88話『アマンダ』
教会の中は実に綺麗なモノだ。
割れていたステンドグラスは綺麗に直りひび割れ一つない。
アレだけあった蜘蛛の巣も僅かにも無く、音も無く静まり返った世界が広がる。
取り敢えず教会の椅子の上にアマンダの遺体を置いて、アドニスは部屋の隅に存在していたもう一つの部屋に行く。
中を開けて見れば思った通り。神父の部屋だったのだろう。クローゼットに小さなベッドと机と椅子、それらが並べられた光景が映った。
確かに、ここであるなら休むのなら丁度良い。少なくともこの一晩は気を休める事は出来ずとも数時間は身体を休められるに違いない。
アドニスはベッドに近づくと腰を下ろす。
自室よりもより硬い感触だったが、休めない程じゃない。そのまま倒れ込むように横になった。
僅かに疲れが身体に広がるのが分かる。流石に何度も銃弾の雨を避けて切り落としていったのは疲れたよう。
勿論動けないほどの物じゃないが、1時間程の仮眠が欲しい。
「さ、少年。お話しようよ!」
「……」
その前に、彼女と少々話をしなくてはならないが。
僅かに重たい身体を起こしてアドニスはベッドの端に腰を下ろす。
途端軋むベッドと、背に広がる温もりと重み。首元には白く細い腕が絡む。
首元に柔らかな髪の毛の感触が広がり、思わずと背筋が跳ね上がった。耳元でクスリと笑う声。
もう慣れたとはいえ、この感触だけは自然に体が反応する。仕方が無い事だ。
「それで、まず何の話をしようか?」
揶揄う口調のまま、まずそんな言葉を。語り掛けておきながら彼女の瞳は語っている。
「何の話し」……だと?
どう考えても先ほどの戦いについて――『八の王』アマンダの事に違いない。
耳元で囁く様に彼女が問う。
「君、何があった?何をあの彼女に見て、何を問いただした?」
「別に問いただしていないさ。知っていた情報と、あの女の態度から様子まで何もかも違っていただけだ」
「ほう?」
興味深そうに首を僅かに傾げるシーア。
そのこそばゆさから逃げるように、僅かに身を離しアドニスは携帯端末を取り出し見せる。
画面いっぱいに記されるのは、アマンダ・レイ・ローファン。
さきの『八の女王』についての記述。大体全てが記される中、ひとつの情報にシーアは再び首を傾げた。
「“誰にでも平等でお優しい、元『島国』の女帝の末端”?あんなに人を道具として使い殺していた女がか?」
「意外だろう?」
僅かにほくそ笑んで頷く。
シーアの発言は最も。しかし、それは「覚悟」が決まっていただけとも言える。
「何を犠牲にしてでも王になる。今回のアマンダの犠牲ありきのやり方は決意の表れ。――そう言われれば、納得できないか?」
「……まあ、うん」
たしかに?なんて何度も首を傾げながらシーアは渋々と頷く。彼女が納得していないのも分かる。
アドニスの態度は今の発言で理解できるとは程遠い物であるから。
「王になる為、自分の国民を犠牲とし武器に使った。それは国民も賛同している物である、その結束が『八の王』の最大の武器だったって言う奴?あの千を軽く超えている人間たちだよね?」
「ああ」
「だったら、面白い人物と思うんだけど?きっと優しさは本物だったさ。でも人を切り捨てる決断力も持っている。すべてを救う――そんなバカげた思考はない。全てを投げうってでも王になると言う覚悟を感じるよ?そんな王様だったんだろ?」
「……お前は、心が読めないと駄目な奴だな」
冷たい視線で溜息を一つ。
「なにさぁ!!!」
なんて、珍しくシーアが後ろで声を張り上げる。
今の一言がかなり効いたのか、アドニスの胸元に手を伸ばし背中に頭を押し付けてもぞもぞ。
