86話『八の王』終
雨だれにも似た轟の中で、アマンダは思う。
――贋作。あの暗殺者は自身の事をそう罵った。
否定する気は全く無い。むしろその通りだと思う。
彼女は生まれながらに、女帝として育てられた。
そこに彼女の意思など無く。ただ、民を心から愛するお優しい女王。
傲慢な偽物の皇帝から皆を救う救世主。
元より彼女の一族には噂が有る。
なんでも彼女の血筋をたどると、皇帝の遠い親戚にあたるのだとか。
その昔、戦に負けて島に追いやられたけれど、実は彼女の家系こそが真の王の後継者だとか?
事実かも分からない、噂を信じてみんながアマンダに期待し信じ、持ち上げる。
それが16の少女にとってどれだけ重荷であったか、皆見て見ぬふりをした。見ないふりをして彼女に覆いかぶさった。
だから、アマンダにとって「皇帝を超える女帝となる。皆を愛する王になる。この世を平等に、平和にする」これらはどうしようもなく、背負うモノでしか無かったのだ。
でも、本当は?
どんなに嘘で偽っても隠しきれるものはない。
――凄まじい銃声が何処までも轟き、全ての銃弾が教会を壊す。
その取り囲む拳銃、ピストル、機関銃。それら全てを抱え取り囲む数、およそ千人。
ずらりと並び、一斉に銃撃を放ち続ける。
教会の壁は崩れ、僅かに残っていたガラスは木っ端みじんに消え去っていく。神にささげる筈の十字架は折れ曲がりはじけ飛ぶ。
目の前、教会で合ったものは、瞬く間に粉々の石屑に変わり果てていった。
その光景を腕の傷口を押えながら、アマンダは唇を噛みしめ真っすぐに見つめていた。
目に映るのは千のアマンダと言う自分を女王にすべく集まった「島国」の者達。男女関係なく集まった千の人間。
彼らはアマンダを女王になると信じて疑わず、心から慕ってくれている。それは今まであの少年が相手取っていた他の彼らも同じだ。
いつも思う。
こんな私に、どうして彼らは此処まで尽くしてくれるのだろうか――と。
幼いころから知っている人間ばかりだが、どうして其処まで自分を立ててくれるのか。それが、いつも不思議なのだ――。
本当のアマンダと言うのは、何処までも残酷で今の皇帝と大差ないと言うのに。
「――撃ち方、止めい!」
協会が粉々に崩れ去った頃。アマンダの手は周りの猛攻を止めた。
凛とした高らかに響く声は何処までも響き、轟いていた銃声は少しずつ止んでゆく。
最後の一声が無くなった頃、崩れ去った教会は瓦礫とかし、欠片が音を立ててアマンダの足元に転がった。
その欠片を見つめながら思う。
少年は死んでしまったのだろうか?いや、死んで当たり前だ。
あの猛攻。生き残れる人物がいる筈も無い。――これで、一番の敵と思われた皇帝の猟犬は居なくなった。
後はゲームをするだけ。
アマンダは瓦礫と化した、教会の側へと歩み寄った。走り寄って来そうな側近たちに止を入れ、1人で進む。
瓦礫を踏みしめ、奥へと。中央辺り――。あの少年が立っていたのはここあたりだったか。
瓦礫の山に立ち尽くし、アマンダは静かに瓦礫を見下ろす。
「私の本心――か」
誰にも聞こえない声で彼女は囁く。
膝を付き、瓦礫を一つ拾い、俯いた。
「――私の《本心》は、やはり先程言った事と変わりありませんよ。こんな世界にした皇帝が私は憎いです。私が女王になるべきだと思っています」
手に持つ欠片で遊びながら、彼女は続ける。
「でも――。正直言えば、皇帝をあの座から引き下ろすことが出来たならば、王になるのは誰でも良い……。それが私の本音よ」
だって――私。
「だって、私も皇帝陛下とそう変わらないもの。私はね。――私はただ、平和に生きたいだけよ。それから、こんな下らない責務を押し付けた連中を、いつか殺してやるの」
――ほら、私は女王に相応しくないでしょう……と。
