81話『八の王』3
風を纏い、アドニスは村落に駆けこむ。
土煙が舞い足を止めれば目には住宅から、わらわらと出て来た村民たちが映った。
騒ぎを聞きつけてなのか、アレクシスの説得によって不安感から出て来たのか。その数はざっと二百人程。
誰もかれもが不安そうな表情でアドニスを見つめて警戒心の入った視線が飛んで来る。その中に幾つかの殺気が混ざっているのだが。
その中をアドニスは平然と静かに見渡す。探すのは勿論アマンダの姿だ。
あの目立つピンクのドレスと赤い髪。嫌でも目立つ彼女は、この数の人が集まっていようが関係ない。
「――。」
考えは見事に的中し、人ごみの中でふわりと舞う赤い髪とピンクの服を見つける。
それを確認した時、アドニスは容赦も無くナイフを握った。
地面を一気に蹴り上げる。人と人の隙間を駆け抜けて女を一人狙う。
「――っ!?」
ナイフの切っ先は逃げる女の頬を再び掠った。
「逃げられるとでも?」
ニヤリと笑みを浮かべて嫌味を一つ。
いきなり目の前に猟犬が現れたのだ、アマンダの表情は悔しげな、驚愕にも似た表情を張り付け目の前のアドニスを睨み下ろす。
ドレスの裾を舞い上げ、少年と同じくナイフを両手に握りしめ迷うことなく一気に振り上げる。
だが、アドニスはその一撃を難なくとかわし、薄紅色の女の瞳を睨む。
体制を変え、再び手にしたナイフを一振。
アマンダは慌てて後ろに飛退けたが、遅く。黒い切っ先は彼女の腕を掠った。
勢いのままに、アマンダはアドニスから身を離す。
後ろに飛退いた衝撃で、村民の何人かを巻き込み倒れ込んだ。
「っ――」
「なに、すんだ!」
怒号。悲鳴。
巻き込まれた中には子供もいたようだ。泣き声が響く。
その中でアマンダは眉を顰めつつ体を起こした。
「なんだ。お前、そんな貴族みたいな恰好……」
「そう言えばさっきアレクが来ていたって――」
「それじゃあ、さっきの話は本当だって?」
彼方此方から声が木霊する。
不安げな色合いが混ざり、その場から慌てたように逃げ出す者も。
その中で、アマンダは再度ナイフを握りしめ殺気を目に込めた。
「なんだ。意外だな」
彼女の様子を見てアドニスは眼を細める。
「何がですか?」
きつく握りしめたまま問い。
何がと言われても、あたりを見渡しながらアドニスは言った。
「あんた、島の自称女帝様だろ?お優しい、お優しい女帝様だと噂だが、いまの感じだとそうは見えなくてね」
それは、たった今見たアマンダの反応から。
アマンダ・レイ・ローファン。
彼女は『組織』の中でも有名人であり、危険思想を持つとされる要注意人物であった。
それでもそれは「皇帝陛下」にのみの話。
生まれながらに女帝を名乗り、皇帝を認めず。『世界』を自身の物であると誇る彼女は、誰よりも国民には分け隔てなく優しかった。
より良い国を、より良い王を、それを目指す彼女にとって、民とは増やし尽くし共に歩むべきものだと宣言していたからだ。ゆえに彼女を王と呼ぶ国民は多い。
それがどうだ。
国民に分け隔てなく優しいと言う彼女の面影は全く無い。
ナイフを握り、殺気を纏わせる彼女に優しさの欠片も無ければ、周りを気遣う様子は一切見えないのだ。
そんなアドニスの疑問にアマンダは眉を上げ、笑い答えた。
「何を。《王》と言うものは、そんなに甘い訳ないでしょう。そもそも、これは殺し合いの遊び。誰しか一人か生き残れない」
「……」
「それに」
一度間を置く。
薄紅色の瞳に決意が宿る。
「皇帝陛下は、もう慈悲を与えたでは無いですか」
「――」
それは――
先ほどの僅かな村民たちの事に違いない。
「すべてを救う。妾だってできません」
「見捨てるのか」
「ええ、見捨てますとも」
ソレがたとえ、唯の弱い子供であっても、と。
「妾は女帝です。この世界の《王》です。守るべきものと捨て去るべきは間違えない」
細い腕が天高く掲げられる。
ソレは奇跡か。
彼女の白い腕が天に伸びた時、厚い雲は切り裂かれ、まるで天からの啓示と言わんばかりに彼女に光を差し示した。
うす暗い世界を裂いたその光景は、正に女王と相応しいと誰もが思えただろう。
村民たちは皆彼女の神々しさに見惚れ、無言で讃えよう。
まさに、彼女は女帝だと――!
