七十二話 笠司、清明(四)
渋谷交差点横の三階にあるカフェの窓際席で、葵日葵は種明かしをはじめた。
「高二のとき、ソフト部の親友三人で競争を始めたんです。それぞれがぜんぜん接点のない男子をターゲットにして、誰が最初に仲良くなってみせるかってヤツ。判定はツーショ写真。並んで歩く、一緒になんか食べる、カップルでプリクラに収まる。その三枚を最初にコンプした者が勝ちで、他の二人から称賛とご褒美と『陽キャマスター』の称号がもらえる」
何を言ってるのかさっぱりわからない。が、まだ途中のようなので視線だけは残し、僕は黙ってアイスコーヒーを吸った。
「相手選びは本人以外の二人。で、私用に選ばれたのが、いつも独りぼっちでトラックを回ってる皆川先輩だったんです」
JKの他愛もないゲームだってことはなんとなくわかった。でももう五年以上経ってるはずだぞ。
「三人とも自分が勝ちたいから、ひとのターゲットは話しかけづらい相手ばかり選んだんです。その甲斐あって、結局誰もコンプは成功しなくて」
ちょっとストップ。てことは何か? 日葵の友だちの見立てだと、僕はとっつきの悪い偏屈男子だったってこと?
「ズルみたいな方法で並んで歩くのと一緒に御飯食べるまでをクリアした友だちが暫定一位だったんだけど、今日のデートで私がフルコンプして見事逆転ホームラン。ここに着く前に二人に証拠写真を送ってて、今さっき、遂に認定されたってワケです。見事『陽キャマスター』の称号が」
茶髪ウェーブセミロングにはあまり似つかわしくない体育会系の濃い笑顔で破顔する日葵に、僕はおずおずと聞いてみた。
「なんとなく話はわかったんだけど、それ、この五年間ずっと狙ってたの?」
なにを言ってるんですかという顔で、ぶんぶんと首を振る彼女。
「昨日お名前を見かけるまでは、すっかり忘れてましたよそんなゲーム。でもね、思い出しちゃったんです。そしたらもう、突っ走るしか無いじゃないですか」
*
横浜の実家から通ってると言う葵日葵は、屈託のない笑顔のまま東横線の改札に消えた。
金曜日の夜十時。徒労感だけが残った華金だった。僕は重い足取りで山手線の改札に向かう。
可愛い女の子にちやほやされながらメシを食ったり遊んだりが楽しくなかったわけじゃない。ただ、あまりにも意味がわからなさ過ぎて没頭することができなかったのだ。
「あの仕掛け、最初っから話しててくれればもっと協力できたし、楽しめたかもしれなかったのに」
もちろん、それでは彼女たちのゲームは成立しない。陽キャマスターの称号は、相手に実情を悟らせないまま己の達成目標を手に入れられることこそが重要なのだ。むろん、そんな称号なぞ彼女たちの自己満足以外に意味はないが。
問題があるとすれば、僕がムラモトの新卒男子ほぼ全員から敵視されてしまったということだろうか。新人女子の中でもおそらくは一番人気であろう葵を、たった二日出てきただけで油揚げを攫うようにお持ち帰りした不届きモノ、という烙印。いかに真実とかけ離れていようが、彼らが目の当たりにした情報があの場の遠景だけしか無い以上、そう思われてしまうのは仕方ない。
そしてさらに悪いことに、来週以降の研修を不参加の僕には釈明するタイミングさえ無いのだ。そう遠く無い将来一緒に仕事するかもしれない連中に、これっぽっちもいいところのない印象を植え付けてしまったことに僕は頭を抱える。
「まあ済んだことだ。可能性に慄いて悩んでてもしょうがない」
大崎駅の改札に向かってホームを歩く僕は、屈みがちになっていた背筋を伸ばした。いきなり現場投入の僕と違って、彼らはもっとずっと大事に育てられている。七十五日、二か月半よりも前にジョイントすることもなかろう。
*
四月八日九日は、初めての休日。
三月末から住んでいたといえ、社会人になって最初の連休はやはり感慨深いものがある。金曜の心労を吹き飛ばすべく、僕は近隣の探索に出かける。
アパートから徒歩二分の戸越銀座は、都内でも屈指の商店街だ。国道1号線(第二京浜)による分断を物ともせず、全長五百メートルを超える一本道が左右に様々な小売店を並べて東西に伸びている。僕の住まいは東の端で名前を変えた三ツ木通りから少し入ったところにあるから、ニコク近辺の繁華街からはだいぶ外れになるが、その分安い定食屋なんかがあったりもする。
鳥居のような門をいくつもくぐりながら、西へ西へと歩いていく。戸越八幡神社を散策し、その先の戸越銀座温泉をチェックして、都営浅草線戸越駅が地下にあるニコクの交差点を越えて、さらに数ブロック先の東急池上線戸越銀座駅の踏切も渡る。この駅は三角屋根の駅舎が可愛い。
西の外れに近づくと小売店はめっきり減って、各種病院とまばらな飲食店が主になる。ゆっくり歩いてここまで十五分。さすがに日常的にこの辺りまで来ることはないな。
僕は踵を返してアパートの方に戻った。
昼飯はやっぱり、先週近所に見つけた定食屋にしよう。