それが、どうしようもないアマンダと言う少女の事実だった。
彼女は女帝として育てられた。優しい平等な平和を掲げる女帝であれ。
この馬鹿げた『ゲーム』が決まった時、我先にと手を上げざるを得なかった。
皇帝を引きずり降ろさなければと言う想いは《本心》だ。でも、それは国民の為なんかじゃない。
皇帝の代わりに女帝にならなければならない。それは、願われたからだ。本当は、自分なんて存在は一番王になってはいけないと理解している。
「私は、何処までも《女帝》なんです。どこまで行っても《王》なんです。きっと本当に皇帝の血が流れているのね」
小さく笑って、自傷するかのように彼女は息を付く。
「私は何処まで行っても自分勝手な人間なのよ。今の皇帝と全く同じ……。本当はね、自分が良ければそれでいいの。この『ゲーム』に参加した本当の理由もそれ。私を女帝なんて立場に押し上げた連中を消せたらいいなって、ね。――成功だったわ」
それは彼女のちょっとした復讐劇。
少しばかり才が秀でていたからと、自分に勝手に重荷を乗せた連中への当てつけ。
嫌だと言っても止めてくれなかった。なりたくないと言えばぶたれた。お前は女王であれと押し付け、自分達は出来ないと泣くばかりの役立たず達への。
あの少年に持ち上げるだけの住民が殺されているとき、どれだけ笑いたかったか。
嗚呼、本当に彼女は残酷な女だ。『八の王』は笑んだ。
――かの王は、ただ平和に暮らしたかっただけだった。
「島」の国民が泣こうが喚こうが、正直知ったことでは無い。家族と幸せに暮らしたかっただけなのに。
しかし、彼女の願いは誰からも、愛する家族からも跳ね除けられたのだ。
生まれながらに才を持ち、女帝になれと育てられ重荷を強いられた少女の本当の細やかな願い。
皇帝の話を聞けば聞くほど、心の中では何が悪い事なのかさっぱり分からない。
「島」が荒れ果てた?
元は謀反を企てた祖母が引き金だ。
貴族が来た領地が荒れ果てた?
元よりその時から、その地は枯れていたではないか。
むしろあの貴族達は良く支えてくれたものだ。――殺してしまったが。
「島」を取り戻したい?
その為だけに『世界』の王になるなんて重荷が過ぎる。
手に入れた所で、何が起きるかなんて、面倒だから想像もしたくない。
少なくとも独立戦争は幾つか起きるだろうな――なんて。
自分を王と疑わず。自分を王とし、王であり続ける暴君。
知れば知るほど思った。
――実に、王らしい王だ。
彼は別に何も間違ってはいないじゃないか。
でもコレを悪だと国民は言う。
だったら、自分は誰よりも王に相応しくない――。
「それが――私の本心よ」
――。
刹那、破裂音が響く。それはアマンダの目の前での出来事。
瓦礫の山から黒い影が飛び出し、黒髪が風を受けながら舞い上がり、鋭い眼が彼女を見下ろす。
それは瓦礫の上、体中を土埃と僅かな血で汚し、それでもその殺気は先程よりも鋭く凄まじい。
――アドニスは、静かに銃を片手に佇む。
薄紅色の瞳が唖然と呆然と見上げる中、その額に黒光りする筒の先が押し当てられた。
彼女の口から、零れる様に笑い声が零れたのは正にその一瞬。
「負けたわ。そもそも、皇帝と私じゃ、格が違うモノね。あの人は私と違うモノ」
「ああ、あの方は自分を『正義』と疑わない。お前とは違うさ」
ポツリと零した言葉をアドニスが返す。
もうアマンダは逃げる事はしない。今の猛攻で彼は死ななかったのだ。
体術でも敵わないどころか、手を抜かれていた自分は、どうあがいても彼には敵わない。
それならば、と思う。
最後は潔く散る事が『王』らしい――。
「そうね。それは、似てないわね」
やり切った顔で、嫌少しだけ悔しそうに笑みを零す。
ソレが最後。ソレで最後。
そんなアマンダを前にアドニスは小さく息を付く。