「撃ちかた、初め――!!!」
高らかな声が1つ。何処までも響き渡る声。
その声を、振り下ろされた手を合図に無慈悲な銃を構える音が響いた。
アドニスは周りを見据える。今までの向けられていた殺気はコレであったか、と。
まあ、認めよう。
《女帝》を目指すその志を。
手に入れるためには、何もかも犠牲にする心意気を。
「それが――」
ニヤリと笑ったアドニスの言葉に女帝は僅かながらに反応した。
刹那。
住宅と言う住宅。人の隙間と言う、隙間。
拳銃が、ライフルの機関銃の筒が覗く。
黒々とした物がずらりと並び、一斉にアドニスを狙う。
ソレはもう轟音なんて生ぬるい。
最早、耳鳴りにも近い。
銃声と言う銃声が鳴り響き、銃弾と言う銃弾の雨が降り注がんばかりにアドニスに押し跳ぶ。
その中でアドニスは、ただぽつんと佇み。ナイフを握りしめるだけだ。
「なんだ。やはり、手勢を引き連れていたんだな」
そう、女帝様の最大の攻撃を早くも見破れたことに笑みを浮かべながら。
――。
黒いナイフが、黒い少年が踊る様に飛び跳ねる。
ナイフを滑り込ませ、下から上へと振り上げ音を立てながら凄まじい勢いで銃弾を打ち落としていく。
銃弾はその全てが吸い込まれていくようにナイフの刃に飲み込まれ、切り裂かれ弾かれる。
常人では到底目に捉える事すら出来ない情景。弾の一つ、腕にも頬にも掠る事は無い。
「うが!」
「うあ――!」
この銃弾の雨、犠牲となるのは周りの村民たちであった。
黒い少年が踊り切る中で、飛んで来た銃弾に、弾き飛んだ銃弾に、次々に被弾し倒れてゆく。
そこに男女老人子供、誰一人として関係ない。
あたりはあっと言う間に血の海と化し、動くものがいる方が不思議と言う光景と成り果てた。
その中で、赤い影が走り跳ぶ。
途端に銃弾の雨はやみ、アドニスは体勢を変えてナイフを胸元で握り込む。
鋼のぶつかる音が響き目の前に苦痛に歪む顔のアマンダが映った。
反対にアドニスの表情は、全くと言ってよいほど変わっていない。無言のまま、汗一つなく女の一撃を受け止めた訳だ。
アマンダからすれば堪った物じゃないが。
何せ彼女は本気で、彼の首を叩き切る勢いで、全力で叩き込んだのだから。コレを当たり前に普通に受け止められたとなると、反動が凄まじい。
それも相手は片手で軽々とか、僅かな笑いも浮かんで来ない。
その残ったアドニスの右手が、容赦なくアマンダの頭を狙い弾き出される。
ピンクの瞳は、この一撃を見逃すことはしなかった。
頭を振り、横へ。腕は、頬を掠り髪の数本を飛ばす。もう何度目なのか、僅かながらに血が弾き飛ぶ。もう少し反応が遅ければ、確実に片目を持っていかれただろう。
再度、攻撃が弾かれる前にアマンダは地を蹴り後ろに飛び逃げた。
「撃て!」
アドニスが其れを追おうと、地を蹴りあげようとした時、再び声高。
少しの間も無く、再び銃の雨がアドニスに放たれた。黒い影が再度跳び回る。
尻餅を付き、肩で息をするアマンダはその様子を見つめるしかない。
「こいつ――」
戦力差なんて最早笑える程。
だってこの男は――
「おい少年!何しているんだ!」
銃弾の雨だれの中、踊るアドニスに突如として声が掛けられた。
その正体は勿論シーアで、彼女は不服そうに銃弾の中をふわふわ飛ぶ。
放たれた弾の雨は、相変わらず当たりはするモノの、僅かな傷一つ付ける事は無い。
