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ボクの名は  作者: 深海くじら
卯月

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七十八話 笠司、穀雨(一)

 屋外用の冷風送風機を四機も回しているのに、倉庫の中は熱気が渦巻いていた。

 ついさっき通しで踊ったばかりのダンサーたちは荷台ステージに立ったままで、僕らスタッフから受け取ったスポーツドリンクを、喉を鳴らして飲んでいる。


「どうでしたか?」


 森下さんが、ノートパソコンを覗き込んでいるスポンサーさんに様子伺いしている。ディスプレイには撮ったばかりのダンス動画。僕も回り込んで、森下さんの後ろから加わった。


「ここ。このひまわり、ちょい手に当たってるね」


 ステージの(ふち)で一回転するダンサーの前で、立ち並ぶひまわりの一本が確かに不自然な揺れを見せていた。

 当たってますね、と森下さん。スポンサーさんが画面見てるのに気を許してか、あからさまに面倒くさそうな顔をしている。


「もうちょい外に動かせないかな」


 確かにこれはメンドクサイ。既にレギュレーションぎりぎりのサイズで配置してある装飾物は、これ以上一センチだって外にずらすことはできない。かといって花の位置を下げると、ただでさえ背を低くしてあるひまわり畑が余計貧弱になってしまう。

 僕は思い付きを口にした。


「これ、逆にひまわりの丈を三センチほど上げたらどうです? その上で、空向いてる感じのこの花を、ちょい(かし)がせてがせて沿道側に見えるようにするんです。踊り手さんの指はたぶん花の下を通るでしょうし、首を下に向けるから花びらの低いとこの位置は変わらないッス」


 動画を巻き戻した森下さんは、スロー再生画面の指先の軌道と直近(ちょっきん)で撮ったフロートの画像とを何度も見比べた。


「うん。それでいけそうだな。さっそく直してみましょう」


 活気を取り戻した森下さんは、奥でたむろしてる職人さんたちに指示を出しに小走りで向かった。


「やるじゃん、キミ。名前なんて言ったっけ?」


 皆川です、とだけ答える。なんか要らないこと言ったような気がしてきて、急に落ち着かなくなってきた。だいたいそんなこと、考えてればいずれ誰だって思いつくことだろう。


「皆川クンか。今年の新人だよね」


 腕組みしてるスポンサーさんがうんうんと頷く。


「俺さ、毎年この仕事でエムさんと組んでかれこれ十年になんだけど、エムさんの新人さん見んの初めてでさ」


 そうか。部署内だと僕の次に若い大島さんでも三十代終盤だから、新卒は十五年くらい前まで(さかのぼ)っちゃうんだな。


「ああいうちょっとしたトラブルで、手間とか掛けずに現場で直せる指示をすぐに出せるのってのは結構重宝するよ。中堅どころの慣れてる連中でもその辺トロいのは多いからなあ」


「いや。たいしたことないです。ちょっと思いついただけで」


 スポンサーさんは顔の前で手を振って、僕を労ってくれる。なんかめちゃくちゃ恥ずかしいぞ。


「皆川クンさあ、キミこの手の仕事はじめてなの?」


 たぶん四十歳くらいのスポンサーさんは、髪を掻き上げながら更に尋ねてきた。背広の袖口からカフスボタンが覗く。なんだかちょっとねちっこい。生理的にちょい苦手かも。いったいなんと答えれば、このメンドクサイ状況から抜け出られるのだろうか。

 と、奥から森下さんの呼声が掛かった。

 すいませんと会釈して、僕は職人さんたちが頭を突き合わせている輪の方に走っていく。僕を手招きした森下さんが耳打ちしてきた。


「気をつけろ皆川。お前、ロックオンされたぞ。あのひとちょっと、そっちの()あるからな」


          *


 夕方五時半過ぎにチェックが終わった総見(そうけん)は、そのまま解散ということになった。スポンサーさんは僕たちを飲みに誘ってきたが、森下さんが、こいつには会社に持って帰ってもらう物があるから、と噓をついて僕を解放してくれた。連れ立って中華街に消えていく森下さんの背中を見送りながら、僕は胸の中でお礼を言う。



