87話『黒鳥』
夕焼け空、血に染まった赤い世界。
崩れた屋敷も、倒れる人間だった物の皆真っ赤。
その中で黒い女が楽しげに舞う。
まるで水面を飛ぶ黒白鳥の様に、バレリーナの様に。
爪先で佇み、蹴って、回って、蹴って、跳び上がる。
赤海。死体の宙で、楽しそうに美しくシーアは踊るのだ。
そんな彼女をアドニスは瓦礫の上に座り見つめている。
正確には楽しそうな彼女の瞳を。
この赤い世界なんて見劣りする赤い瞳。先ほどと、何時もと変わらない。楽しそうなだけで興味も無い瞳を。
「――馬鹿らしいな」
小さく呟いて、アドニスは彼女から目を逸らす。
先程、この住民たちを一人残らず、逃げ惑う彼らを殺していた自分。
死体の山が積み重なり、あたりが赤くなって鉄の匂いが充満する中。
――彼らを殺すその瞬間。自分を見つめたシーアの視線が頭から離れないなんて。
いつもと変わらない、興味も無い赤い瞳。自分は一体何を期待していたのだろうか――?
他人に興味を持たない彼女に何を期待したのだろうか、今となっては分からず、こんな事で思い悩む自信も馬鹿らしくなって。
その間にもシーアは可憐にダンスを踊る。
リズムを取って、死体の上でくるくる、くるくる。
彼女は一体何をしているのか。死者の冒涜?違う、あれは掃除だ。
シーアが踊る。その度、死体の真下には常闇の穴が現れ闇の中に遺体は沈み消えていった。
これが彼女なりの掃除。アドニスが命じて、二つ返事で行われている光景。
何処に消えているか?
ソレも実に簡単。あの穴の向こう、その先は村の出口。その何処かにいるドウジマの元。
簡単に言ってしまおう。アレは遺体回収。
唯の村民なら放っておくのだが、あれらは島の住人。
計何人死んだのか把握しておく必要がある。その為の必要な行動。
ドウジマには連絡済みだ。
今頃、空中から死体がぽろぽろ落ちて来て心底困惑しているだろうが。
しかしアドニスが頭に浮かべるのは、やはりシーアの事。
美しく死体の上を買う彼女を見て思う。瞳の件は置いておいて。
今更だが。本当に美しく、そして末恐ろしい女だと心から思う。
そもそもあの穴は一体何だろうか。常闇の中はどうなっているのだろうか。聞いても理解出来そうにない。
更に人をあんなにも簡単に生き返らせると言う。
そんな物もう神に近い。彼女は自身を神と名乗るが神なんて居るはずがないので、名乗る化け物と認識していた。――いたのだが。
此処はちゃんと彼女と話をすべきなのかもしれない。――なんて本当に今更に。
また赤い興味もなさげな彼女の瞳を思い出して、溜息を付くのである。
「何、考えているんだ。少年?」
「!」
ふと気が付くと、目の前に彼女が浮いていた。あの赤い瞳がアドニスを映す。
小さく首を傾げてニタリ。そんな彼女からアドニスは眼を逸らした。
気が付けば周りの死体は全部なくなっている。死体だけじゃない。周りの血痕も全て無くなっているのだ。辺りの血生臭さも無くなっている。
あと残るのは、アドニスの足元にある古びたシーツに包まれた『八の王』だけ。
「それも送ればいいんだろ?」
「いや。そいつは『組織』の人間に頼んだ。確認もあるし。……出来る限り、丁寧に扱いたい」
「おや、珍しい」
「……」
意外とも呼べる言葉にシーアはクルリと回転して、シーアはアマンダの隣に降りる。
確かに珍しい事だ。死体にシーツを巻いて丁寧に送ってくれなんて。アドニス自身も自分の言葉に僅かに驚きを持つ。
だが、その答えはあっさりと出た。
「その女の考えが気に入っただけだ」
「えー。さっきまで嫌っていたくせに~」
先ほどまでアマンダと言う人物を嫌っていた。