引き金を引く瞬間。黒い眼は初めて、真っすぐと薄紅色の瞳を見つめ言葉を贈った。
「だが、先程の想いは綺麗だったよ」
「――!」
「女帝様――」
驚いた顔で彼女が顔を上げる。
薄紅の瞳が柔らかな色合いを見せたと同時、その銃声は静かに響き渡るのであった――。
――。
ピンク色の小さな少女の身体が倒れ込む。
力が無くなった身体は瓦礫の山を転がり落ち、地に叩き落ちる。
その場にいた誰もが、その場を唖然とした様子で見つめていた。
呆然と、愕然と、音も無い程に静まり返る。
「アマン、ダ?」
最初に声を漏らしたのは一体誰だったか。
「いや、いやああ!!」
金切り声と共に崩れ落ちた女帝の元に走り寄ったのは誰だったか。
それを引き金に、その場にいた多くの「島」の民はアマンダの元へと走り寄った。
抱きしめて、泣き叫び、咽び泣く。怒り狂った声がアドニスに降り注がれる。
「どうして」「なんで殺した?」「人殺し!」「なんでお前が死ななかった!」
「いやだ!」「死にたくない」「助けて!」「殺さないで!」
ありと言うありの罵詈雑言。懇願、泣き声。悲鳴。
石を投げられ、拳銃を発砲され、嗚咽の声が響く。
その中でアドニスは何も言わない。ただ、静かに見下ろすだけだ。
そんな彼の背に温かな重みが広がった。
「これは酷いなぁ」
なんて言葉と裏腹に、くすくす笑うシーアの声。
まるで慰める様に抱きしめる彼女を、アドニスは僅かに見た。
飛んで来る銃弾やら、瓦礫石をシーアは簡単に手を弾き飛ばす。
彼女の赤い瞳が、アドニスを映した。
どうするの?言われずとも、そんな問いが掛けられていることが分かった
どうするか?
それは今この場にいる千は超える。「島」の国民たちの事だ。
彼らは、『世界』の国民だ。皇帝は無意味に家畜の数を減らす行為を嫌う、だが。
「決まっている。裏切り者には『死』をだ」
アドニスは静かにナイフを握る。
「いいのかい?あれ、無関係の人間だろ?」
「無関係?」
無関係とは何か。
『王』の元に集い、武器として『八の王』と共に戦った存在が?
今の状況を見下ろす限り、あれだと『八の王』もうんざりする訳だ。
それに皇帝はもう慈悲を与えているではないか。
「この村落の人々だけを一回だけ逃がす」そう。
もとより、外から入って来た人間にはこの慈悲は当てはまらない。
皇帝はこの国民たちの事を知っていたのだろう。だから敢えてあの慈悲をあの言葉で与えたのだ。
何を言い訳しようが、命乞いしようが、泣きわめこうが、この者達は『八の王』の武器でしかない。
だからこそ、シーアの言葉は理解が出来ず首を傾げる。
「アレは完璧な反逆者だろう」
「ま、そうだけどさ」
背でシーアがケラケラ笑い。
赤い瞳が、アドニスの顔を覗き込む。
「――今、君がしようとして居る事。《悪》だよ?」
「……」
ふと、手が止まる。
今、自分がしようとして居る事は悪。
それは、そうだろう。
今アドニスがしようとして居る事は間違いなく悪だ。
いや、違う。
アドニスはナイフを握る。
悪とは?悪とは何か。
馬鹿らしい、そんな物《暗殺者》に言うべきモノじゃない。
だってそうだろう。
この世では、人を殺す事は全て《悪》なのだろう――?
だと言うのなら。
笑みも無いままアドニスは溜息を零す。
悪――。
今この場で行う行動が悪なのなら。
「――俺は《悪》で良い」
最後に一度だけ、赤い瞳を見てから彼はナイフを握ったまま、地を蹴った。
舞い踊るのは黒い影。降り注ぐのは赤い雨。
その雨の中を少年は頭から浴びながら、逃げ惑う彼らを追う。
悪で良い。悪で良い。何故か何時もは思わない言葉を何度も唱え。
――ふぅん
そう零して黙って見届けた赤い瞳を思い浮かべながら。
少年はその身を赤く染める――。