アマンダはシーアの姿を見るや、一気に表情を変える。
今まで姿を現さなかった、一番ヤバい物が遂に姿を現した。
アマンダがその場で一気に地を蹴りあげたのは刹那の出来事。
彼女はそれ以上周りに指示は出さず、住宅の隙間に逃げ込んでゆく。
ピンクの姿が消えたのは、あっという間の出来事であった。
アドニスは彼女の動きを見逃すことは無かったが。
「おい少年!」
その中で、シーアだけは不服そうな顔でアドニスを見下ろす。
横目でチラリと彼女を見れば、腕の中に何かいる事に気が付く。
血まみれのフワフワとした物体。ソレが小さく痩せた猫の親子である事に気が付くには時間が掛かった。
「なんだそれは?」
銃音の中で、パクパクと口を開ける。
普通は聞き取れないだろうが、シーアには伝わったのだろう。
この場に相応しくなく彼女は猫を抱きしめながら怒号を浴びせる。
「にゃんて事をしてくれたんだ!こんな可愛いクロネコちゃんを!――痩せてて可哀想じゃないか!」
そこなのか?
この中で、思わずこけそうになった。
むしろ血まみれな所を指摘すべきなのではないか。
だが、その中で彼女の腕の中で親猫の方は無事であったのか、猫は「みゃー」と声を漏らす。修復済み、と言う奴か。動かなくなった子猫を必死に舐めては切なげに声を漏らす。
「そっちも治してやったらどうだ?」
口パクで、彼女に伝える。
だが、シーアは酷く冷めた目で、それでも大切に猫を抱きしめる。
「いや、無理だろ」
「死んでいるからか?」
「は?親子共々この村では生きていけない。乳も出ないのだから生きていても無意味と言う事だ」
「……」
この女は。猫好きなのか、そうじゃないのか。
相変わらず赤い瞳は何処までも色が無く、誰に対しでも興味が無さそうだ。
やはり、猫が可愛いだけで興味は無いと言うのか。まぁ、どうでも良い。
「私はこの子を埋めて来るからな!」
「お前、手伝いに来たんじゃないのか!?」
「手伝うって、今この状況で何をすればいいのさ!手伝って欲しければ、邪魔者は排除しろ!」
「もういい!好きにしろ!」
この一言で、シーア空高く消えた。
いくつかの銃弾がコレを追ったが、直ぐに無駄だと察したのか再びアドニスが蜂の巣となる。
この中でアドニスはシーアの言葉の意味を考える。
「ま、確かにお前の言う通りだな」
この状況で何をすればよいのか、邪魔者は排除。
考えなくても彼女の言葉は正しい。自分は一体何を遊んでいるのか。
馬鹿げた踊りを踊っている暇があるのなら、さっさとアマンダを追うべきだと言うのに。
舌打ちを一つ。
黒い眼を細く尖らせ、アドニスは標的を定める。
眼光が糸のように細くなり、その視線は目の前を飛び交う銃弾へと向けられた。
ナイフの刃の角度を変え、緩やかに振り下ろす。刃は華麗に宙を切り飛び交う銃弾全てに一本の線を切り入れたと同時に、地を蹴あげ空へと舞い上がる。
速度を唐突に失った弾は、2つに裂け地面に雨のように転がり落ちた。それでもアドニスを狙う銃撃は止まず、そればかりか空中に飛び逃げ場を失った少年へと銃口と言う銃口が向けられた。
空の上で、少年が黒い眼を尖らせているとも露知らず。
「30人か」
猟犬の目には獲物が全て捕らえられていた。
愚かにも自分自身で皆が彼にその場所を教えたのだ。
打ち込まれる弾の中で、アドニスは先程と変わらずナイフを振るう。
