百六十話 笠司、立秋(四)
「リュウジはいつ取んだよ、夏休み」
火曜日の朝、隣で味噌汁を啜るサンタさんが尋ねてきた。
うちの会社は決まった日程の夏休みが無い。お盆時期の祭事や、直前に図面や注文を送りつけて休み明け初日に制作物や企画書を寄越せと言ってくる代理店担当者なんかがいるから、会社全体を閉じてる暇が無いのだ。なので各々の夏休みは各自の申請で決まる。具体的には、七月頭から九月末で指定休(普通は土日)のくっついた二日間、つまり最低でも四連休というのが僕たちの夏休みだ。
「まだ決めてないッス。でも、はしくらの展示が終わるまではちょっと余裕無いッスねえ」
「んなこと言ってっとチャンス逃すぞ。お前なんかまだ半人前なんだから、エラそうなこと言ってないでさっさと休め。でねぇと会社が労基に叱られちまう」
サンタさんに釘を刺されたので、手が空いたところで自分の予定を見直してみた。
はしくら展示の設営は九月五日の火曜日。つくりもののチェックなんかはその前の八月最終週後半になるから、その週はさすがに駄目だよな。二十六、二十七の土日は先月やった店内イベントの第二弾があるから、設営撤去と立ち合いで金土日はつぶれる。二十一日の週の月~金はさほど忙しくないが、大島さんのサポートで入る品川区生涯学習イベントが週のど真ん中に入ってるから連休とるのはムリ。
あ。でも、お盆の週後半の確認作業は翌週前半に回せる。てことは十七日から二十日の四日間なら休めなくもないかな。来週の木曜から週末まで。秋は連休に合わせた集客イベントが多く入ってるし、たしかにここらで休んどいた方がいろいろと都合いいかもしれない。どうせ行きたい予定とかがあるわけでもないし、さっさと消化しておくか。
グループウェアから開いたスケジュール欄の来週後半に夏休みを押し込んだ僕は、サンタさん宛に申請メールを送って仕事に戻った。
*
夜はツイッター小説を数本ほど書き溜めることにした。まずは今夜の分から。
これまでずっとヒューマノイドのちさとに助けられていたサトル少年が、はじめて独力で立ち上がる場面。いわばクライマックスシーンだ。だが、何度書き直しても彼の深慮と激情の転換が文字にできない。百四十字という制約の所為はたしかにある。でも、それだけじゃない。もっと重要な、表現力ってのが足りていないのだ。
―――――
「まてっ!!」
サトルは大声を放った。
「お前たちは僕の大事なひとを汚した!」
背を向けて立ち去ろうとしていた男たちが振り返った。彼らをサトルは睨みつける。右手に握りしめるコンバットナイフ。
「それを忘れられるはずない。お前たちのことは絶対許さない!」
片方が応えた。
「元気のいいガキだ」
―――――
駄目だ。
こんなんじゃ状況をただ連ねてるだけだ。絶対的に情報量が足りない。
改行したまっさらなカーソルを見つめながら、僕は考える。サトルのことを、男たちのことを。サトルの右奥の茂みで、義父の上に覆い被さったまま動かなくなったちさとの裸身を。
サトルは小学五年生。クラスの中でもひ弱な方だ。身体を使った喧嘩なんてやったこともない。身をもっての暴力なんて、義父に一方的に殴られた記憶だけ。その彼が、自分を認め、姉の記憶を守ってくれたちさとのために立ちあがる場面なのだ。
もっと絞り込まないと。
行き詰まったところで立ち上がり、湯を沸かして珈琲を淹れる。香りと湯気をあげて綺麗に膨らむ漆黒のドームを見つめながら、僕は小学校時代の記憶を探った。
社会科見学の発表の日、班の数人と並んで教壇に立っていた好きだった子が仲間から責められていた。重要な資料を家に忘れてきてしまったらしい。みんなから人気があった彼女の珍しい失態に、同じ班の女子がここぞとばかりに声を荒げて非難しているのだ。
トレードマークだったピンク色のデニムスカートの裾を握りしめて唇を噛む彼女に、僕は助け船を出してやることができなかった。放課後にもひとり残って一所懸命資料作りしていた姿を知っていたのに。身体もたいして強くなく、それ以上に心が弱かった僕は、涙をにじませる彼女をただ見つめているしかなかった。
立ち上がったからどうなったか、ではない。あのときの僕がもしも立ち上がることができたとしたら、どんなふうに気持ちを動かし、どんな決意を持って声を上げたのだろうか。そのときの声は、教室でどんなふうに響いたのだろうか。
溢れんばかりのマグカップに口をつけ火傷しそうな珈琲を1cmほど啜ってから、僕は席に戻る。つづきを書き直せる気がしてきた。




