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ボクの名は  作者: 深海くじら
文月

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百四十六話 笠司、大暑(二)

 土日の休出が確定したから金曜の夜はいつもより早めにあがり、その足で銭湯に向かった。

 普段の入浴は朝のジョギング後に浴びる会社のシャワーで済ませている。夏だからそれで十分だとも思っていた。でも先々週実家で湯船に浸かり、そのありがたさを改めて思い知った。湯の中にたゆたっていると疲れの取れ方が全然違う。流れ作業みたいなシャワーとはまったくもって別物だ。だから今夜は少し贅沢をして、全身を伸ばせる広い風呂でこのところの疲れを一気に解消する。そんな算段だったのだ。

 夜の(とばり)が下りて間もない戸越銀座を軽快な足取りで歩いていた僕は、目的地の前で立ち竦んだ。


 戸越銀座温泉 金曜定休日


 白いシャッターに掛けられたプラスチックの札にはそう書かれていた。


「あんまりだ」


 思わず僕は声を上げる。帰宅途中のOLが顔を背けて横を通り過ぎて行った。

 これはあんまりな仕打ちじゃないか。数分後にはたっぷりの湯の中で至福のときを味わっているはずだったのに。奈落に突き落とされたみたいだ。

 あきらめきれない僕は、閉ざされた銭湯のシャッターにもたれてスマホを開く。現在位置周辺の銭湯を検索。ヒットしたのは一軒だけ。大井町駅の先にあるおふろの王様。

 がっくりと肩を落とした。あの辺りだと、ここから歩いて三十分はかかる。そして移動手段はそれしかない。昼に比べればマシとはいえ、立ってるだけで汗がにじむ蒸し暑さの中を疲れ切った身体に鞭打って遠征するだなんて無理ゲーすぎるよ。

 風呂付アパートに住むことすらできない自分の不甲斐無さを呪いつつ、僕はとぼとぼと帰途についた。せめてもの腹いせに、道すがらのおにぎり屋でいつもより贅沢な買い物をして。



 部屋の窓を開け放って台所の換気扇を回すと少しは過ごしやすくなる。ありがたいことに今日の風向きは夜風が部屋に流れてくれている。神様もそこまで理不尽ではなかったらしい。

 首の伸びたTシャツに着替え、缶ビールを片手にTV正面の定位置に座る。卓袱台の上には美味しそうなおにぎり三個と唐揚げ、それとカップみそ汁。

 不意に以前聞いたフレーズが頭をよぎる。


「二十代の健康男子が毎晩寝に帰るだけの安いアパート、という条件でいいですよね」


 この部屋を探すときのキーワードとして御嶽(みたけ)信乃(しのぶ)が口にした台詞だ。まさにその通りの部屋だよ。


 それはそれとして、連想は簡単に横に逸れる。


 御嶽さん、元気にしてっかな。


 思考の風向きがダウナー方面に加速しそうな予感がしたので、ビールでひと息のどを潤した僕はリモコンのスイッチを入れる。助太刀要請に応じて目を覚ましたTVの画面は、見事なことに今まさに映画を始めるところだった。


『もののけ姫』


「そっか。世間様は夏休みだもんな」


 あっさりと進路を戻せた僕は、部屋の灯りを常夜灯に替えて態勢を整えると、おにぎりに手を伸ばした。



 僕と龍児(おとうと)がはじめて連れて行ってもらった映画はこれだった。リバイバルの上映だったが、お袋が観たがったのだ。


「この映画はお父さんがはじめて誘ってくれて一緒に観た映画なのよ」


 そのときに聞いた台詞だったのか、それとも夏が来るたびに放映される茶の間のTVを観ながらだったのか、記憶は定かじゃない。ただ、聞かされたのが一度きりじゃないことだけは間違いない。

 初上映は一九九七年。僕らが生まれる二年前だ。今よりもずっと若いアラサーのふたりが寄り添って映画館に向かうシーンも、今ならなんとなく想像することができる。仏頂面はしてるけど肌艶がよく髪の毛もまだ黒い親父と、今よりもずっと長くて豊かな黒髪をなびかせてはしゃぐお袋。子どもなんていうやっかいなものを背負い込む前の、軽やかだった時代のふたりの姿が見えた気がした。きっと誰にも負けない幸せなカップルだったのだろう。


 はじめての映画の印象は、あまり芳しくなかったはずだ。まあ無理もない。このお話は、小学校低学年のガキどもにはちと難しすぎる。ラピュタやトトロを見せられて育った僕らにとっては、馴染みのある絵柄なのに意味がわからないやっかいな映画。そんなふうに思いながら観ていたと記憶してる。

 TVで放映されてれば、とくに用事が無ければたいがいは見た。初めから最後までのときもあれば、途中からだったり、半ばで飽きて部屋に戻ったり。そんな感じで、たぶん五、六回は観てるんじゃないかな。でも観るたびに新しい発見がある。


 物語のクライマックスで、アシタカは山犬に首飾りを託した。戦いに向かうヒロイン、サンに渡してくれ、と。冒頭のエピソードで村を追われるときに、おそらくは夫婦となるはずだったであろう娘からもらったお守りを。

 これも意味がわからなかった場面だ。元カノからもらったプレゼントを新たに惚れた女に渡すってどうよ。(リョウジ)と並んで観た最後のときに、僕はそう口にした。あれは高校二年の夏。

 僕よりもずっと読書家だったリョウジも首をひねっていたあのシーン、今なら少しわかる気がする。アシタカは、自分を守ってくれていた霊力をサンに譲ったんだ。自分がともに戦ってやれないから、その身代わりとして。その意思が深い覚悟から来てることを理解したから、サンの親である山犬も命を賭して届けに行った。


 久石譲の荘厳なエンディングを聴きながら、僕は思った。

 どうせお話を書くのなら、こんなふうに深く多様な解釈を想起させる物語にしたいよな。

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