弾を撃ち落とし、切り落とし、弾き返す空中の中で、その身は滑空に身を落としながら標的となった一人の前へと降り立った。
「――」
「1」
男が何かを言う前に、ナイフを振るう。
男の首に一本の横線が入り、血しぶきが吹き上げると同時にまた跳び上がる。
次に降り立つのは、また別の女の前。
女とて容赦はしない。無情にナイフを振り下ろし、その首を撥ね飛ばすのだ。
「2――」
アドニスの動きは見事なまでに鮮やかだった。
首を切って、跳び上がって、首を切り捨て。血しぶきを浴びる前に次の獲物の前に立ちふさがる。
「25――」
もう既に3分の2は軽く仕留めた頃。それでも銃の雨は止みそうにない。
誰も逃げず、執拗にアドニスを狙い黒い一羽の鴉を打ち落とさんと言う勢いで銃弾が村中に飛び回っていた。
だが、それももう僅か。
「29――」
「ひい」
一人の首を落とし、アドニスは最後の一人の前に立つ。
恐ろしい化け物が目の前に立ちふさがり、漸く猟人は手に持つ銃を地に落とした。
腰を抜かし、がくがくと震えるさまは、先程の執拗なまでに追って来たものとは思えない様。
黒い眼は静かに細く最後の男を見据える。
「っ、うわああああああ!!」
絶叫と共に男がナイフを振り上げ襲ってきたのは、アドニスが黒いナイフを下ろしたと同時。
僅かな隙をみて襲い掛かる様は、素晴らしいと賛美を送るしかなさそうだ。無様で、酷く愚かしいのも違いないのだが。
襲ってきた男に、アドニスはただナイフを振る。また、首に一本線が入る。
男の視界がぐらりと傾き、噴水の如く血が噴き出る前に、少年は瞬きの間もなく姿を消した。
「30」
最後の一人が倒れ込むと同時。アドニスはナイフの血を払い飛ばす。
もう、この場に動いている物は一人としていない。逃げようとするものも、銃を撃つ者も。
辺りは正に血の海。何とか命をつないだものも、家の中で震え見守るのみ。
「ヒュプノス」
その中でアドニスはシーアを呼んだ。
今まで空高く舞い上がっていた女がゆっくりと降りて来る。
あの黒猫の埋葬は終わったらしく、更に別の血まみれの数匹の子猫と子犬を抱きかかえ、ニタリと笑い宙に佇んでいた。
「なんだい。少年」
「女は――『八の王』は何処へ向かった?見ていたんだろ」
「赤い女か?東のひときわ寂れた廃村に向かって行ったよ」
確認はそれだけで十二分。
「お前は、どうする?」
「ちょっと用が有る」
気まぐれか、今回『八の王』に関してシーアは手伝う気は無いと見える。
どうせ、その腕の中にいる動物たちの埋葬だろう。それはそれで別に構わないが。
「終わったらこい」
「じゃ、勝負しようか!私の用事が先に終わるか、君が先に勝つか!」
「気分じゃない」
「むぅ」
頬を膨らますシーア。
むしろこの状況で彼女の誘いに乗る方が可笑しいが。血の海の中で彼女は再び宙に浮かび上がる。
胸の中の小動物を大事に抱いた彼女の後ろには黒い常闇が現れ、その中に溶けるようにシーアは吸い込まれてゆく。
「ま、君が勝てる事を願っているよ」
ソレは嫌味か、心からの鼓舞か。
彼女は完全にその場から姿を消した。
真っ赤な世界で、アドニスだけが残る。
そんな黒い少年はやはりと言うべきか、一瞬にして姿を消した。
残像も残さず、黒犬は赤の女王を狙う。
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