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ボクの名は  作者: 深海くじら
葉月

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百五十八話 笠司、立秋(三)

 そのうちゆっくり、などと悠長に待つ暇も無かった。

 あのあと日付が変わる直前に氷とバーボンを持って部屋まで押しかけてきたハヤトは、そのまま明け方近くまでひとり喋りまくっていった。途中二度ほど隣から壁を叩かれたが、そのたびにハヤトが発する大声の謝罪の方がよほどうるさかったのか、三度目は無かった。

 ハヤトが帰ったのは土曜の昼過ぎ。寝不足の顔をほころばせながら上機嫌で部屋を出て行った。残された家主(すなわち僕)に、あとでお隣に謝りにというミッションを課したまま。


 こう聞くと、まるで本懐を遂げたかのように思われる(誰が?)かもしれないが、ハヤトの恋はまだ成就したわけではない。ただ、ハヤト曰く、限りなくゴールに近い位置に立つことを許された、ということだった。

 

「かなり仲の良いお友だち、から始めてみましょ」


 昨夜から今朝にかけて百万語費やして述懐されたハヤトの顛末についてもっともノイズの入っていない部分だけを抜き出すなら、告白のあとに返してきたという日葵(ひまり)のこの台詞に尽きるだろう。

 正直、微妙だと思う。少なくとも一般論で言えば、六:四(ろくよん)で断られたんじゃね? と捉えてもおかしくない。言外には、本命が別に居るから二番目の席になら座っててもいいよ、と解釈する方が自然と言ってもいい。

 それでも僕は、ハヤトの得た啓示の方を支持したい。

 なにしろ相手はあの日葵である。傍目には開放的で経験値高めに見える彼女だが、高校時代と地続きだった新人研修の際のデートもどきを目の当たりにしてる者としては、優柔不断で慎重な彼女なら言いそうな台詞だと思う。前向きだけど逃げ腰。どうしていいか判らないので、とりあえず玄関までは入れてみた。でも背後のドアはまだ開けたまま、みたいな。


「中学生かよ」


 開け放った窓にタオルケットを干しながら僕は呟いた。


 まあ、らしい、っちゃらしいけどね。


 ファミレスで、観てきたばかりの映画の話で盛り上がっているパッと見フツーの二十代カップル。しかし実際は恋愛初心者の男の方が、話題の途切れたタイミングを見計らって満を持しての告白をする。受けた女の方は想定外の事態に狼狽えつつも、おそらく悪い気はしていない。ただ、経験不足はこちらも同じこと。想像しかしたことのない「その先」に怖じ気づき、とりあえず回答の先延ばしを企図する。張りぼての虚勢を振りかざすことだけは忘れずに。


「まあ、そんなとこだろうな」


 片付けを済ませてがらんとなった部屋に座り込んだ僕は、そんなふうに結論づけた。そう遠くないうちに、あのふたりは付き合い始めるのだろう。線路に乗ったふたりのために僕ができることは、もうなにもない。


 うらやましい、と思った。


 高校一年の僕があと一歩でも強引に踏み出していれば、きっと同じような甘酸っぱい青春を過ごせたのだろう。そして、今とはまったく違う未来を謳歌しているに違いない。

 焦点の無い青空を窓の向こうに見つめながら、僕は悔恨に沈み込む。

 あの空の遙か先にある午後十一時の寝室で、あのひとはあの男と睦み合い、絡み合い、愛を交わしている。今この時間、この地球上(ほし)で。

 視界が真っ白になった。


 掌の痛みの感覚で色が戻ってきた。開いて見てみると、両手とも爪の跡で赤くなっていた。よほど強く握り込んでいたようだ。いくつかで内出血してるのがわかる。


「爪、切らなきゃ」


 ぼんやりと立ち上がり、筆記具の置き場から爪切りを掴んで窓際に引き返す。

 窓の外に手を突き出して一本一本丁寧に切りながら、むかしカジ先生が話していた蘊蓄を思い出した。


「男の爪切りってのは、セックスの準備をすることだ。躰の中に指入れたとき内側を傷つけたり、痛い思いをさせたりしないで済むように。きちんと爪を切ってはじめて、男は女の子と寝られる権利を得るんだよ」


 よく覚えとけよと念押しされた品のない話を、僕は今でもしっかり憶えている。そう考えると、ちょっとだけ笑えた。


 各務暁(かがみあきら)は、ちゃんと切り揃えているのだろうか。

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