプのレイバンを外しながら向かいの席に滑り込んだ栄さんは、私の横に隠すように置いてあるスーツケースを目敏く見つけたようです。
「瑞稀、どっか旅に出るん?」
「ええ。今週末。ちょっと南の方に」
「南の方ってどこ? グアムとか?」
「そんな遠くまでじゃないです。八重山、波照間島まで」
「波照間島・・・・・・。なんね、里帰り?」
「まあ、そんなとこです。それより、まずはなにか注文しましょ」
栄さんはピザとビール、私はペンネグラタンとジョイカフェのアイスコーヒーをつつきながら、問われるままにこちらの近況を伝えます。うん。まだ序盤戦。
「着々と進んどぉようやね、展示会の準備」
「かなりいい感じになると思いますよ。田中すみれの冊子、印刷が上がってきたら一冊差し上げますね」
「月波、いや、波照間瑞稀の処女作やもんな。楽しみっちゃ」
メインの皿はあらかた片付いて、栄さんは追加で頼んだサイコロステーキとポテトフライをあてに二杯目のビールを飲んでいます。私もちょっと中座して、新しい飲み物を取りにいきます。そろそろ頃合いですね。
「次は栄さんの番ですよ」
アイスティーのストローをひとくちだけ含んだ私がそう切り出すと、栄さんは少しだけ顔をしかめ、それから苦笑いしました。
「まあ、聞かれるわな」
「どんな感じなんですか、あのお医者さんとは」
「安曇さん・・・・・・、凛太郎とは、まぁゆるゆるとつきあっとう感じになっとぅ。飲みにば行ったり、週末はドライブいうてあちこち連れ回されたりしとぉ」
「ドライブって、この前の長崎の他にも?」
「指宿やら高千穂峡やら山口の街やら・・・・・・」
絶句しました。地理に疎い私だって、それらがどの辺にあるのかくらい雰囲気でわかります。どれも、ちょっと日帰りで行ってこられるとこじゃないですよね。しかも栄さんと不通になってたのはたかだか四週間程度。それってほぼ毎週末じゃないですか。
「もしかして栄さん、この連休も一緒にどこかに行ってました?」
いままで見たこともないような少女の貌を赤らめた栄さんがこくりと頷きました。
「朝の返事な、あれ、宮島からの帰りん高速で打ったっちゃ」
ゆるゆるじゃないです、それ。もうがちがちにつきあっちゃってますよ。少なくとも傍目には。
私はなんだか無性にむかむかしてきました。たぶん、灰田さんの想いを聞いてしまったからでしょう。本来向き合うはずだったひとをほっといて、外からひょっと出てきたイケメンにほいほいついていくティーンの娘っこみたいな栄さんの行状に。いや、栄さんだけじゃない、灰田さんに対しても私は怒っていたのです。
なんで言葉にして、行動にして伝え合わなかったのか。なんでも見知ったような顔をして、時間が経てば互いが自然に近づきいずれ寄り添える、なんて勝手な妄想に取り憑かれてただけじゃないですか。ひとはエスパーでもニュータイプでもないんだから、相手の目を見て直接言わなきゃ伝わるはずない。イノシシみたいにまっすぐ突き進む安曇さんの方が、よっぽど真っ当ですよ!
「安曇さん、結婚の話とかしてこないんですか?」
可能な限り自分を殺した声色で、私は栄さんに尋ねてみました。摘まんだフライドポテトの先でサイコロステーキをつつきながら彼女は答えます。
「それらしいことはちょくちょく言うてくる。出かけるごとにどっかで一回、必ず。一緒に東京に行く気はなかかって」
マリネサラダを見下ろしてた灰田さんの顔が浮かびました。
そうか。
私はそのときはじめて気づいたのです。私は本気で灰田さんに肩入れしていたのだ、と。私の未熟な思い付きを引き上げて正しく導いてくれる信頼できる上司、尊敬すべきリーダーの満願成就を心から祈り、後押ししたいという私自身の気持ちに。
「でも、それにはうち、頷いとらんとよ」
言い訳するように顔を上げた栄さんには、私の瞳の中に棲んでいた灰田さんの影が見えたのかもしれません。
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「瑞稀ちゃん、少しいいかな」
現実の灰田さんの声で我に返りました。裏返った声で返事をする私に、灰田さんはいつもの調子で淡々と語り掛けてきます。
「オルタの問い合わせフォームなんだけど、選択式をメインにした方がいいと思うんだ。少しでも入力障壁を下げられた方が反応を得やすいじゃないかな」
ああそうだ。とにかく今は、仕事をしっかりやろう。
このひとが、自分と自分の仕事を誇れるように。
「今日明日時間をください。ちょっとつくってみますから」