その度にアドニスは唇を噛みしめ、言い表せない感情に襲われることになるのだが、それを誤魔化す様に咳払いを一つ。
シーアから目を逸らし、部屋の隅にある礼拝堂へと続くドアを見つめた。
「あれは、そう見せかけていただけだ。気が付かなかったか?」
「むうう?」
見せかけ?シーアが顔を上げる。
携帯端末を彼女の手に押し付けアドニスは続けた。
「あの女は最初に会った時から、気を張り詰めていた。それは気が付いていただろう?」
「ああ、周りの連中が好き勝手にやっているからかな?自分が、なんて気を引き締めていたのだろ?」
「だろうな」
屋敷。初めてアマンダに会った時彼女は妙に気を張り巡らせていた。
それは同盟と言う一枚岩ではない砦を守る為、自分勝手に言動する他の『王』を判断し、まとめ役に徹するために。上に立つモノらしく毅然とした態度を示したのだろう。それは同盟者たちのとっては結果的に良いモノであったかは不明だが、少なくとも彼女が何とか纏め上げていたのは違いない。――知っての通り、これこそアドニスがアマンダを最初に狙った原因であるが。
「おそらくだが、村民――嫌、難民か。そいつらを連れて、村の外まで出向いたのも彼女だっただろう。『三の王』辺りに包囲網の話を聞いて、確かめに来た。そんなところだ」
お見事、正解だ。グーファルトあたりが居れば、そんな声を出していた。
「そんな事も分かるのかい?」
シーアの問いにアドニスは頷く。
「話を戻すぞ。」
一度前置きを置いて、アマンダの最初の話に戻す。
「あの女は最初から妙に気を張っていた。それは同盟のまとめ役の責務もあっての事だが、其れとは別に妙に纏う雰囲気に違いがあった」
「別?」
「ああ。何と言うか、妙な重圧と言うか。背負い過ぎと言うか、纏う雰囲気に眼光。その全てが語っていたよ。――自分は重圧を背負っています……てな。そこで島……大陸の女帝様ってなら何をそんなに背負っているかは直ぐに分かった。他人の想いなんて馬鹿げた願いってやつ?」
それは初めてアマンダを見た時感じた事だ。
凛とした佇まいに余りに不似合いな力強い瞳。一目見た時に、この女何か背負っているのだなと気が付いた。
そしてそれが島の女帝様となれば、何を背負っているかは明白だ。
「島と呼ばれると事は昔、『名』をもって『世界』と対等でむしろ『世界』よりも豊かだなんて言い張っていた。それを取り上げたのが、いまの皇帝陛下だ。島の連中は其れこそ栄光を取り戻したかっただろうさ」
「それを背負っていたのが『八の王』」
「そう。実に下らん女だろう?島の栄光を取り戻したい。――なんて、他人の願いの為に気を張る女帝さまなんてな」
腰に纏わりつく、シーアの白い手を外しながら言う。
――初めて見た時から気が付いていた。
アマンダ・レイ・ローファン。
自身が王であるのが相応しいと名乗りを上げ、皇帝を偽物と呼ぶ彼女達。
彼女の想いは、どうしようもなく他人に押し付けられ讃えられていた事に過ぎない事に。
「でも、覚悟は本物だと思ったけど?」
シーアが言う。
それはアマンダが村民を見殺しアドニスを仕留めようとしたこと。島の国民を武器として扱い勝利をもぎ取ろうとした事だろう。
確かにあの覚悟は、「凄まじい」の一言だろう。
王になる為なら、何を捨てても構わない。そんな意志さえ感じられた一撃であった。
「それも、他人に造られたものだと?」
ベッドの上で寝転びながらシーアは酷く納得がいかないと言う表情のまま見上げていた。
アドニスは、そんな彼女を見下ろしながら小さく頷く。
「ああ、あれも《そうであれ》と願われた『八の王』が選んだ道だ。百を切り捨て未来の千をとった。未来をつかみ取る為に千の犠牲を払った。ただ、他人に押し付けられた願いの為だけにな」