 出先で直帰ならではの早い時間。こういうのはたぶん貴重なのだろう。僕はひさしぶりの横浜を少し散歩してみることにした。

 イチョウの街路樹が連なる山下公園前の通りを、みなとみらい方面に向かって歩く。薄暮から夜に変わる時間帯のこの辺りは、放課後デートの高校生や大学生たちと仕事を終えて街に繰り出す若い社会人とが混在している。

 考えてみれば、関内や桜木町を歩くのなんて高校の頃以来だから五年ぶりだ。大学は四年間岩手だったし、その前の浪人時代は出歩く気分にもならなかった。かと言って、なにか特別な思い出があるというワケでもない。友だちがポケモンの店に行くというのに付き合ったのが関の山。当然のことながら、男同士だ。だいたい高校時代に出かけたデートにしても、初めて付き合った子と歩いた小町通りと皐月さんと出掛けた池袋の美術館の二回しかないから、山下公園だ港の見える丘公園だとか言われてもいまいちピンとこない。


 海沿いに横に長い公園が途切れたところで、通りに並行した高架線路のような道に歩く人影を見かけた。歩道橋好きの身としては気になったので、少し戻って登り口を探してみた。

 地上数メートルに架けられた遊歩道は見かけたときの印象通りで、まるで電車の線路跡のようだった。遠く正面にはみなとみらいの建物群のシルエットが浮かんでいる。中央にランドマークタワー、その右に段々になったクイーンズと扇型のインターコンチ。

 こりゃ、なかなか気持ちのいい散歩道だ。

 ゆっくり歩いていると、歩道の下を真っ直ぐ右手に伸びる道の先に大きく口を開けた芝生屋根の建造物が見える。大桟橋だ。ここは小学生の頃、遊びに来た祖父母の観光案内で家族と一緒に行ったことがある。この桟橋から出港して東京湾を一周するディナークルーズに乗ったのだ。桟橋には外洋に出る大きな船もよく泊まっていると聞くが、今日はいないようだった。残念。

 桟橋のこちら側の広場には、光るモノリスみたいな板が規則的な配置でいくつも立っている。このモニュメントには見覚えはない。


 何組かのカップルが仲睦まじく座ったり寝転んだりしてる芝生の公園を横目で見ながら十五分ほど歩くと、その先は赤レンガ倉庫だった。在りし日の姿に似せた雰囲気のある赤い建物が白い照明でライトアップされる中、多過ぎないくらいの雑踏がそれぞれ思い思いにオフタイムを愉しんでいる。僕も精一杯リラックスしてみせるが、やはりどうにも居心地が悪い。たぶんお洒落過ぎて身の丈に合ってないのだろう。

 とは言えせっかくここまで来たのだし、建物の装飾やイベントスペースを見ておくのは仕事的に意義がある。と自分に言い聞かせて、ショッピングエリアに突入した。


 二か所目のワールドポーターズを見回ったところで、僕の力は尽きた。

 時刻は八時前。戸越まで帰るのも億劫だし、明日は土曜で休みだから、たまには実家にでも寄せてもらおう。電話をすると、有り合わせしか無いけれど晩御飯と寝床は用意できるという返事。助かる。

 自分で作らない食事にありつける確約を得た僕は少し元気になり、桜木町駅前の帆船横までまっすぐに伸びるボードウォークに歩を進めた。


          *


 JR桜木町駅で下りの京浜東北線に乗る。そこそこ混んでいる車両の中を進み、連結近くにポジションを定めた。この位置は、混雑しているときでも比較的スペースに余裕があるのだ。降りるときには若干苦労するが、降車駅より手前でかなり乗客が減るはずだからさほど問題はない。


 背中の荷物を網棚に載せ、意味もなく周囲を見回したとき、あの顔が目に飛び込んできた。同じ車両の、ひとつ向こうの列の座席。その一番奥。見間違えるはずがない。

 吊り革にぶら下がる何本もの腕に遮られながらもなんとか視界に捉えたのは、僕が十年間忘れたことのなかった存在、鷹宮(たかみや)皐月(さつき)そのひとだった。

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