そう言われればそうなのだが。
「――変わった。結構面白い人物だったよ」
「むぅ。話、聞きたいなぁ」
何に興味を持ったのか、シーアはアドニスの背に抱き付いた。
アドニスが他人に興味を持つなんて珍しいからだろうか。
「それに、私のやり方が気に食わないって言われてみるみたいで、なんか腹立たしいぃ」
なんだ、そっちが本音か。
アドニスから離れ、空中でじたばた手足を動かすシーアを横目にアドニスは溜息を付く。
「楽しげに死体の上を飛び回っている存在に文句以外何かあるのか?」
「死体運んでやったのに!なにさ、なにさ!」
ぷくぷく頬を膨らまして、アドニスの上空を飛び回る。
実にうざったく。仕方が無さそうに手を伸ばし、シーアを捕らえて彼女を側に。
「分かった。この話なら後でしてやる。今はこの場を離れるぞ」
この言葉に、シーアは首を傾げた。
「なんで?話するならここで良いじゃん。それとも三人目をやりに行くとか?」
「ちがう。寝床を探す。この『ゲーム』中の拠点を、な」
空を見上げる。空は夕暮れ。それ以上に月は沈み掛け、辺りは仄暗い。
――今日はもう此処でお開きだ。これからの事も考え、早急に拠点を見繕わなければ。
現状の問題にシーアは再びふわりと宙に浮くと、アドニスに抱き付く。
何時ものように胸を押し付けながら、首を傾げると彼女は壊れた教会を見上げる、
「そんなもの、ここで良いじゃないか」
「は?」
思わずと、教会だった物を見上げた。
なにが「ここでいい」だ。粉々に崩れ果てて元の原型も無いと言うのに。
「ここを拠点に?泊まる所か休める場所も無いのに?」
「寝心地は悪そうだったが、椅子やら机やらいっぱい並んでいたじゃないか。それに、教会には神父の部屋もありそうだ。寝床には困らないと思うけど?」
「だから、ここを?本気なのか?」
うんざりだ。
アドニスは瓦礫から立ち上がり指を差す。
「もう跡形もない瓦礫の山で、どうやって寝泊まりしろっていうんだ?」
すこし苛立った口調で放つ。
そんなアドニスの様子と言葉に、シーアはニタリと笑った。
「やだなぁ、少年たらぁ。私がいるだろ?」
ふわりと彼女が身体を離す。クルリと身体を一回転させ、そのまま壊れた瓦礫の山へ。
何をすることも無く彼女は人差し指で山を指した。いや、突いたと言う方が正しいか。
なんにせよ其れだけだ。いつも通り、それだけ。ただそれだけで、瓦礫の欠片と言う欠片が宙へ浮かび上がる。
そのまま石の塊だった異物は形を繕い、身を固めていった。
まるで子供が砂で城を建てて遊ぶように。瓦礫は塊を作っては、積み重なっていく。
壁を作り、窓を作り、屋根を作る。あっと言う間に寂れながらも、先よりもきれいな教会が出来上がった。
壊れ切った椅子も瞬く間に形を取り戻して戻ってゆく。
祭壇も、十字架。敗れ切ったカーテンに絨毯。懺悔室に隠れるようにあった神父用の寝室に誰も使われていないベッド。
何もかも全て、壊れていたのが嘘のように。
「――そんなことも出来るのか、お前は」
「とうぜんだ!」
美しく佇む石作りの教会の前でシーアはフフンと胸を張った。
こんな、最初に見た時よりも美しい物を簡単に建築できるとは。彼女からすれば「直した」でしか無いのだろうが。
「いや、人を直すんだ。こんなぐらい簡単か――」
「こら!間違えるな、人だけじゃないぞ?私は何でも直せるんだ♪」
「……ああ、そう」
この女の側に居ると感覚が可笑しくなりそうだ。本当に。
ただ、まあ。彼女なりの気遣いと言う奴なのはおそらく確か。
大きく息をついて、アドニスは教会の扉に手を掛けた。