それが、自身を狙う少年にとって何よりも下らなく腹立たしい事であると気が付かないまま――。
――いいや、ここでアドニスは小さく笑む。
「そう、思っていたのだがな。あの女、思った以上に演技が上手かったよ」
酷く珍しく、興奮したように面白そうに、シーアに顔を近づけさせたのは次の事。
指を立てその白い額を「ちょん」と突く。
「あの女の掲げていた物は確かに他人に造られたものだった。でも実際は、その後ろで自分自身の確かな願いを隠し持っていた」
「むう?」
アドニスはニヤリと笑う。
「気が付かなかったか?あの女。俺がアイツの大切な島の住人を殺すたびに笑っていやがったんだぜ――?」
――それは、村での出来事。
アドニスがアマンダの前で銃弾を弾き落し、銃撃して来た人間を切り殺したその時。
『八の王』は口元に手を当て、それはそれは、嬉しそうに笑ったのだ――。
まるで長年の願いを遂げた復讐者のように。
「あの笑みを見た時、あの女が心ではどれだけ『王』なんて下らないと思っているかが理解出来た。自分を女帝に仕立て上げた連中をどれだけ憎んでいたかも、ひしひし伝わって来た。心の奥底で、実際は何を感じ、本当は何を願っているか自分でも馬鹿らしいが気になった」
笑うアドニスの前でシーアは無言のまま彼の顔を見つめる。
何度目か、彼女は首を傾げる。
「それでも君は彼女に『八の王』に怒りを抱いていた。下らない女だと言い切って殺そうと付け狙っていた」
「それは、心の底にあった感情が無意識のうちに出ただけだと考えていたからだ。彼女は何処まで行っても作られた贋作の女帝。本当の気持ちは押し殺し、むしろ見て見ぬふりをして誰かの願った王であろうとしている。そう思っていた」
「――。それが、違っていた?」
この言葉にアドニスは大きく頷く。
瓦礫の中、聞こえた彼女の本当の願い。今思い出しても実に素晴らしい物だ。
「あの女、全部理解していた。自分に重荷と言う重荷だけを押し付けた無能な連中を心の底から憎んで復讐を企てていやがった。アイツは自分の本当の願いをちゃんと理解していたんだ。自分の憎しみにも、自国民が実に愚かだと言う事も。理解したうえで、表を偽ってこの『ゲーム』に参加した。『ゲーム』を復讐に利用しやがったんだよ、あの女は。最初から最後まで自分自身の事しか考えていなかった訳だ。――実に面白い女だと見方が変わったよ」
黒い眼。その奥に爛々とした確かな輝きを見る。
少しの間、シーアは疑問を口にする。
「――でも、彼女は最後まで『王』になろうと足掻いていたじゃないか。アレは本物だったよ。誰が見てもそう判断する」
「だから言ったろう。実に演技が上手い女だと。俺も最後まで気が付かなかった」
彼女の疑問に、アドニスはすぐ様に答える。
「――アレが【王】になっていたら、直ぐに化けの皮が嗅がれただろうな。今の皇帝と何ら変わらない女帝様の出来上がりだ」
酷く満足げに、心からの賛美を。
黒い眼は爛々と輝き語る。
その少年を赤い瞳は真っすぐに見つめていた。
ルビーの唇がゆっくりと開き、問う。
「じゃあ、殺さなくても良かったんじゃない?」
「――いいや」
彼女の問い。今度は実にあっさりと否定する。
シーアから顔を離し、直ぐ側に腰かけアマンダを思い出しながら首を横に振る。
「足りない」
「足りない?」
「あの女は、自分を理解していたよ。生まれながらに自分を【悪】だと感じ理解し蔑んでいた。自分は王になってはならない存在だと。――ソレだと足りない。」
「……」
黒い眼は静かに細くなり、薄い唇が開く。
「暴君ってやつはな。自分こそ【正義】と掲げ信じて疑わないからこそ、誰よりも正しく美しんだよ」